◆第18回口頭弁論 意見陳述

口頭弁論要旨

高瀬光代

私は、高瀬光代と申します。

明日はちょうど1月17日、23年前、阪神淡路大震災がおこった日です。

当時、私は、神戸市東灘区にある神戸市立本山南中学校に勤務していました。本日は、私が体験した避難所の状況から考えたことについて陳述させていただきます。

阪神淡路大震災がおこり、私が勤務していた中学校は、避難所と指定されました。指定が解除されたのは、8月ですが、避難所指定された8か月間を見て、私は、学校は、生活の場所・学校本来の役割の両面から、避難所とすべきではないと考えます。

まず、生活の場所としての機能が全くないと言うことです。プライバシーが全く保障されません。当時学校周辺は木造住宅のみならず、鉄筋のマンションも傾いたり、倒壊したりしたため、直後には約3000名のかたが避難してこられ、学校はどこも、グランドも、普通教室も、体育館も、人が溢れていました。そのような所で何日かでも暮らせるでしょうか。結局、女子生徒は数日の間にいなくなりました。あまり、大きい声では言われなかったと思いますが、プライバシーのない避難所は、とても、女子生徒の生活の場にはなれませんでした。親御さんは早々に安全な所を探して移って行きました。多くの方は体育館に、足の踏み場もないほど詰め込まれた状態でした。高齢者には特に苛酷でした。床は硬く、とても寒く、体調を崩す方も多かったと思います。大勢が密集して暮らしていたため、インフルエンザが流行しました。

学校の体育館は、夏は暑く、冬は寒く、床は硬く、生活の場所としては全く不適当です。自然災害などで危急の場合には地域住民の避難所にすることはやむを得ないと思いますが、原発事故のために避難を余儀なくされた方々を迎える場所として、学校の体育館は適当と言えるでしょうか。

阪神淡路大震災のおこったのはちょうど受験準備のまっただ中でした。地域住民が被災し、校舎も被災し、生徒も教員も被災した中でも、全県一斉に行われる高校受験や、全国一斉に行われる大学受験などは行われました。一人一人の生徒にとっては一生を左右する重要なことであり、困難な中で必死に取り組まれました。生徒にとっては、学校生活のどの時期も一生に一度の、取り返しのつかない大切な時間であり、学習権の保障は学校の重要な責務であると思います。

関西広域連合が、平成26年に策定した「原子力災害に係わる広域避難ガイドライン」によれば、原発事故が起きた場合に、避難が見込まれる25万人について受け入れ調整を行っています。それによると、多くの学校が避難所として指定されています。突然の原発事故により、僅かの所持品しか持ち出せず、住み慣れた家を離れて避難せざるを得ない方々を迎える場所として、学校は適当な場所でしょうか。私は、阪神淡路大震災で瓦礫の山になってしまった阪神間から、大阪に行ったときの違和感を忘れることができません。子どもたちが日常生活を送っている学校でたとえ短期間であっても生活せざるをえないというのは、とても耐えがたいのではないでしょうか。

避難計画を見ますと、全く学校を避難所に指定していない自治体がいくつかありました。神戸市では、市民に対しての防災計画での避難所には学校を指定していますが、原発による避難者に対しては学校を指定していません。それは、学校本来の役割に配慮したためのようです。しかし、やはり、体育館などが多く指定されていて、これは、先に述べた理由により、再考を促したいと思います。

私は、原発事故が起きた場合の避難所についていろいろ考えていて、大きい疑問を持つようになりました。なぜ、事故が起きたら、個人の私有財産を奪われなくてはいけないのでしょうか?なぜ、移動の自由が制限されなくてはいけないのでしょうか?なぜ、健康で文化的な生活が奪われなくてはならないのでしょうか?日本国憲法は原発事故が起きたら停止してしまうのでしょうか?

関西電力が大飯原発を再稼働するというのであれば、もし、事故が起きたらどうするかについて、なぜもっと責任を持たないのでしょうか。「災害対策基本法」は自然災害での自治体の責任が言われています。原発事故は、企業災害ですから原因企業が責任を持たねばならないのではないのでしょうか。避難を余儀なくされた方々に対しては、少なくともそれまでの生活と同等の生活環境を用意してしかるべきではないのでしょうか。それができないなら、稼働すべきでないと考えます。

以上

ページトップへ