◆原告第4準備書面
第1 福井地裁判決の概要

原告第4準備書面
-平成26年5月12日福井地裁判決について- 目次

 以下、本件と同様の事案に関する福井地方裁判所の本年5月21日判決(平成24年(ワ)第394号事件、平成25年第63号事件)について述べる。

第1 福井地裁判決の概要

1 判決内容

 福井地裁判決は、本件と訴訟物を同じくする、人格権に基づく大飯原発の稼働差止め請求について、大飯原発から250km県内に居住する原告の請求を認容した。

  主文第1項(1頁)
「被告は、別紙原告目録1記載の各原告に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。」

 

2 判決理由

 福井地裁判決は、被告関西電力の原子力発電所稼働の利益を「経済活動の自由」に位置づけ、原告の「人格権」と比較し、劣位におかれるべきとした。
 そして、「(福島第一原発事故のような)事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象」であるとして、新規制基準の対象となっていない事項、及び、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、裁判所の判断が及ぶとした。
 以下、判決の論理を簡単に述べる。

 (1) 福井地裁判決が判断した「人格権」の内容

  「生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。」
  「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、その侵害の理由、根拠、侵害者の過失の有無や差止めによって受ける不利益の大きさを問うことなく、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。」

 (2) 経済活動の自由との比較(39頁以下)

  「本件ではこの根源的な権利(人格権)と原子力発電所の運転の利益の調整が問題となっている。」「原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。」

 (3) 被告(関西電力)の主張に対する判断(66頁)

 判決は、コスト論、及び、環境論(二酸化炭素排出の問題)に関する、被告関電の主張を容れなかった。

  1.   本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながる
      「当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。我が国における原子力発電への依存率等に照らすと、本件原発の稼動停止によって電力供給が停止し、これに伴なって人の生命、身体が危険にさらされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況であるといえる。」
  2.   コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論がある
     「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」
  3.   原子力発電所の稼動がCO2(二酸化炭素)排出削減に資するもので環境面で優れている
     「原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。」

(4) 福井地裁判決が認定した原子力発電所の危険性

 判決は、以下の認定を行い、「原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになった」(40頁)として、具体的危険性を肯定した。

  ア 原子力発電所の特性(43頁)

  「原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。」

  イ 地震の危険性

 判決は、地震の危険性について、1260ガルを超える地震、700ガル(大飯周辺活断層より理論的に導かれるガル数)以上1260ガル未満、700ガル未満の地震に分けて検討し、いずれの場合も 「万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価」した。

  「日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生するといわれている。」
  「この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。」(59頁)

   (ア) 1260ガル以上の地震について

  「原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどない」

 (争いの無い事実)
 そして、日本における既往最大地震(岩手県内陸地震)が4022ガルであったこと、東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められない等の理由から、
  「大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能」、「1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある」
 と認定した。

   (イ) 1260ガルを超えない地震についての判断

 判決は、700乃至1260ガルの地震について、地震に際しても炉心損傷を防ぐための対応策があるとする被告関電の主張を排斥し、具体的な危険性を認定した。

  「対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。」
  「一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。
  「実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。」

   (ウ) 700ガル未満の地震について

 判決は、700ガル未満の地震についても、主給水喪失、外部電源喪失事象を原因とする冷却機能喪失から重大事故発生の可能性があると認定した。
 

   (エ) 基準地震動

 さらに、基準地震動についても、その数値自体は信頼性に欠ける上、基準地震動に至らない地震であっても施設損傷による炉心損傷に至る可能性があると認定した。

 (5) 閉じ込め機能(使用済み核燃料の危険性)に関する判断

 判決は、冷却剤喪失事故、電源喪失事故により、使用済み核燃料プールの維持が困難となり放射性物質が漏出する危険性があることを認定した

  「使用済み核燃料は、原子炉から取り出された後の核燃料であるが、なお崩壊熱を発し続けているので、水と電気で冷却を継続しなければならない」、「福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥」った。
  「使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない」、「使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。」
  「本件原発には地震の際の冷やすという機能(地震の際の危険性)と閉じこめるという構造(使用済み核燃料の危険性)において欠陥がある。」
 「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものである」

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