◆ 原告第12準備書面
第6 廃炉の困難性

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第6 廃炉の困難性

 1 福島第一原発の概要と本件事故による損傷

(1)福島第1原発のⅠ号機から6号機までの設備に関わる概要について国会事報告書(甲3)は次のようにまとめている。
これを見ると,1号機は運転開始後満40年に15日足りなかっただけであるし,2号機は運転開始後37年,3号機は35年,4号機も33年が経っている。運転開始後ほぼ40年か,あるいはあと数年して40年になる原子炉ばかりである。原子炉の寿命について本件事故前までは規制する法律はなかったが,一般的には30年ないし40年と言われてきた(本件事故後、政府は原子力規制法を改正して,40年経った原子炉は運転してはならない,但し政府の許可があればあと20年運転できると定めた)。本件1~4号機はいずれもここ数年の間に廃炉が検討・実行されなければならない高経年化原子炉だったのである。

(2)本件事故によって,1号機から4号機までが大きな破損を受け,甚大は放射性物質を環境に撒き散らした。
訴状の請求原因でつとに主張したところであるが,3・11の地震・津波の発生を機に原子力発電所の全交流電源が予備電源も含めて全て喪失し(SBO)、核燃料の放射性物質を『冷やす』ことが不可能となった。水位は下降し,炉心が水の上に露出した。水面から出て高温となった核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器(圧力容器)の底に落ちる炉心溶融が起き(メルトダウン)、さらに溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開き、または圧力容器下部にある制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が原子炉格納容器に漏れ出した(メルトスルー)。現在、この溶け出した核燃料(これをデブリという)がどれだけの量で、どのような状況になっているかは分からない。放射線量が強くて人間が近づけないからである。固い塊となって格納容器の壁にこびりついているかもしれないし,格納容器の底やその下にあるコンクリート基礎を溶かし、地中に潜り込んでいるかも知れない。
原子炉内の燃料棒の損傷に伴い「水-ジルコニウム反応」等により水素が大量発生した。原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素が充満した結果、1号機(3月12日午後3時36分頃)、3号機(翌13日午前11時01分頃),4号機(翌々日3月15日午前6時頃)が次々と水素爆発を起こして原子炉建屋、タービン各建屋及び周辺施設を破損させた。2号機はプラント下部のドーナツ型部分が爆発を起こした可能性が疑われている。これらの水素爆発によって1号機~3号機の格納容器が破損した可能性がきわめて高い。格納容器及び原子力建屋の機能が失われたことによって、炉心から放出された放射性物質が大量に大気中及び海中といった外部環境に放出され、福島第一原発は破局的大事故に至ったのである。

 2 廃炉への道

(1) 以上のような破損を受けた1号機~4号機の建屋内には,場所によっては4000ミリシーベルト/時間というような驚べき高濃度の放射能が充満している。従って,住民の安全・安心を本当に確保して帰郷を促し,農業,漁業,山林業等を復活させ,福島の復興を確実に実現して行くには,まず真っ先にこの巨大な放射線汚染源を廃炉にしなければならない。1号機~4号機の廃炉は東電も国も一致して方針に掲げている(後れて5,6号機も廃炉にすることが2014年9月に決められた)。
被告東電が行う廃炉作業は,住民の帰還を目的にして(と言うことは,地域内のどこをも年間線量1ミリシーベルト以下にするということ),炉心溶融を起こした原子炉を3機も同時に廃炉にしていかなければならないのであるから,自他共に認めるとおり世界で初めての挑戦であり,後述するように幾多の困難が横たわっている。

(2) 東京電力と国(資源エネルギー庁,原子力安全・保安院)は,2011年12月21日に「福島第1原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」を策定・公表した(甲193)。
それによれば,冷温停止状態が現出してから廃炉完了まで3期に分けている。
第1期は,言わば準備期間であり、使用済み燃料プール内の燃料取り出しが開始されるまでの期間(2年以内)である。
第2期は、燃料デブリの取り出しが開始されるまでの期間(10年以内)である。この期間内に、全号機の使用済み燃料プール内の燃料取り出しを終了させる。そして建屋内の除染、格納容器の修復及び水張り等、燃料デブリの準備を完了し、燃料デブリの取り出しを開始する(目標10年以内)。
第3期は、廃止措置終了までの期間(30~40年後)であり、この期間内に、燃料デブリの取り出し完了(20~25年後)、廃止措置の完了(30~40年後)、放射線廃棄物の処理、処分の実施が行われる。
すべてが完了するのは30年~40年先と想定されている。
しかしながら,実際の作業はこのロードマップの通りに進んでいないことは周知の通りである。廃炉作業を進める上で大きく妨害となっているのは、毎日400tも発生している汚染水であることは前述したとおりである。
その後、廃炉のロードマップは作業の遅延を反映して逐次改訂が加えられ,さらに廃炉作業を推進する政府の部署・体制も次々と変わってきたが,それを逐一記述するのは煩瑣なばかりで益がないので省略する。

(3) 国は,2013年9月3日,「汚染水問題に関する基本方針」を原子力災害本部において決定した。これは,このロードマップの実行について国が前面に出ることを内外に宣言し,それまでの東電が主に「逐次的な事後対応」に追われていて遅々として進まない状況を改善し,「想定されるリスクを広く洗い出し,予防的かつ重層的な対策を講じ」て行くことを決めた。それに対応して政府の体制も強化するとして,政府一体の体制の構築を目指した「廃炉・汚染水対策関係閣僚会議」の設置、現地の「廃炉・汚染水対策現地事務所」に各省庁から職員を常駐させること,さらに、現地における政府、東京電力等の関係者の連携と調整を強化するため、「汚染水対策現地調整会議」の設置、地元のニーズに迅速に対応するため、「廃炉対策推進会議福島評議会」を活用する等々の方針を発表した(甲197)。これらの方針は,直接的には汚染水対策でしかないように見えるが,汚染水の処理は廃炉にとって必須不可欠な前提事項であるから,国が前面に出ることや体制の強化などの方針はもちろん廃炉にも適用されている。
現在は,廃炉を推進していく国の機関として,原発損害賠償支援機構を改組して「原発損害賠償・廃炉等支援機構」とし、ここが主体となって廃炉を推進していくこととなった。

 3 廃炉の困難性

  (1)廃炉の先駆例

世界で見ると、すでにアメリカで10基、ドイツで1基廃炉が終了したと報告されているが、ここでは福島第1原発と同じく爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発とスリーマイル島原発の廃炉を取り上げて、その苦難の経緯を概観し、さらにわが国で初めての廃炉に挑戦している東海原発の経緯に触れることとする。

 ア スリーマイル島原発の例
1979年3月28日に発生したアメリカ・ペンシルバニア州・スリーマイル島2号機の原発爆発事故の時は,福島事故と同じく炉心溶融が起こった。4月4日に冷温停止状態になり、廃炉が選択された。放射線量が高い建屋内には入るために、原子炉格納容器兼建屋に充満した放射性ガスを環境に放出しなければならなかった。事故後6年経った1985年になって、原子炉上部から差し込まれたビデオカメラが、原子炉底部に燃料棒が崩れ落ちているのを発見した。
ここから廃炉するために、バラバラになって沈んだ燃料棒を拾い上げ、メルトダウンして硬く固まった燃料デブリ(約100トン)を水の中で少しずつ削り取る作業を進めた。鉄の棒でも歯が立たないデブリを水中で特殊ドリルを操作して削り取る作業は困難を極めたと言われる。燃料棒の回収作業が終わったのは、事故後10年経った1989年12月である。回収されたデブリは、スリーマイル島から3500キロメートル離れたアイダホ州の国立研究所に厳重保管されている。
最後に、1060万リットルにもなる膨大な汚染水を処理する必要があったが、川に流す方法は住民の反対が強くて取れず、自然蒸発の方法が選択され、1993年8月までに約80パーセントが蒸発された。
2号機の廃炉作業は、まだ稼働中の1号機の閉鎖と廃炉に合わせてゆっくり進めていく方針が取られ、そのまま監視状態におかれている。

 イ チェルノブイリ原発の例
1986年4月に発生したウクライナ・チェルノブイリ事故は史上最悪の原発事故と言われる。爆発した4号機では全電源喪失を想定した非常発電系統の実験を行っていたところ、制御不能に陥り,炉心が熔解し、爆発を起こしたと言われている。それにより大量の放射性物質が環境中に放出された。ソ連政府(当時)は,大量の放射線物質の飛散を緊急に封じ込めるため、爆発を起こした原子炉そのものを巨大なコンクリート製の棺ですっぽりと覆う石棺方法を取った。周囲30キロメートルの住民を強制移住させて、廃村にした。今なお住民が故郷へ帰還できる可能性は全く断たれている。
コンクリート製の覆いはもともと耐用年数が30年と言われていたが、放射線による影響で脆弱化しボロボになって来ており、内部の放射線物質が漏出したりしている。石棺の上をステンレススチール製のシェルターで覆う工事が今進められている。ステンレススチール製のシェルターの耐用年数は100年と言われており、100年経ったときにまた新たな対応を余儀なくされる。
取りあえず、それまでの期間をかけて、石棺内にある放射性物質の放出や汚染瓦礫の排除などの廃炉作業が少しずつ続けられる予定である。

 ウ 東海発電所は、日本で初めての商業用原子力発電所として、1966年7月に営業運転を開始した。しかし、原子炉や熱交換器などが大きな割に出力が小さく、軽水炉に比べて発電単価が割高であり、かつ保守費や燃料サイクルコストも割高になっていたことから、1998年3月31日をもって運転を停止し、日本で初めての廃止措置作業を行っている。
1998年から廃止・解体作業(23年間)を開始。原子炉領域の解体撤去は16年後の2014年から6年間で完了する予定になっている。事故を起こしていない、出力の小さい原子炉でも、廃止措置までは23年という長い年月を要するのである。

  (2) 廃炉作業を困難にしているもの

 ア 本件1号機~4号機の建屋内外ではまだまだ放射線量が高く、いまなお何百、あるいは何千ミリシーベルトという線量が検出される状況である。1日に400トンもつくられる汚染水の対策・処理もできていない。そのために人が建屋内に近づくことができないから、今もなお、建屋、格納容器及び原子炉の内部がどのようになっているかを掌握できていない。廃炉作業の中心的課題は、言うまでもなく高い線量を発し続ける燃料デブリの取り出しであるが、燃料デブリがどこに、どれだけ、どういう状態で存在し続けるのかが不明では、デブリの取り出し作業は不可能である。
現在はミュオンの透視技術を利用して格納容器内の状況を探ろうとしている。またさまざまな機能を持つロボットを開発し、中の映像を入手しようしている。だが、それらは失敗のくり返しで、事故後4年も経っているのに遅々として進まない。
先に述べた廃炉の工程表は、原子炉等の中の状況を知らないで30~40年と言っているだけで,燃料デブリの状況次第ではもっともっと長くなることが十分予想されうる。つまり、廃炉は30年~40年かかるというのは何の根拠もないのである。

 イ 燃料デブリの取り出しは、燃料棒等が発出する放射線量を抑えるために格納容器内に水を張り、冠水状態で行うことが想定されている。しかし、格納容器の現状は損傷を受けて水が漏れているのに、その原因を把握できていない。このままの状態では冠水での作業が不可能である。
それでまず破損個所の修復が必要であるが、しかし,どこの個所が破損しているのかが分かっていないのだから、修復工事のしようがない。仮に,分かったとしても,高い放射線量が検出される状況の下で修復工事をどうしてするのか。人間の手では不可能だから、やはり次々にロボットを考案・開発して、そのロボットによる作業に期待をかけざるを得ないであろう。

 ウ もし仮に、除染に成功し、冠水下で燃料デブリの取り出し作業を開始できるようになったとしても、その取り出し作業は、スリーマイル島原発の経験が示すように鉄の塊以上に硬く固まっているであろうデブリを水中でクレーンを動かし、取り上げることになる。スリーマイル島原発のときは、燃料デブリは炉内にとどまり、格納容器底部までメルトスルーを起こしていなかった。だが、本件1号機~4号機ではメルトスルーして原子炉の上部から格納容器の底部まで行っている可能性が大なので、クレーン設置の位置からの距離は大体30メートルくらいになると推定される。
つまり、1号機~3号機では、クレーンを動かし、水中30メートル下のデブリを削り取り、掬い上げる作業はしなければならないのだが、その作業が超困難な作業であることは容易に想像がつく。しかも、その作業を1機だけするのではなくて、1号機から3号機までしなければならないのである。どれくらいの日月を要するのか全く予断を許さない。

 エ 熟練作業員の確保が困難になっている。
燃料デブリの取り出しの前に、やらなければならない作業として1号機~3号機に保管されている使用済み核燃料を取り出さなければならない。4号機の燃料プールの貯蔵されていた1353体の取り出しは平成25年11月から始められたが、平成26年12月26日完了した。これはこれで良かったのだが、後述するようにこの取り出し燃料の最終処分の目途が全然立っていない。
それ以外に1号機の燃料プールに392体の使用済み核燃料、2号機に615体、3号機に566体が貯蔵されている。これらを全部取り出し、搬出することが必要である。建屋の屋根が吹っ飛んだだけで、原子炉のメルトダウンや爆発事故を起こさなかった4号機では、プール内の燃料取り出しは比較的スムースに完了したが、それでも1年以上の年月を要した。
高線量の放射線物質が充満し、爆発による瓦礫等が散乱している1号機~3号機の取り出し作業はもっと大きな困難が予想され、経験豊かな熟練作業員の確保が不可欠と言われている。しかし、そうした熟練作業員の多くは、線量制限(1年で50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルト)に触れつつあり、今後5年間は作業に就けないので、辞めていく者が多いと言われている。まさに危機的状況になりつつある。そのために、政府は、線量制限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトにする変更する案を検討しているが、本末転倒と言うべきである。

 オ 使用済み核燃料や燃料デブリをうまく取り出したとして、それらの最終処分どこで、どうするかが全く決まっていない。わが国の原発は、使用済み核燃料の最終処分をどこで、どうするのかを全く決めないで開発されたものであり、いわばトイレ無きマンションをつくったものだと批判されて来た。今の状態をたとえれば、トイレ無きマンションで溜まった糞尿をどこに持って行ったら良いのか、案さえ全然ないという、信じがたい無為無策の状態にある。しかしながら、改めて言うまでもなく、使用済み核燃料や燃料デブリの最終処分をしなければ、廃炉は永遠に完了しないのである。
前述したように、政府や東電の廃炉ロードマップは30~40年で廃炉は完了するとしているが、燃料デブリの取り出しや格納容器や建屋などの除染、解体など重要な作業はすべて第3期に押し込んで、第3期終了までの期間を30~40年としているわけである。果たしてその期間設定に何かの根拠があるかと言えば、客観的に何の根拠も示されていないことに注目せざるを得ないのである。

 4 小括

以上述べてきたように、廃炉などと一口に言っているが、率直に言って事故を起こして放射能まみれになってしまってからでは、廃炉は事実上不可能だと言わざるを得ない。長年わが国の原発政策を批判してきた小出裕明氏は、福島もコンクリート製石棺で覆うべきで、それ以外の方法はないと発言するに至っている(甲 平成27年4月26日付京都新聞)。
形あるものは必ず壊れる。壊れるときに暴発して、膨大な放射線エネルギーを放出するのが原発の大きな特徴である。原発は、寿命や事故で壊れる前に、引導を渡し(稼働停止)、静かに葬送してやるしかないのである。