┌─────────────────────────────────
◆マスメディアが「原子力ムラ」の一画をしめてきた!
複数の朝日大物記者が、関電などと密接な関係をもち、
電力業界の利益を代弁し、メディアのチェック機能を麻痺させ、
原発を推進する役割をはたしてきた!
日本原子力文化振興財団、電力中央研究所などの要職、
関電のシンクタンク「原子力安全システム研究所」や、
関電の高級PR誌、広報誌『縁[えにし]』の中枢をになっていた!
└─────────────────────────────────
- 文中、敬称略。
- 後半では個人姓名を記さず、「姓・名」のイニシャルで表記。
- 本項の末尾に掲載した参考図書 は→ 参考図書へ移動。
出版年順に整理すみ。 - 本項の末尾に掲載した関連項目 は→ 関連項目へ移動。
- 文中の「◆000◆」は、この「関西電力 闇歴史」の中の関連事項へのリンク。
┌─────────────
◆用語などについて
└─────────────
◆電力業界
- 日本原子力文化振興財団…1969年発足。月刊『原子力文化』の発行など、原子力の平和利用についての理解活動を展開。電力業界の資金で運営されている原子力推進組織として、原子力広報の中心をになった。2014年から一般財団法人 日本原子力文化財団(JAERO)。
・財団紹介→こちら。 - 電力中央研究所(電中研)…電力業界の政策形成、世論形成の知的中枢。大手電力会社9社をはじめとする電力業界の資金提供により運営されている一般財団法人。
・組織概要→こちら。
◆関電の関係
- 株式会社 原子力安全システム研究所(INSS)…関電のシンクタンク。1991年2月に、 関電美浜原発2号機で蒸気発生器細管破断事故が発生(ECCSが作動)した◆002◆。その事故の教訓を踏まえて1992年3月、設立された。安全性の研究や社会とのコミュニケーションを目的にする関電の主要なグループ会社。最高顧問には関電の取締役や、各大学の名誉教授陣など、多彩な分野の名誉教授陣が)が並ぶ。
・会社案内、現在の役員など→<こちら - 『縁[えにし]』…関電の高級PR誌、広報誌(隔月刊)。有識者や知識人を対象にしたクオリティの高い内容で知られた。100冊目の2001年5月号で終刊となる。元朝日新聞の幹部、論説委員、大物記者らが深く関わった。毎号異なる画家(洋画家の田村能里子など)やイラストレーターによる美しい表紙や、地域の文化・歴史を紹介する質の高いコンテンツ、文化発信が特徴であった。実物はネットでは見つかりませんでした。古書市場や古書店なら見つかるかも。
- 関電のPR誌、広報誌…『縁』→『躍(やく)』→『Nextalk(ネクストーク)』→『YOU ‘ S(ユーズ)』(2021年~)と推移。かつての『縁』が「関西の歴史や文化・芸術」に重きを置いた格調高い文芸誌のようなテイストであったのに対し、『躍』は「脱炭素など環境・エネルギー問題を共に考える社会派の広報」、現在の『YOU ‘ S』は「現代の社会課題や最新技術を分かりやすく伝える、スタイリッシュな情報誌」という性格が強いとされる。
- 鉄の意志…現在のPR誌、広報誌がどのような体制で製作されているのかは、分からない。しかし、華やかなPR、広報の陰に隠された「関電の鉄の意志、金だけ今だけ自分だけ」を見のがしてはならない。
▼「かんでんWITH YOU 」のLINE公式アカウントに登録すると、
関電公式、お友達限定スタンプがもらえる!
┌─────────────
◆電力会社とマスメディアをつないだ朝日大物記者
└─────────────
◆岸田純之助
- 科学ジャーナリスト(1920~2012年)。元朝日新聞社論説主幹。戦後日本における原子力の平和利用(原子力発電)の世論形成や、原子力論壇の構築、科学技術政策の分野において、マスメディアと産業界の双方で大きな影響力をもった人物。
- 1946年に朝日新聞社へ入社。1985年に65歳で退社。
◆朝日新聞を退職後、関電と深い関係に
- 科学誌『科学朝日』の編集部員を経て、1968年に論説委員、1977年には論説主幹に就任。一貫して科学技術やエネルギー、とくに原子力問題を専門とする論説・コラムを執筆。
- 退職後、財団法人 日本総合研究所の会長(のちに名誉会長)や、日本科学技術ジャーナリスト会議の会長などを歴任。多くの政府審議会や懇談会の委員、参与も務めた。原発を推進していた関電と深い関係をもつようになった。
◆関電および原子力業界との関係
- 岸田は、ジャーナリストの立場でありながら、日本の原子力政策や電力業界(関電など)とひじょうに深い繋がりをもっていた。その関係性は、以下の3つの側面から指摘されている。
1. 関電のシンクタンク「原子力安全システム研究所」の最高顧問
- 関電の「原子力安全システム研究所」において、最高顧問会議のメンバーに名を連ねていた。
- 当時の役員や最高顧問には関電の歴代会長(小林庄一郎など)や、各大学の名誉教授陣(近藤駿介 東大名誉教授など多彩な分野の名誉教授ら)が並んでおり、岸田が関電トップ層やそのシンクタンクの運営、知恵袋として深く関わっていたことが明らかになっている。
2. 「イエス・バット」で原発を推進
- メディア研究やジャーナリズム史の文脈において、朝日新聞の原子力論説における「イエス・バット(Yes, but)の原則(原発推進は認めるが、安全性などを厳しく注文する)」を確立させた。
- 「イエス・バット」とは、「国策としての原発推進(平和利用)には基本的に賛成(Yes)する。ただし(but)、軍事転用はしないことや、安全性・経済性の確立を厳しく求める」という立場。
- この方針により、当時の大手マスメディアの多くが原発推進を前提とした論調を形成することになり、関電などの電力会社が進める原発立地や建設を、マスメディアの側から理論武装、後押しすることになった。
3. 電力・原子力関連団体への参画とマスメディアへの橋渡し
- 電力会社などの資金で運営されている複数の団体に関与して、電力会社とマスメディアをつなぐ役割をはたした。政府の「新型動力炉開発懇談会」などの構成員、「日本原子力文化振興財団」の監事や副理事長、関電が創刊した広報誌への関与や、業界関連のシンポジウムや講演会で積極的な発言を行った。
- これらの活動を通じ、現役の科学記者やマスメディア関係者に対して「電力業界側、原発推進側」の視点を浸透させる、一種の橋渡し、あるいはロビー活動的な役割をはたしていたとも指摘されている。
◆関電の広報誌『縁』との関係
- 岸田は1985年に65歳で朝日新聞を退社後すぐから、関電が発行していた広報誌『縁』の監修者(責任者)になった。監修は、終刊となる2001年5月号の100冊目まで続いた。
- 報酬について関電は、「社会通念に照らして適切な金額」としている。なお、「原子力安全システム研究所」についての報酬も「回答を差し控える」としている。
- こうした関係には、日本のエネルギー政策やマスメディアの歴史において、重要な意味合いがあると指摘されている。
1. 広報誌『縁』における役割
- 関電が発行していた『縁』は、単なる社内報や簡易なパンフレットではなく、有識者や知識人をターゲットにした質の高いPR誌、言論誌としての側面をもっていた。監修者の岸田は、誌面の方向性の決定や、エネルギー、科学技術に関する論説のクオリティ管理、あるいは外部の知識人や文化人を巻き込むための人脈づくりなどに深く関わっていた。
2.「株式会社 原子力安全システム研究所(INSS)」への足がかり
- 関電の広報誌『縁』における監修の実績や関電トップ層との信頼関係は、のちに関電が1992年に設立したシンクタンク「原子力安全システム研究所」において、岸田が最高顧問という重要なポストに就任する大きな足がかりになったとされる。
3. ジャーナリズムの「中立性」に関する批判
- こうした関電との関係は、メディア研究者や原子力政策を批判的に検証するジャーナリストたちの間で、「マスメディア(大手新聞社)のOBが、電力会社(推進側)の広報に取り込まれていく典型例」としてしばしば取り上げられている。
◆マスメディアOBが原発を推進してきた
- 岸田は現役時代に朝日新聞の論説主幹として「イエス・バットの原則」を確立させた。このスタンス自体が結果的に関電などの原発推進を後押ししていたとされる。退職後にすぐに関電の広報誌の監修者や関連組織の要職に就いたことで、「現役時代から電力業界と緊密な関係があったのではないか」「マスメディアの監視機能(チェック機関としての役割)を甘くさせる構造(電力トラップなどとよばれる業界の取り込み工作)の一環だったのではないか」という批判的な視点から、広報誌『縁』との関係が語られることが多い。
- つまり、岸田にとって関電の広報誌『縁』は、退職後の主要な活動舞台の一つ(監修者)であり、関電側にとっては元大手紙の論説トップという大物の知見や影響力を、自社の広報、世論対策に生かすための重要なパイプであったといえる。
┌─────────────
◆朝日関係者、続々と電力業界のマスメディア対策に関与
└─────────────
◆関電や業界関連組織に深く関わっていた元朝日新聞の幹部や記者
- 関電をはじめとする電力業界によるマスメディア対策、いわゆる「原子力論壇の構築」や「政財界工作」において、岸田以外にも関電や業界関連組織に深く関わっていたと、批判的に指摘される元朝日新聞の幹部や記者は複数存在している。
- 彼らはおもに、退職後(あるいは在職中から)原子力推進側の公益法人の役員に就任したり、業界の資金で運営されるPR誌、言論誌の編集や執筆に携わったりしたことで、「マスメディア対策(世論工作)に取り込まれている」「原子力論壇の構築をになっている」と批判されている。
- 電力業界(とくに関電、東電など)は、大衆への「刷り込み効果」や批判の封じ込めを狙い、「原子力に好意的な文化人やマスコミ幹部を常に抱え、コメンテーターとして配置する」という世論対策マニュアルを組織的に実行していた。朝日新聞の論説、編集中枢にいたOBたちがその受け皿(役員や顧問、広報誌の執筆者)となったことは、マスメディアの監視機能を麻痺させる「政財界工作」の典型例として、厳しく批判されて当然である。
(以下の個人姓名は「姓・名」のイニシャル表示)
◆ (1) 外報部や論説の K・T
- 関電との関係:岸田の後を追って、関電のマスメディア対策の中心に深く関わった。朝日新聞で論説委員(科学技術・エネルギー担当)を務めたのち退社。のちに岸田が最高顧問を務めた、関電の「原子力安全システム研究所」の特別研究員や顧問格に就任。
- 広報誌『縁』での役割:関電の高級PR誌、広報誌『縁』の編集長(あるいは中心的な編集責任者)をつとめた。岸田が「監修」として全体の重しとなり、K・T が実際の現場や執筆陣の差配を行うという、「元 朝日新聞論説ライン」が、関電の高級PR誌、広報誌を丸抱えで制作する構造ができあがっていた。
- 関わりと批判:在職中から原子力政策に好意的な論説に関わっていたとされ、退職後は電力業界がバックアップする「電力中央研究所(電中研)」の顧問や、「原子力文化振興財団」の評議員や役員といった「原子力ムラ」の主要組織のポストに天下り(あるいは再就職)した。推進側から報酬を得て世論工作や業界の論理を正当化する知識人ネットワークの構築に寄与した、と批判的なジャーナリストらによって実名で告発されている。
◆ (2) 科学部や論説の H・T
- 経歴:岸田の「科学ジャーナリスト」としての直系の後輩にあたる。
電力業界の「原子力論壇」形成に関与したと批判的に指摘される人物の一人で、1980~1990年代の原子力報道において、朝日新聞内で大きな影響力をもっていた。 - 関電や原子力業界との関係:朝日新聞の科学部次長や論説委員として、原子力の平和利用やエネルギー政策の社説・記事を執筆していた。退社後は、電力業界の資金で運営されている「日本原子力文化振興財団」の常務理事などの要職に就任。
- マスメディア対策としての意味:「日本原子力文化振興財団」は、関電など全国の電力会社が拠出した資金をもとに、全国の学校への「放射線教育」の出前授業や、地方紙・テレビの記者を集めた勉強会(セミナー)を主催する、業界の「世論工作PA(パブリック・アクセプタンス)活動」の司令塔、原子力広報の中心組織であった。そこに大手紙の科学報道トップが天下る形となり、マスメディアの監視の目を和らげる役割をはたした。また、原子力推進側の講演や広報冊子への寄稿などで、電力業界のマスメディア対策に加担した。
- PA(パブリック・アクセプタンス)とは:原子力発電所や空港、廃棄物処理施設、新技術の導入など社会的影響の大きい事業について、住民や社会全体からの理解と容認=社会的合意を得ること。
- 「大物記者」として批判的に取り上げられる理由:研究者(吉井博明、飯田哲也、斎藤貴男、田中三彦など)の分析。↓
┌──
・朝日新聞で原子力政策を肯定的に論じた。
→ その後、電力業界の広報組織に移籍した。
→「原子力ムラのマスメディア部門」への転身と批判される。
・退職後「日本原子力文化振興財団」の常務理事として、電力業界の世論形成戦略の中枢をになった。
→ ジャーナリズムの立場と電力業界の利益擁護との間で「利益相反」が大きい。
・岸田とならび、「電力業界と朝日新聞の結節点」としての役割をはたした。
└──
◆ (3) 元論説主幹・副社長の T・T
- 経歴:元朝日新聞社論説主幹・主筆。
- 関わりと批判:退職後、原子力発電を推進する代表的なPR組織である「日本原子力文化振興財団」の理事などに就任。また、電力業界の資金が深く流入しているとされる各種広報・PR媒体や対談企画に登場し、原子力政策を肯定的に方向付ける「論壇形成」に元マスメディア幹部の立場から関与した。こうした点が、東電福島第一原発事故後のマスメディア批判の中で強く指弾された。
◆ (4) 元編集委員の E・Y
- 経歴:元朝日新聞社編集委員。テレビ朝日の朝の情報番組キャスターとしても著名であった。
- 関わりと批判:朝日新聞を退職後、電力業界や原子力推進派の広報宣伝活動に深く関わった。とくに、「原子力文化振興財団」が発行、関与する広報誌や、原発推進を意図したマスメディア向けの企画において編集長やナビゲーター役を務め、一般知名度の高さを生かした世論対策(PA:パブリック・アクセプタンス)に加担したとして批判を浴びた。
◆ (5) 朝日系論壇の T・N
- 経歴:朝日新聞の社員(記者)ではなく、「国際公共政策研究センター」理事長などを務める独立した経済評論家であるが、長年、朝日新聞の論壇時評を担当したり、朝日に頻繁に寄稿したりしていたため「朝日の論調を支えるブレーン」と目されてきた。朝日新聞の論壇、寄稿者としても影響力が強かった。「原子力政策の理論的支柱」として批判される。
- 関わりと批判:1990年代~2000年代の「構造改革(小泉純一郎政権など)」や「グローバル化・市場原理主義」を肯定的に論じたため、リベラル派の経済学者や労働運動の立場から「新自由主義の太鼓持ち」「格差拡大を容認するエコノミスト」として批判された。
◆ (6) 朝日元科学部の S・T
- 経歴:朝日新聞で長く原子力政策や科学技術報道を担当し、退職後は「電力中央研究所(電中研)」広報部門、「日本原子力学会」の学会誌編集長や「日本原子力研究開発機構」の広報専門職などを歴任。こうした経歴は「原子力ムラ(推進側)への転身」を問題視する立場から批判されている。
- 関わりと批判:東電福島第一原発事故以降、「大手の科学部記者がいかに原子力推進側(官僚や学会)の安全神話に取り込まれ、批判的な報道を行わなかったか」という検証が進んだ。退職後に原子力学会や政府系機関の内側に入った経歴は、「ジャーナリズムと規制・推進側の癒着」の典型例として、メディアの独立性を重んじる立場から批判されて当然と言える。
┌─────────────
◆なぜ「朝日新聞」の記者が狙われたのか?
└─────────────
- 電力業界とくに「電力の鬼」とよばれた関電の芦原義重(社長1959~70年、会長1970~83年、1987年名誉会長解任)、政界工作をになった内藤千百里[ちもり]◆036◆らが、マスメディア対策において、とりわけ朝日新聞の科学部記者や論説幹部を重用したのには明確な目的があった。
◆「批判的なマスメディア」の牙を抜くため
- 朝日新聞は元は、原発に対して住民運動寄り、批判的なスタンスを取る記者が多い組織であった。そのため、その組織の「論説主幹」や「論説委員」といった言論の最高責任者を退職後に厚遇で迎え入れることは、現役の記者たちへの強烈な牽制(アナウンス効果)になり、社内の論調をマイルドにコントロールする上できわめて効果的であった。
◆「イエス・バット」のバット(批判)をマイルドにするため
- 朝日新聞の論説委員らが現役時代に掲げた「安全性に注文をつけつつも、原発推進には賛成する」というスタンスは、電力会社から見れば、ひじょうに好都合であった。「身内の厳しい有識者」というポーズを保ったまま、関電の広報誌やシンクタンクに名前を貸してもらう(社会通念に照らして適切な金額の報酬を支払う)ことで、関電側は「我が社は批判的な元ジャーナリストの意見も聞きながら、安全に万全を期して原発を運営している」という免罪符、隠れみのを得ることができたのであった。
- ノンフィクション作家であり元読売新聞記者の清武英利氏らの調査報道などでも、これら「元大物記者たちの電力業界への転身」は、日本の原発安全神話をつくりだし、マスメディアのチェック機能をマヒさせた要因、すなわち、原子力ムラ=電力「利益共同体」の一画を形成していたとして厳しく検証されている。
┌─────────────
◆おもな参考図書
└─────────────
- 電力業界とくに関電や、政府の原子力推進組織(「日本原子力文化振興財団」など)と深く関わり、批判的な検証や調査報道、告発本などで実名があげられている元朝日新聞の幹部、論説委員、記者らについて、参考となる図書。
- 以下、一般的なメディア批判、ルポルタージュなどをふくむ。★お奨め。
◆発行年が2000年まで
(1) 室田武
☆『原子力の経済学――くらしと水土を考える』(日本評論社、1986年新版)。
(2) 槌田敦
★『石油と原子力に未来はあるか――資源物理の考えかた(増補版)』(亜紀書房、1989年)…40年以上前に「原発の破綻」を見抜いた科学的予言書。
(3) 稲垣武
☆『「悪魔の祓い方」を教えます――朝日新聞の「世論操作」手口を全解剖』(PHP研究所、1997年)。
(4) 高木仁三郎
☆『巨大科学の思想批判』(恒星社厚生閣、1979年)。
★『市民の科学をめざして』(朝日選書、1999年)…絶望的な構造に対抗するための希望の書。
◆発行年が2001~11年
(5) 武田徹
★『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』(勁草書房、2002年)…「空気(情緒)」が決めていく日本社会の告発。
★『原発報道とメディア』(講談社、2011年)…メディアの「大本営発表」のメカニズム。
(6) 松本哉ほか(週刊金曜日編)
☆『「原子力ムラ」の崩壊――利権まみれの原子力政策の正体を暴く』(株式会社金曜日、2011年)。
(7) 森功、伊藤博敏、川端幹人、西岡研介、寺澤有ら
☆『誰も書けなかった日本のタブー、原発と山口組と芸能裏人脈編』(宝島社、2011年)。
(8) 三宅勝久
☆『日本を滅ぼす電力腐敗』(新人物往来社、2011年)。
◆発行年が2012~19年
(9) 恩田勝介
☆『原子力ムラの陰謀――「安全神話」に隠された欺瞞と利権の構造』(ソフトバンク新書)、2012年)。
(10) 一ノ宮美成、高橋篤史、広瀬隆、小出裕章、鈴木智彦、神林広恵ら
☆『原発再稼働の深い闇』(宝島社、2012年)。
(11) 伊東光晴
☆『原子力発電の政治経済学』(岩波書店、2013年)。
(12)『いいがかり』編集委員会(編集代表:鎌田慧、花田達朗)
☆『いいがかり 原発「吉田調書」記事取り消し事件と朝日新聞の迷走』(七つ森書館、2015年)
(13) 小森敦司
☆『日本はなぜ脱原発できないのか「原子力ムラ」という利権』(平凡社、2016年)。
◆発行年が2020年~
(14) 山崎雅弘
★『戦前回帰――「大日本病」の再発 増補版』(朝日新聞出版、2021年)…現代の政治状況と歴史の不気味な一致を告発。
(15) 辻田真佐憲
★『「戦前」の正体』(講談社、2023年)…メディアが煽る情緒的な精神論。
(16) 清武英利
☆『記者は天国に行けない』(文藝春秋、2025年)。
(17) 青木美希
★『なぜ日本は原発を止められないのか?――「安全神話」に加担した政・官・業・学そしてマスコミの大罪』(文春新書、2023年)…「原子力ムラ」のシステムに切り込む。朝日が道を切り開いた原子力PR広告。著者は大手新聞の記者(記者は2020年4月まで)。
★『それでも日本に原発は必要なのか?――潰される再生可能エネルギー』(文春新書、2026年)…高市政権で加速する原発シフトの闇に迫る。記者職を外されても私は書き続ける!
▼原子力ムラの相関図、『日本と原発』より(C)Kプロジェクト

┌─────────────
◆「関西電力 闇歴史」の中の関連項目
└─────────────
◆118◆ 佐高信『徹底抗戦』(旬報社、2020年)
- 関電と原発推進の異常識…美浜2号機事故でエネ庁に反発したが、それを知られると、慌てて謝罪するお粗末な関電幹部。
→◆002◆ - 関電の「二・二六事件」…芦原義重・代表取締役相談役名誉会長と腹心の内藤千百里[ちもり]・副社長らの取締役退任決議。
→◆036◆ - 関電の反原発町長暗殺指令。
→◆005◆ - 電力総連の責任も重い。森山栄治・高浜町元助役と関電幹部との間の原発マネー不正還流。
→◆018◆ - 高木仁三郎が語る「少なからぬ誘惑」の一つ、当時の3億円は100億円か。
- 森山栄治を極悪人にした関電の八木前社長らは、札の付いていないもっとも危険な不良。
◆122◆ 関電と地震研究者の“癒着”
- 関電と地震研究者の“癒着”、研究者が原子力ムラの一端をになう!
日本の地震研究のリーダー格であった東大名誉教授が
関電副社長の“激励と協力を賜って”組織した「古地震研究会」で
若狭湾で巨大な地震や津波が起こったことはないとしている。
【◆131◆←←関西電力 闇歴史→→◆133◆(未)】
