◆2026/7/14 原子力規制行政を追認し、住民の安全を切り捨てた不当判決

―京都・大飯原発運転差止等請求事件京都地裁判決と報告集会―

  • 山本 雅彦(原発住民運動福井・嶺南センター事務局長)

14年に及ぶ全国的な規模の原発差止訴訟に不当判決

2026年7月14日、京都地方裁判所第6民事部は、大飯原発運転差止等請求事件について、原告らの請求を退ける判決を言い渡した。福島第一原発事故後、14年近くにわたって続けられてきた大規模な原発差止訴訟に対する判決であったが、裁判所は原告らが訴えてきた地震・地盤の危険性や避難計画の実効性について正面から向き合うことなく、原子力規制委員会の審査と判断を事実上追認した。

判決後、弁護団は「裁判所に付託された行政の監視役、住民・市民の人権確保の役割をかなぐり捨てた判決」であるとする声明を発表し、控訴する方針を明らかにした。

本訴訟は、2011年3月の東京電力福島第一原発事故を受け、翌2012年11月29日に第1陣が提訴した。その後、第7陣まで提訴が続き、原告は3457人に達した。約7割が京都府民であるが、大飯原発が立地する福井県をはじめ、滋賀、大阪、兵庫、奈良など広範な地域の住民が参加する全国的な集団訴訟となった。

裁判が続く中、関西電力は2017年12月、大飯原発1、2号機の廃炉を決定した。弁護団・原告団は、全国で唯一、大飯1、2号機を差止請求の対象としていた本訴訟と、市民による長年の脱原発運動が、関西電力を廃炉決定に追い込んだとしている。原告らの請求が今回の判決で退けられたとしても、この14年間の裁判と運動が残した成果まで否定されるものではない。

「規制委員会が認めれば安全」という判決

判決後の記者会見で、弁護団は今回の判決の最大の問題について、新規制基準に適合し、原子力規制委員会の許可を得ていれば原発の安全性は確保されているとして、原告らが具体的に指摘した危険性をことごとく退けた点にあると批判した。

原告・弁護団が特に重視してきた争点は三つあった。

(1)最新の科学的知見を切り捨てた地震判断

第一は、基準地震動と地震想定の問題である。

原告側は、現在の地震学が発展途上の学問であり、熊本地震、能登半島地震などによって、それまで十分に想定されていなかった地震現象が次々に明らかになっていることを指摘した。原発のように一度の重大事故が極めて深刻な被害をもたらす施設では、最新の科学的知見を不断に取り入れ、より安全側に立った地震想定を行わなければならない。

ところが判決は、新しい知見について「確立した知見ではない」などとして考慮する必要性を認めず、関西電力が提出した資料と原子力規制委員会の審査結果を基本的に受け入れた。

浜岡原発データ不正が突きつけた審査の限界

この判断は、2026年に発覚した中部電力浜岡原発の基準地震動策定をめぐるデータ不正問題を考えれば、重大な問題を含んでいる。

浜岡原発では、原発の耐震安全性の根幹となる基準地震動の策定過程において、事業者が提出するデータの信頼性そのものが問われる事態となった。規制委員会の審査に合格したという事実だけをもって安全性を推認することができないことは、すでに現実の問題として示されている。

弁護団は、関西電力について同様のデータ改ざんが行われた証拠があると主張しているのではない。しかし、基準地震動の算定過程で事業者が数値を「値切る」ような姿勢を示してきたことや、基礎データが十分に公開されていない問題を指摘し、事業者と規制行政に対する司法の独立した検証が不可欠であると訴えた。

それにもかかわらず、裁判所は規制委員会の判断を事実上の安全証明として扱ったのである。

(2)敷地地盤の不均質性を軽視

第二は、大飯原発の敷地地盤の不均質性である。

原告側は、関西電力自身が規制委員会に提出した資料などを分析し、敷地内に地震波を局所的に増幅させる可能性のある不均質な地盤が存在することを指摘した。

原発の耐震安全性を評価する場合、平均的な地盤構造だけを見るのでは不十分である。局所的な地盤の脆弱性や地震動の増幅可能性が指摘された以上、原発事業者側が安全性を具体的に立証する必要がある。

しかし判決は、原告側専門家の指摘を限定的、部分的なものとして退け、規制委員会の審査結果を追認した。

弁護団は、具体的な危険性が科学的根拠をもって指摘されたにもかかわらず、事業者側に十分な説明と立証を求めなかった点について、立証責任の観点からも重大な問題があると批判した。

(3)避難できない現実に答えなかった裁判所

第三は、避難計画の実効性である。

原告側は、国際的な原子力安全の考え方である「深層防護」において、重大事故発生時の住民避難を含む防災対策が最後の防護層として位置づけられていることを指摘した。

裁判では、舞鶴市など原発周辺地域の住民が、地震と原発事故が同時に発生すれば道路の寸断や交通渋滞によって避難できない実態を証言した。また、福島第一原発事故の避難者も法廷に立ち、情報不足の中で避難を強いられ、避難先が放射線量の高い地域であった経験などを具体的に証言した。

しかし判決は、法令に基づく防災体制や避難計画が存在することを重視する一方、原告らが指摘した交通渋滞、複合災害による道路寸断、屋内退避ができない住宅の存在、避難を支援する自治体職員の被ばくなど、現実に生じる具体的問題に十分答えなかった。

弁護団は、「法律上、制度が存在しているから大丈夫だという建前論に終始している」と厳しく批判した。

とりわけ問題なのは、判決が原発の安全性と避難計画を事実上切り離したことである。過酷事故は起こらない、あるいは放射性物質が大量に放出される具体的危険性は認められないとして、避難計画の実効性を原発運転の安全性判断の要件とは認めなかった。

しかし、福島第一原発事故が示した最大の教訓の一つは、「事故は起こらない」という前提に立った原子力防災が破綻したことであったはずである。

「命と命で向き合ってほしい」―報告集会で相次いだ怒り

報告集会では、判決に対する怒りと失望が相次いで語られた。

福島県南相馬市から京都に避難した原告は、「京都の人たちに私と同じ思いをしてほしくない」との思いから訴訟に参加し、法廷では裁判官に「命と命で向き合ってほしい」と訴えてきたと語った。

若者気候訴訟の原告として活動する青年は、初めて原発裁判を傍聴し、「脱力を超えて言葉を失った」と述べながらも、将来世代のために声を上げ続ける必要性を訴えた。

木原壯林さん(京都市在住)は、規制委員会は原発の絶対的安全性を保証しておらず、裁判所こそ事故リスクと原発の社会的必要性を判断すべきだと指摘。全電力の1割にも満たない原発のために巨大な事故リスクを負う必要はなく、原子力産業の利益のために原発を動かす政策を厳しく批判した。

筆者(福井県敦賀市在住)は、浜岡原発のデータ不正問題に触れ、「関西電力が不正を行っていないというだけで安全性が証明されるわけではない」と指摘した。原発立地地域では老朽原発の運転に強い不安を抱く住民が少なくなく、裁判闘争とともに地域住民との対話と世論形成を続ける重要性を強調した。

また、山田耕作さん(京都市在住)からは、データの改ざんや恣意的な選択は科学の根幹を破壊する行為であり、科学的事実に基づいて原発の安全性を検証し続けなければならないとの発言があった。

行政の追認ではなく「生命を守る司法」を

14年間に及ぶ裁判で、原告と弁護団は、地震学、地震工学、地質学、原子力防災などの専門的知見を積み上げ、福島第一原発事故の被害者や原発周辺住民の具体的な経験を法廷に提出してきた。

しかし今回の判決は、それらの科学的知見と住民の証言を踏まえて原発の安全性を独立して判断するのではなく、原子力規制委員会の審査結果を安全性判断の出発点とし、同委員会の判断に明白な不合理性がない限り司法は介入しないという姿勢を示した。

ここに今回の判決の本質的問題がある。

原発事故によって生命、健康、生活基盤、地域社会が回復不能な被害を受ける可能性がある以上、裁判所には行政判断を追認するのではなく、科学的不確実性を含めて原発の危険性を独立して検証する責任がある。

原子力規制委員会が審査したから安全である、法令上避難計画が策定されているから住民は避難できる――そのような形式論では、福島第一原発事故の教訓を生かすことはできない。

たたかいの舞台は大阪高等裁判所に

判決後、弁護団・原告団は直ちに控訴する方針を表明。たたかいの舞台は大阪高等裁判所に移る。

浜岡原発のデータ不正問題によって、事業者が提出するデータの信頼性と、それを前提とする規制委員会の審査能力が改めて問われている。

能登半島地震は、現在の科学的知見だけでは自然現象のすべてを予測できないことを示した。そして福島第一原発事故から15年以上が経過した現在も、多くの被害者が故郷を奪われ、事故の被害は続いている。

今回の京都地裁判決は、原発の安全性を誰が、どのような立場から判断するのかという根本問題を改めて私たちに突きつけた。

行政と事業者の判断を追認する司法でよいのか。それとも、科学的知見と現実の被害に向き合い、生命と人格権を守る最後の砦としての役割を果たすのか。京都・大飯原発運転差止訴訟は終わっていない。

以上