◆原告第45準備書面
―避難困難性の敷衍(避難所の問題点について)―

2018年(平成30年)1月12日

原告第45準備書面[147 KB]

原告第45準備書面
―避難困難性の敷衍(避難所の問題点について)―

原告第6準備書面において、避難困難性について述べたが、本準備書面では阪神淡路大震災を体験した原告高瀬光代の体験をもとに学校を避難所として避難困難性に関する個別事情について述べる。

第1. 学校を避難所とすることの問題点

1995年1月17日、阪神淡路大震災がおこったさい原告高瀬が勤務していた中学校が、避難所と指定され、8ヶ月後に指定が解除された。しかし、学校は、生活の場所としての機能が全くないため、下記の問題が発生した。

第一に、プライバシーが全く保障されていない。当時学校周辺は木造住宅のみならず、鉄筋のマンションも傾いたり、倒壊したりしたため、直後には約3000名が高瀬の勤務していた学校に避難してきた。このため、グランド、普通教室、体育館等学校中に人が溢れていた。プライバシーの保障されない空間であるため、結局、女子生徒は数日の間にいなくなった。また、体育館の床は硬く、とても寒く、高齢者には特に苛酷な状況であった。このため、多くの者が体調を崩し、大勢が密集して暮らしていたため、インフルエンザが流行した。

以上のとおり、学校の体育館は、夏は暑く、冬は寒く、床は硬く、生活の場所としては全く不適当である。自然災害などで危急の場合には地域住民の避難所にすることはやむを得ないが、原発事故のために避難を余儀なくされた者を迎える場所として、学校の体育館は不適当である。

第2. 学校の本来の役割

阪神淡路大震災が、おこったのは1995年1月17日であり、ちょうど受験準備のまっただ中であった。地域住民が被災し、校舎も被災し、生徒も教員も被災した中でも、全県一斉に行われる高校受験や、全国一斉に行われる大学受験などが行われた。一人一人の生徒にとっては一生を左右する重要なことであり、困難な中で必死に取り組まれた。生徒にとっては、学校生活のどの時期も一生に一度の、取り返しのつかない大切な時間であり、学習権の保障は学校の重要な責務であり、学校を避難場所とすることは、子どもたちの学習権に対する侵害である。

第3. 「原子力災害に係わる広域避難ガイドライン」について(甲427号証)

関西広域連合が、平成26年に策定した「原子力災害に係わる広域避難ガイドライン」によれば、原発事故が起きた場合に、避難が見込まれる25万人について受け入れ調整を行っており、多くの学校が避難所として指定されている。突然の原発事故により、僅かの所持品しか持ち出せず、住み慣れた家を離れて避難せざるを得ない方々を迎える場所として、学校は適当な場所ではない。避難場所として不適切な学校を避難場所として指定するのではなく、原発自体を廃炉にするべきである。

以上

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