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◆12/8の第27回口頭弁論の報告
 ~救援新聞より

  • 救援新聞 京都版No.1414 2021年1月5日
    橋本宏一(日本国民救援会京都府本部 事務局長)

火山噴火や避難の困難性など主張

大飯原発差止京都訴訟第27回口頭弁論

◆大飯原発の稼働差し止めと安全を脅かしている慰謝料の請求などを求めて京都などの住民3323人が、関西電力と国を相手に起こした裁判の第27回口頭弁論が、12月8日、京都地裁(第6民事部合議係・池田知子裁判長)101号法廷で開かれました。今回は裁判所が弁護団10席、原告を6席、傍聴席を44席(88席ある)に制限。原告の多くが抽選で傍聴席に座るなかでの進行となりました。法廷では、原告代理人の谷文彰弁護士が第72、岩橋多恵弁護士が第73準備書面の要旨を陳述。南丹市日吉町在住の原告・吉田邦子さんが避難の困難性についての意見陳述をしました。その大要は次のとおりです。

谷文彰弁護士―原子力規制庁が大山噴火の予想される噴出規模を5キロ立方メートル、大飯原発付近の降下火砕物は最大10センチ堆積としてきた基準を見直し、2019年5月29日、噴出規模11キロ立方メートル、降下火災物25センチメートルに改定し、許可基準は不適合となった。規制委員会は関電に設計変更をして許可申請をするよう命じた。関電は2019年9月26日、安全性に問題がないと許可申請をして審議中だが、許可が確認されないのに運転を続行している。ただちに停止すべきだ。さらに大型航空機の衝突などテロリズムによる重大事故に備え必要な機能が損なわれないよう対策施設の設置期限が22年8月24日に定められているが、設置完了のめどはたっていない。この許可基準規則に適合していなのだから運転をしてはならない。先の大阪地裁判決でも想定される基準値振動に適合していないことから運転を許可した違法を認定した。

岩橋多恵弁護士―東京電力福島第1原発の事故後、原子力規制委員会の「原子力災害対策指針」に基づいて、原発5キロ圏、30キロ圏自治体が「避難計画」を策定、大飯原発についても17年10月「緊急時対応」が策定され、20年7月改定された。しかし、原発事故の被害は同心円状にひろがるものではなく、30キロ圏内に区切れない。避難手段も、原則バス移動としているが、バス会社からの必要台数、運転手の確保の問題、道路の渋滞、さらには地震、津波による道路の寸断、家屋の倒壊、冬季の積雪も想定され、放射能汚染や密になることへの対策、移動先の確保などが欠落している。避難計画は「その時になってみないとわからない」というに等しい。30キロ圏内での屋内避難にしても、窓を閉めていれば安全が確保される根拠はない。内部被ばくの危険もあるし閉開時期の基準もない。地震が起きての屋内はより危険。すべての住民を安全に避難させる合理的で実効性のある具体的計画はとうてい無理。原発を稼働させず、すみやかに廃炉にすることこそが住民の安全を確保する道だ。

吉田邦子さん―南丹市日吉町に住んで50年。大飯原発から約45キロ、高浜原発から40キロ、山に囲まれた地域で多くの人は勤めながら
農業を営んでいる。四季折々の美しい豊かな自然を守りたいと思っている。しかし、原発が近くにある不安が去らない。地震による福島の原発のような事故が起こればどうなるか、南丹市のパンフレットに避難のこ
とが書かれているが、日吉町のような30キロ圏外の避難場所は書いてない。北からの風がよく吹くし、屋内避難をいつまでもできない。高齢者が多く車の運転のできない人も多く、避難も困難。田畑が放射能汚染されたら暮らせない。原子力災害は将来にわたって自然を破壊し回復できない被害を人にもたらす。再稼働中止、廃止を求める。

◆次回28回口頭弁論は、2月25日(水)午後2時30分から、101号法廷で。

裁判所周辺を脱原発デモ

◆裁判開始前の12時10分には、32人が京都弁護士会館前に集合。富小路通から丸太町通へ出て西へ、裁判所前を柳馬場通へ南下、夷川通を東へ、寺町通から丸太町通へ一回りするデモ行進で市民にアピールしました(写真)。「大飯はキケン、自然を守ろう、子どもを守ろう、老朽原発動かすな」などのコールを響かせました。

今後のたたかいへ―裁判報告集会

◆裁判終了後は鴨沂(おうき)会館で報告集会が開かれ約50人が参加しました。竹本修三原告団長のあいさつのあと、法廷で陳述した岩橋、谷両弁護士や吉田さんなどが感想と今後のたたかいへの思いを語りました。渡辺輝人弁護団事務局長は、裁判が大詰めを迎える段階に来たことを報告、これからは証人調べの計画を決めるとの見通しを示しました。また、改定前に裁判所内で、裁判内容を知らせる文書を配布していたら裁判所職員が文書を見せるよう要求し、配布をやめさせたこと(法廷の中で配布した)が出され、いままで自由にしてきたのに何を根拠にやめさせるのか、自由にできないのはおかしい、などの声もあがり、改めて申し入れをすることになりました。

◆12/8 第27回口頭弁論の報告

2020年12月8日(火)に京都地裁で第27回口頭弁論が開かれました。

  • 当日,弁護団より,下記2つの準備書面が提出されました。
    ・三宅式・避難計画の問題点まとめ(第73準備書面
    ・火山及び特定重大事項等対処施設等に関する許可基準への不適合(第72準備書面
  • 原告の吉田邦子さん(京都府南丹市日吉町)からは、避難の困難性について意見陳述がありました。
  • 12:15から定例の裁判所周辺デモを行いました。弁護士会館前正面入口を出発点として,富小路通を北上し,丸太町通を西に曲がり,柳馬場通りを下がって戎川通を東に折れて,寺町通を北上して,丸太町通りを西に曲がるコースです。参加者は32名でした。
  • 14:30より京都地裁1階の大法廷で第27回口頭弁論が開かれましたが,コロナウィルス蔓延の影響のため,参加者は,制約されました。原告席の原告は6名のみ(他に弁護団10名)、傍聴席は半分の44席ほどになりました。
  • 14:30から鴨沂高校の北側の「鴨沂会館」で模擬法廷が開かれましたが,多くの人がそれに参加していただきました。
  • 閉廷後,「鴨沂会館」で報告集会が開かれ,約50名が参加しました。

◆第27回口頭弁論 原告提出の書面

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【原告】裁判資料ーー準備書面、意見陳述こちらへ
└─────────────────────────────────
┌─────────────────────────────────
【原告】裁判資料ーー証拠説明書と書証(甲号証)→ 以下に
└─────────────────────────────────


第71準備書面 関係]証拠説明書 甲第520~521号証
(2020年2月26日)

甲第520号証
口頭弁論要旨(原告 吉田邦子)

・甲第521号証(南丹市のホームページ→こちら)。
南丹原子力防災パンフレット(京都府南丹市総務部総務課)


★[第72準備書面 関係]証拠説明書、書証 なし
(2020年12月3日)


第73準備書面 関係]証拠説明書 甲第523~528号証
(2020年12月3日)

・甲第523号証
 甲第523号証-1 4分の1 大飯地域の緊急時対応(全体版の51頁まで)
 甲第523号証-2 4分の2(全体版52頁~)
 甲第523号証-3 4分の3(全体版104頁~)
 甲第523号証-4 4分の4(全体版149頁~)

甲第524号証
 大飯地域の緊急時対応(改定について)

甲第525号証
 概要版

甲第526号証
 原子力災害対策指針(新)(令和元年7月3日一部改正)

甲第527号証
 京都市における原子力災害対策にかかわる調査報告(2019年度日本共産党京都市会議員団委託調査)46~59頁

甲第528号証
 「屋内退避における内部被ばくの低減効果」廣内論文


【注】裁判資料ページ全体の構成変更にともない、第27回口頭弁論から、前回までのタイトル「原告提出の書証」を、「原告提出の書面」に変更しています。内容的には、証拠説明書と書証を掲載している点で、ほぼ同じです。(ページの上のプルダウンメニューから入る場合と、右の更新情報から入る場合と、両方に対応する形にしました。)


◆12/8 第27回口頭弁論のお知らせ

・コロナウイルスの感染拡大のため、3/3と6/2の口頭弁論が取消になりました。
・12/8の期日は、前回の9/8に続いて、今年2回目の期日となります。
・しかし、現下の状況のため、原告席、傍聴席ともに半数程度に削減を余儀なくされています。
・そういう中ではありますが、可能な範囲で多くの皆さまのご参加をお待ちしています。

◆原告の意見陳述
・京都府南丹市日吉町の吉田邦子さん。大飯原発で事故が起こった場合の避難の困難性

◆弁護団の準備書面
・大飯3、4号機の特定重大事故等対処施設について
・避難計画「大飯地域の緊急時対応―2020.7改訂版」の問題点
・関西電力の金品受領問題

◆タイムテーブル
・12:10…裁判所構内の南東角、弁護士会館の前に集合
・12:15…裁判所周辺の定例デモに出発。13:00頃まで
・13:25…傍聴券の抽選リストバンド配布開始。地裁北玄関前。傍聴は誰でも参加可能
・13:40…裁判所による傍聴席の抽選リストバンド配付終了
 直ちに抽選→傍聴券の配布
 抽選にもれた方、入廷を希望されず模擬法廷に参加される方は
 14:30までに鴨沂会館2階ホールの模擬法廷へどうぞ
・14:30…開廷、弁論開始。同時刻に模擬法廷も開始
・15:45頃から…閉廷後、鴨沂(おうき)会館2階ホールで報告集会。30~60分程度
 鴨沂会館アクセス→こちら

・ML登録をされている原告には、メール配信いたします。
・郵送を希望され登録済みの原告には、郵便でご連絡します。
・以下の画像のPDFファイルは、こちら。ファイル名は「2020-12-08.pdf」


 

 

◆京都府下の避難計画の非現実性

私たち原告の主張:ハイライト
2020/9/8 の第26回口頭弁論=裁判長の交代にともなう弁論更新の要旨「第3 6 京都府下の避難計画の非現実性」より…こちら

◆2018年3月に大飯原発3号機、5月には4号機がそれぞれ再稼働しました。再稼働に先立つ2017年10月、広域避難計画である「大飯地域の緊急時対応」が取りまとめられました。この問題点については、すでに原告第27、48準備書面などですでに主張したとおりですが、更新にあたり、改めてその問題点について申し上げます。

◆なお、この計画は本年7月に一部改定されています。この改定内容の問題点は改めて準備書面で主張いたしますが、基本的な問題点については何ら解決していません。むしろ新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、より問題は深刻となっていると言わざるを得ず、到底、住民の安全を守れるものではありません。

◆そもそも、この避難計画は、原発から5キロ圏内をPAZ、約30キロ圏内をUPZと定め、その範囲に含まれる自治体、その中に居住する住民のみが対象とされています。

◆しかしながら、そもそも原発で重大事故が発生し、放射性物質が放出された場合、その被害は、決して同心円状に広がるものでもなければ、ましてや30キロメートルの範囲にとどまるようなものではありません。このことは、福島第一原発事故の被害状況を見れば明らかです。このこと一つをとっても、この避難計画が住民の健康や安全を守ることのできないものだと言わなければなりません。

◆避難計画では、大飯原発で重大事故が発生した場合、UPZ圏内の住民に対しては、避難指示が出るまでの間、屋内退避が指示されます。しかしながら、原発が損傷するほどの大きな地震が起き、目の前で原発事故が進行している場面で、住民に対して屋内退避をさせ続けることが現実問題できるのでしょうか。福島第一原発事故の際も、事故が報じられた後、多くの住民が自家用車で避難を開始しています。原発事故、そして放射性物質による被害を考えれば当然です。屋内退避指示は、放射性物質が来るのを家の中で待てというようなものです。

◆そして、本年の改定で、「屋内退避を行う場合には、放射性物質による被ばくを避けることを優先して屋内退避を実施し、換気については、屋内退避の指示が出されている間は原則行わない」とされました。これは言うまでもなく、新型コロナウイルスの感染防止との関係です。感染対策において、政府はあれだけ「換気」を強調しながら、屋内退避の場面では換気はできないのです。このことは、新型コロナウイルスの感染防止と原発再稼働との間に深刻な矛盾を抱えていることを端的に示しています。

◆次に、避難指示が出された場合、対象となる住民は指定された避難先へバス等で避難することになります。ここでも新型コロナウイルスの感染防止との矛盾に直面します。もともとの計画は「バス1台当たり45人程度の乗車を想定」していました。満員のバスです。しかしながら感染症が流行しているときには「バス等で避難する際は、密集を避け、極力分散して避難」するものとされ、そのために「マスクを着用し、座席を十分離して着席する。追加車両の準備やピストン輸送等を実施する。」とされています。

◆もともとの計画が策定された時点で、京都府北部だけでは想定されるバスの必要台数を確保することができない。京都市内や京都府南部から原発事故の起こっている京都府北部に向けてバスを移動させなければならないという問題が指摘されていました。感染予防のため、さらにバスの台数が必要になるというのであれば、バスの台数は確保できるのでしょうか。そして、間隔を取り、感染予防対策を実施しながら避難するためには一体どれだけのバスの台数が必要になるのか、具体的な想定はなされていません。また、「感染者とは、別々の車両で避難」するともされていますが、その「別々の車両」の確保についても、具体的な手当てはされていません。

◆この避難計画においては、半島や沿岸部については船による海上を通じての避難が計画されています。舞鶴市大浦半島では、成生漁港、田井漁港等が利用する港の例として挙げられています。ここで例に挙げられている成生漁港は、2016年8月に実施された広域避難訓練において、船舶による避難訓練が予定されていながら、実際は訓練が行えなかった港です。海上保安庁の船舶による避難が計画されていながら、海上保安庁の船舶は、その大きさの関係で入港することができず、関西電力がチャーターした観光船も、悪天候により船を出すことができなかったのです。そして、この天候条件からすると、1年のうち約半分の期間は避難を行うことができないとも指摘されています。現に行われた避難訓練で具体的な問題点が指摘されたにもかかわらず、その点に応えられていない、まさに机上の避難計画だと言わざるを得ません。

◆この避難計画では、広域避難を行う場合の、避難先への移動経路が設定されています。しかしながら、国道27号線や舞鶴若狭自動車道、京都縦貫自動車道など、主要な道路が地震などで寸断された場合、その避難は極めて困難になります。

◆そして、道路が使用できなくなる状況は、決して地震に限りません。京都府北部では、冬は雪の問題もあります。2018年2月、福井県内で大規模な雪害が発生し、北陸自動車道は通行止め、国道8号線など主要国道も長時間にわたって通行できない状況となりました。国や各自治体、高速道路会社が持つ除雪能力を超えて雪が降ったのです。この点について、本年改定では「情報連絡本部を各府県の国道事務所に設置、対応」すると改定されました。しかしながら、そこで行うのはあくまで「調整」に過ぎず、そもそも除雪能力が拡充されなければ意味がありません。避難計画が、国や自治体、高速道路会社の除雪能力任せにしているのは極めて無責任な対応です。

◆原発において過酷事故が発生した場合、すべての住民を安全に避難させるなどということは到底困難なことであって、このような無理のある避難計画を策定しなければならないところに最大の問題があります。原発を稼働させず、速やかに廃炉にしていくことこそが住民の安全を確保する唯一の道です。大飯原発を含めあらゆる原発の運転をただちに中止することを求めます。

◆京都脱原発原告団の新しい案内パンフ

  • 原告団の運動,新しい原告募集,裁判の争点などをまとめています。
  • 事務局宛お申し込みいただければ,お送りします。
  • A4サイズで4ページ(A3を二つ折り)です。
  • PDFファイルのダウンロードはこちら(ファイル名: 2020-newpamph.pdf)。

新しい案内パンフp.1

新しい案内パンフp.2

新しい案内パンフp.3

新しい案内パンフp.4

◆口頭弁論(2020/9/8更新弁論)弁論要旨 全体

2020年9月8日

はじめに

 本日の更新弁論は、原告らが本訴訟において特に強調している三つの柱に基づいて行います。三つの柱とは、巨大地震発生の現実的危険性、大飯原発敷地の地盤の脆弱性、住民の避難計画の不備と避難の困難性の三つです。
 今日は、第一の柱について、原告団長の京都大学名誉教授の竹本修三氏にお話を頂きます。次に第2の点について、弁護団が弁論を行います。そして、第3の点について、原告の福島敦子氏にお話を頂き、また、弁護団が弁論を行います。

第1 巨大地震発生の現実的危険性
 別紙スライド参照。

第2 地盤特性についての原告ら主張の要旨
 大飯原発では、基準地震動【注1】(856ガル)超えの地震が起き、過酷事故が発生する危険があります。

【注1】地震動とは、特定の地点における地盤の揺れのことで、単位はガル(1cms²)である。基準地震動とは、原子力発電所毎に定められている耐震設計基準である。

 過去わが国では、何度も、基準地震動超えの地震が起きています【注2】。

【注2】平成17年8月16日宮城県沖地震女川原発、平成19年3月25日能登半島地震志賀原発、平成19年7月16日新潟県中越沖地震柏崎刈羽原発、平成23年3月11日東北地方太平洋沖地震福島第一原発、平成23年3月11日同上女川原発

 それは、基準地震動が過去の多数の地震の平均像をもとに策定されているからです。
 過去に基準地震動超えの地震が繰り返し起きていることと、基準地震動が平均像をもとに策定されている事実に、争いはありません。
 しかし、関電は、基準地震動超えの地震は起きないと主張しています。
 関電は、それを地域特性で説明しています。大飯原発の地盤には均質で堅硬な岩盤が広く分布している、地下に特異な構造は認められない、だから平均像を超える地震動は起きないのだと。
 このように、地域特性は関電の主張の柱に位置付けられています。本当に関電が言うとおりの地盤特性が認められるのか、本件で重要な争点となっています。
 関電は、地盤特性に関して関電自身が行った調査結果を規制委員会に報告しています。そのいくつかから明らかになった事実を紹介します【注3】。

【注3】地震動の振幅は、震動の伝わる速さ(すなわち、伝播速度)の速いところでは小さく顕われ、遅いところで大きく顕われる。そこで、地下構造の調査では、伝播速度を明らかにすることが重要になる。尚、地震動には、S波とP波がある。S波は進行方向に垂直に振動する波動であり、大きな揺れを起こす。P波は進行方向に平行に振動する波動であり、粗密波とも呼ばれる。

 尚、ここでは地域特性のうち地盤特性についてだけ触れます【注4】。

【注4】地域特性には、震源特性、伝播特性そして地盤特性(サイト特性)がある。

 【試掘坑弾性波探査】は、原子炉敷地に横穴(試掘坑)を掘り、その中に適当な間隔で地震計を置き、別の場所で人為的に震動を起こして、伝播速度を測定する方法です。地震計を震計を置き、別の場所で人為的に震動を起こして、伝播速度を測定する方法です。地震計を並べた横穴から離れた位置で震動を与える方法は、特にその形状からファン・シューティン並べた横穴から離れた位置で震動を与える方法は、特にその形状からファン・シューティングと呼ばれています。
 被告関電は、試掘坑弾性波探査調査結果から「解放基盤【注5】のS波速度を2.2km/s」」と説明しています。

【注5】解放基盤面とは、大飯サイトの場合、基準地震動が策定される所である。(原定義を基準地震動から見ての説明)

 しかし、正確に集計すると、S波速度は2.2km/sを下回っており【注6】、過大な速度を報告し、過大な速度を報告しています。また敷地の西側から東側に向けて速度が大きく低下し、地盤を通る破砕帯部分でています。また敷地の西側から東側に向けて速度が大きく低下し、地盤を通る破砕帯部分で速度が急変し、低下していました。速度が急変し、低下していました。

【注6】全体では全体では (2.1±0.3)km/s、
4号炉近傍では、 (2.2±0.3)km/s、
3号炉近傍では、 (2.0±0.4)km/s。

 堅硬な岩盤が広く存在しているとも、特異な構造が認められないとも言えないことが明らかになりました。


 【反射法地震探査】は、地表の探査測線上に密な間隔で多数の地震計を設置し、探査測線に沿って震源車が一定の間隔で人為的に振動を起こして、その地震波が地下の地層や断層に沿って震源車が一定の間隔で人為的に振動を起こして、その地震波が地下の地層や断層によって反射してくる反射波を測定して地下構造を探査します。

 これは反射法地震探査の結果を図化したものですが、関電は、特異な構造は認められないと説明しています。

 しかし、元物理探査学会長の芦田譲京大名誉教授は、典型的な回析波が認められるとコメントしており、特異な構造が認められないとは言えないことが明らかとなりました。
 反射法地震探査は、石油探査のために開発活用され、医療分野で超音波エコー検査として応用されています。当初は2次元でしたが、1990年代には3次元探査に発展し、コストはかかりますが情報量が膨大で高精度なため地盤構造を正確に把握するため広く利用されています。以下の図は、3次元反射法地震探査による3D表示の例です。新規制基準は「最先端の調査手法」を用いるべきで、「地下構造が成層かつ均質」でない場合は「三次元」探査が適切だと定めています。
 しかし関電は三次元探査を行わずに、特異な構造は認められないと主張しています。

(▼海洋探査の例)

(▼地上探査の例)3次元探査結果

(▼地上探査の例)任意方向震度断面

 【微動アレイ観測・地震干渉法】はいずれも、地面の微動を常時観測し、その微動から周期毎の速度(位相速度)を求め、そこから地下構造(速度構期毎の速度(位相速度)を求め、そこから地下構造(速度構造)を「推定」する方法です。
 政府地震調査推進本部HPによると、この方法は、簡単かつ経済的だが、「推定」にとどまり、地盤構造の詳細までを把握できないと指摘しています。より詳しい把握には、人為的に振動を起こしてする地震波伝播速度等の調査を併せて行うことが望ましとされています。
 関電は、この微動アレイ・地震干渉法の調査結果から、本件原子炉建屋は堅硬な岩盤(Vp=p=4.64.6KKm/sm/s、、Vs=2.2Km/sVs=2.2Km/s)の上に設置されている、地下に特異な構造は認められないと)の上に設置されている、地下に特異な構造は認められないとの関電モデルを主張しています。
 しかし、この関電モデルは恣意的な解析操作によって得られたものです。
 何より関電モデルは、地震本部が併せて調査すべきと指摘している、試掘抗弾性波探査や反射法地震探査の結果に矛盾していますが、関電はその矛盾に口をつぐんでいるのです。

 以上、地盤は均質で堅硬な岩盤が広く分布しているとも、地下に特異な構造は認められないとも言えず、平均像を超える地震動が起きないとは到底言えないのです。

第3 避難計画の不備と実際の避難困難性避難計画の不備と実際の避難困難性

2 避難計画の不備避難計画の不備に関する主張の位置づけに関する主張の位置づけ

 被告らの主張は、それ自体立証されていませんが、要は現在の科学的知見に基づいて過酷事故に至る可能性が十分に低い、というもののように思われます。しかし、この考え方自体が、我々が有する現在の科学的知見を過信するものであり、また一方では、過酷事故が生じたときには「現在の知見に基づいて想定外であった」という弁解を許す構造を持っています。福島第一原発事故の際に、事前には重大な事故は起こりえないとされ、事後には一部の科学者や政府が「想定外」を繰り返したことは何度でも思い起こされなければなりません。
 この点、世界的には「深層防護」「多重防護」の考え方が最も重要な指導理念とされてきました。原告ら第1準備書面、第5準備書面18頁でこのことを書いています。具体的には、第1防護レベルが「通常運転からの逸脱の防止」、第2防護レベルが「異常事象の検知・事故への発展の防止」、第3防護レベルが「設計基準事故の影響緩和」、第4防護レベルが「過酷事故への対応」、第5防護レベルが「事故に起因する放射性物質の放出への対応」です。米国の場合、さらに第6層で「立地」を考慮します。深層防護の考え方では、①「階層間の独立」と②「前段否定の論理」が充たされなくてはならないとされます。原発における過酷事故対策とは全く独立して、最大限の事故を想定して、住民の人権が保障されなければならないのです。
 日本のいわゆる新規制基準は、この深層防護という考え方自体が非常に不徹底であり、それ自体が大きな問題ですが、第5層について避難計画の整備や実効性は規制基準に取り入れてすらおらず、これ自体が規制基準の大きな不備です。原告らは第6準備書面でさらにこの点を詳述し、また、大飯原発で過酷事故が生じた場合にどのように放射性物質が放出されるのか、どのような被害をもたらすのかを述べています。なお、水道に関して言えば、琵琶湖が放射性物質で汚染されたときにもっとも被害を受けるのは、滋賀県民ではなく、琵琶湖疏水を大半の上水道の水源にしている京都市民であることも述べています。

3 福島第一原発事故における避難の困難性

 大量の放射性物質の放出を前提にした場合、どのように避難がなされ、その過程で人々の健康や命がどうなるのか。福島第一原発事故について、原告第53準備書面で詳しく検討しました。県別の震災関連死の数は、2017(平成29年9月30日の段階では、岩手県464名、宮城県926名、福島県2202名で、2202名のうち1984名が65歳以上の高齢者であった。震災とは別に福島第一原発の事故が起きた福島県だけ、人口比での震災関連死が多く、かつ、事故から6年経った段階でも震災関連死の伸びが続いているのであり、福島県では「原発事故関連死」という呼び方をするのです。具体的に見ても、地震後にがれきの下で助けを求めているのに、避難指示が出て救助を諦めた事例が報道されており、施設に入所していた高齢者が事故直後の混乱の中や、避難中に衰弱死した例が多数ありました。酷いものでは、事故後の混乱の中で、双葉病院の施設外に迷い出たまま行方が分からなくなった方すらいました。
 また、地震とは関係なく同時に発生しえる台風等の被害によって、避難が困難になる実態があることを第49準備書面で指摘しました。

4 逃げられない私たち

 原告らは、福島第一原発事故の実態も踏まえた上で、実際に過酷事故が起きた場合に、自分たちが避難困難であることを口々に述べています。
 京都市左京区久多(第19)、京都府南丹市美山町芦生(第68)など、大飯原発にもほど近い限界集落の住民が、逃げようにも逃げられない実情を訴えています。これらの限界集地震によるただでさえ幅の狭い道路の寸断や、豪雨や土砂崩れによる寸断、豪雪より道が閉ざされる事態になったときに、避難が事実上不可能であることは明らかです。
 両下肢機能障害を有する京都市左京区在住の原告(第41)が、避難所にたどり着けないこと、避難所が障害者に対応していないこと、障害者が避難すべき避難所が整備されていないこと、周りに迷惑を掛ける心理的抵抗など多くの理由で避難困難であることを訴えました。この点、障害者に限らず、避難所で発生する人権侵害的な過酷な状況は第45準備書面で述べました。また、多数の入院患者がいる丹後ふるさと病院の事務長(第57)が、多数の高齢者の患者を移動させること事態の困難性や、受け入れ先がないこと、家族も高齢化して助けに来られないこと等からの避難困難性を訴えました。
 また、京都府北部地域の舞鶴市や京丹後市の学校の先生が、避難した生徒たちのストレスの大きさや、保護者への児童生徒の引き渡しができないこと、また引き渡しが完了しない限り自分たちが避難できないことからの避難困難性を訴えました(第66)。
 今現在、障害を持たない住民であっても、京都府南部の住民ですら、実際に過酷事故が起
これば避難困難になることを次々に述べました(第30、第59、第63)。

5 行政の避難計画の不備

 また、原告らは、このような原告らの実情も前提にしながら、行政が策定した避難計画の問題点についても、舞鶴市(第8、第17、第50)、綾部市(第22)、南丹市(第25)、宮津市(第28)、京都市(第36)など自治体ごとのものや、これらをとりまとめた大飯原発に関する避難計画全体(第48)について問題点を指摘しています。
 その上で、実際に行われた広域避難訓練の問題点も指摘していますが、この点は代理人を交代します。

6 京都府下の避難計画の非現実性

 2018年3月に大飯原発3号機、5月には4号機がそれぞれ再稼働しました。再稼働に先立つ2017年10月、広域避難計画である「大飯地域の緊急時対応」が取りまとめられました。この問題点については、すでに原告第27、48準備書面などですでに主張したとおりですが、更新にあたり、改めてその問題点について申し上げます。なお、この計画は本年7月に一部改定されています。この改定内容の問題点は改めて準備書面で主張いたしますが、基本的な問題点については何ら解決していません。むしろ新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、より問題は深刻となっていると言わざるを得ず、到底、住民の安全を守れるものではありません。

 そもそも、この避難計画は、原発から5キロ圏内をPAZ、約30キロ圏内をUPZと定め、その範囲に含まれる自治体、その中に居住する住民のみが対象とされています。
 しかしながら、そもそも原発で重大事故が発生し、放射性物質が放出された場合、その被害は、決して同心円状に広がるものでもなければ、ましてや30キロメートルの範囲にとどまるようなものではありません。このことは、福島第一原発事故の被害状況を見れば明らかです。このこと一つをとっても、この避難計画が住民の健康や安全を守ることのできないものだと言わなければなりません。

 避難計画では、大飯原発で重大事故が発生した場合、UPZ圏内の住民に対しては、避難指示が出るまでの間、屋内退避が指示されます。しかしながら、原発が損傷するほどの大きな地震が起き、目の前で原発事故が進行している場面で、住民に対して屋内退避をさせ続けることが現実問題できるのでしょうか。福島第一原発事故の際も、事故が報じられた後、多くの住民が自家用車で避難を開始しています。原発事故、そして放射性物質による被害を考えれば当然です。屋内退避指示は、放射性物質が来るのを家の中で待てというようなものです。
 そして、本年の改定で、「屋内退避を行う場合には、放射性物質による被ばくを避けることを優先して屋内退避を実施し、換気については、屋内退避の指示が出されている間は原則行わない」とされました。これは言うまでもなく、新型コロナウイルスの感染防止との関係です。感染対策において、政府はあれだけ「換気」を強調しながら、屋内退避の場面では換気はできないのです。このことは、新型コロナウイルスの感染防止と原発再稼働との間に深刻な矛盾を抱えていることを端的に示しています。

 次に、避難指示が出された場合、対象となる住民は指定された避難先へバス等で避難することになります。ここでも新型コロナウイルスの感染防止との矛盾に直面します。もともとの計画は「バス1台当たり45人程度の乗車を想定」していました。満員のバスです。しかしながら感染症が流行しているときには「バス等で避難する際は、密集を避け、極力分散して避難」するものとされ、そのために「マスクを着用し、座席を十分離して着席する。追加車両の準備やピストン輸送等を実施する。」とされています。
 もともとの計画が策定された時点で、京都府北部だけでは想定されるバスの必要台数を確保することができない。京都市内や京都府南部から原発事故の起こっている京都府北部に向けてバスを移動させなければならないという問題が指摘されていました。感染予防のため、さらにバスの台数が必要になるというのであれば、バスの台数は確保できるのでしょうか。そして、間隔を取り、感染予防対策を実施しながら避難するためには一体どれだけのバスの台数が必要になるのか、具体的な想定はなされていません。また、「感染者とは、別々の車両で避難」するともされていますが、その「別々の車両」の確保についても、具体的な手当てはされていません。

 この避難計画においては、半島や沿岸部については船による海上を通じての避難が計画されています。舞鶴市大浦半島では、成生漁港、田井漁港等が利用する港の例として挙げられています。ここで例に挙げられている成生漁港は、2016年8月に実施された広域避難訓練において、船舶による避難訓練が予定されていながら、実際は訓練が行えなかった港です。海上保安庁の船舶による避難が計画されていながら、海上保安庁の船舶は、その大きさの関係で入港することができず、関西電力がチャーターした観光船も、悪天候により船を出すことができなかったのです。そして、この天候条件からすると、1年のうち約半分の期間は避難を行うことができないとも指摘されています。現に行われた避難訓練で具体的な問題点が指摘されたにもかかわらず、その点に応えられていない、まさに机上の避難計画だと言わざるを得ません。

 この避難計画では、広域避難を行う場合の、避難先への移動経路が設定されています。しかしながら、国道27号線や舞鶴若狭自動車道、京都縦貫自動車道など、主要な道路が地震などで寸断された場合、その避難は極めて困難になります。
 そして、道路が使用できなくなる状況は、決して地震に限りません。京都府北部では、冬は雪の問題もあります。2018年2月、福井県内で大規模な雪害が発生し、北陸自動車道は通行止め、国道8号線など主要国道も長時間にわたって通行できない状況となりました。国や各自治体、高速道路会社が持つ除雪能力を超えて雪が降ったのです。この点について、本年改定では「情報連絡本部を各府県の国道事務所に設置、対応」すると改定されました。しかしながら、そこで行うのはあくまで「調整」に過ぎず、そもそも除雪能力が拡充されなければ意味がありません。避難計画が、国や自治体、高速道路会社の除雪能力任せにしているのは極めて無責任な対応です。
 原発において過酷事故が発生した場合、すべての住民を安全に避難させるなどということは到底困難なことであって、このような無理のある避難計画を策定しなければならないところに最大の問題があります。原発を稼働させず、速やかに廃炉にしていくことこそが住民の安全を確保する唯一の道です。大飯原発を含めあらゆる原発の運転をただちに中止することを求めます。

以 上

◆口頭弁論(2020/9/8更新弁論)弁論要旨 原告 福島 敦子の意見陳述

2020年9月2日

 水は清き故郷(ふるさと)でした。
命がけで川へ戻ってくる鮭の躍動が、子どもたちに感動を与えてくれる故郷(ふるさと)でした。
北寄貝やいのはな、栗やまつたけ料理が季節の移り変わりを教えてくれました。
今は、除染をしても原状回復には至らず、「経済優先の復興、復興、復興」の故郷(ふるさと)になりました。
今まで癒しと恵みをもたらしてくれた私たちの故郷(ふるさと)の山や海に、何百年も消えることのない毒をまかれたのです。

 私は、福島県南相馬市より避難してきた福島敦子です。
福島第一原子力発電所の爆発当時は、川俣町そして、放射線量が最も高く示された福島市に避難しておりました。当時は、なぜ近距離の南相馬市より線量が高いのか解りませんでした。
一度戻ろうと思った南相馬市は13日には市の境に川俣町の警察署員などによりバリケードが張られ、入ることができなくなりました。
 2011年3月13日の夜、福島市飯坂町の小さな市民ホールの避難所には、800人以上の人が押し寄せました。地震のたびに携帯電話を手にする人々、消灯後の部屋がぼんやり青白く光り、夜中なのに大きな荷物をもってせわしなく足早に出入りする人々が寝ている子らの頭を踏みそうになります。放射能が多く降り注いだとされる15日には、仮設トイレまで雪が降る中、外に出て歩いていかなければなりませんでした。避難してからずっと外で遊べない子どもたち。ボランティアの人に風船をもらった娘たちは次々に飛び跳ねては上手にパスしあいます。足元には、心身ともに衰弱し体を横たえている大人が数人いました。わたしは、一番年長の娘に今すぐやめるよう強く言いました。辛抱強い娘はこどもたちにそれぞれ家族のもとへ戻るよう告げると、一人声を殺して泣きました。
 明け方のトイレには、壁まで糞便を塗りつけた手のあと。苦しそうな模様に見えました。
食べるものなどほとんど売っていないスーパーに何時間も並び買うものを選び、またレジ列に並びます。長い列の横に貧血で倒れている老女がいました。インフルエンザが蔓延した近くの避難所では、風呂に入ることができないため、温泉街までペットボトルに温泉水を汲みに行き、湯たんぽ代わりに暖を取る人がいました。
 ガソリンを入れるのに長時間並び、ガソリンを消費して帰ってきました。そのためより遠くへは避難できない人がたくさんいました。隣のスペースに、孫にかかえられて避難してきた年老いた人は、硬い床に座っていることがつらく、物資の届かない南相馬市へ帰っていきました。テレビで次々に爆発していく福島第一原子力発電所の様(さま)を避難所の人たちが囲んで観ている。毎日が重く張り詰めた空気の中、死を覚悟した人も大勢いた避難所の生活は、忘れられません。

 2011年4月22日、私は娘2人を連れ、京都府災害支援対策本部やたくさんの友人の力を借り、ごみ袋3つに衣服と貴重品をつめて、京都府へと3度目となる避難をしました。
その時に、貴重品以上に大切なものが私たちにはありました。『スクリーニング済証』というものです。
これを携帯しなければ、病院に入ることも避難所を移ることもできませんでした。私たちは、被ばくした人間として、移動を制限されていたからです。また、この証明書は、外部被ばくに限られた証明書であって、内部被ばくの状況は今もわかりませんが「黒い雨裁判」判決で認められ、広島長崎の原爆被害、チェルノブイリの症状でも明らかなように、血を受け継いでいくものであり、永遠の苦しみとなるものです。病気などほとんどしたことがない父(74歳)が、がんに冒され全身転移し入院し、亡くなりました。私の周りでも避難者含め命短くこの世を去る人がいる事は決して放射線の被ばくと無縁ではないと肌で感じじていています。
 京都へ避難してきてからは、居住地を決めたり、2日後に始業式がせまっている娘2人の学校の手続きをしたりしました。40歳の2人の子を持つ女性として、就職活動も始め自立することは大きな課題でしたが時給800円の6ヶ月期限の事務の仕事にかろうじて就くことができました。
学校では名前がふくしまということもあり、下の娘が『フクシマゲンパツ』『フクシマゲンパツ』とあだ名をつけられたこともありました。
 原発賠償京都訴訟の原告である子どもたちの心の調査をした結果、原発事故から陳述書作成までの間に80%の子どもに何らかの身体的異変があったこと、そしてそのうち「放射能の影響が考えられる症状の発症」が過半数の65%を占めていることがわかりました。
 事故から数年後の私の実家の庭の土を京都・市民放射能測定所で測定したところ、放射性セシウム濃度は、1平方mあたり93万ベクレルでした。子どものころにシャベルで穴を掘ったり、イチゴを摘んだり、母は長い年月をかけてコケを育てたりする自慢の癒しの日本庭園の土です。そのコケをはぎ、むき出しになったこの土、チェルノブイリ被災者救済法では移住必要地域にあたるレベルです。私の実家がある土地は移住すべきレベルなのです。
 私たちの暮らしは、その日その日を精一杯『生きる』ことで過ぎていきましたがもう10年。福島第一原子力発電所の原子力発電所の状況は収束せず放射能が放出し続けています。なぜ事故が起こったのかの具体的な理由も責任すら誰一人問われることなく、ただ被災した人々は日々の生活に疲弊し家族がどんどん崩壊し、避難者は避難者用住宅を追い出され避難先のコミュニティすら破壊され情報がほとんど報道されないこの世の中にあって人々は孤独に追いやられ経済的にも苦しくなりました。「原発事故はなかったこと」のように口にする人も減りました。除染をしても原状回復しない避難指示区域を次々に解除し生活インフラを整備したとしてももう元の町は戻りません。孤独死や、自殺する人を耳にすることが増えました。

 大飯原発の再稼働は、関西電力の経営努力の怠慢さ、原発マネーと呼ばれる原発稼働のための「悪質な慣習」も浮き彫りになり、地元の人々の不安と日本国民の原発に対する懸念の声、憲法を全く無視した人権侵害であり、日本最大級の公害問題であります。
 司法が、この日本国民の大きな民意を水俣裁判など多くの公害訴訟のように半世紀以上放置していることは許されません。真剣に向き合ってください。
 裁判長、こどもを守ることに必死な、懸命な母親たちをどうか救ってください。
 こどもたちに少しでも明るい未来をどうか託してあげてください。
 私たち国民一人ひとりの切実な声に、どうか耳を傾けてください。
 大飯原発の再稼働は、現在の日本では必要ないと断罪してください。
もう、私たち避難者のような体験をする人を万が一にも出してはいけないからです。
司法が健全であることを信じています。日本国民は、憲法により守られていることを信じています。

◆原告第74準備書面 - 避難 困難性の敷衍( 原告福島敦子の個別事情について)-

 原告第6準備書面において、避難困難性について述べたが、本準備書面では、福島から京都府京都市に移住した原告福島敦子の個別事情をもとに、避難困難性について述べる。

1 原告福島敦子について

 原告福島敦子は、福島第一原子力発電所の爆発後、川俣町、福島市に避難し、その後、京都市に避難してきたものである。

2 原告福島敦子の故郷について

 原告福島敦子の故郷は、水が清く、命がけで川へ戻ってくる鮭の躍動が、子どもたちに感動を与えてくれる故郷であった。北寄貝やいのはな、栗やまつたけ料理が季節の移り変わりを教えてくれた。現在は、除染をしても原状回復には至らず、「経済優先の復興、復興、復興」の故郷になった。今まで癒しと恵みをもたらしてくれた故郷の山や海に、何百年も消えることのない毒がまかれたのである。

3 福島第一原子力発電所爆発当時の状況について

 原告福島敦子は、福島第一原子力発電所の爆発当時は、川俣町そして、放射線量が最も高く示された福島市に避難した。原告福島は、事故後、南相馬市に一度戻ろうとしたが、南相馬市は2011年3月13日には市の境に川俣町の警察署員などによりバリケードが張られ、入ることができなくなっていた。
 2011年3月13日の夜、福島市飯坂町の小さな市民ホールの避難所には、800人以上の人が押し寄せた。地震のたびに携帯電話を手にする人々、消灯後の部屋がぼんやり青白く光り、夜中なのに大きな荷物をもってせわしなく足早に出入りをする人々が、寝ている子ども達の頭を踏みそうになる状況であった。放射能が多く降り注いだとされる同月15日には、仮設トイレまで雪が降る中、外に出て歩いていかなければならなかった。子どもたちは、避難してからずっと外で遊べなかった。
 ボランティアの人に風船をもらった子どもたちは次々に飛び跳ねては上手にパスしあっていたが、足元には、心身ともに衰弱し体を横たえている大人が数人いたため、原告福島敦子は、一番年長の娘に今すぐやめるよう強く言った。辛抱強い娘は、他のこどもたちにそれぞれ家族のもとへ戻るよう告げ、一人声を殺して泣いていた。
 明け方のトイレには、壁まで糞便を塗りつけた手のあとがあり、原告福島敦子には、苦しそうな模様に見えた。
 原告福島敦子は、食べるものなどほとんど売っていないスーパーに何時間も並び買うものを選び、またレジ列に並んだ。長い列の横に貧血で倒れている老女がいた。インフルエンザが蔓延した近くの避難所では、風呂に入ることができないため、温泉街までペットボトルに温泉水を汲みに行き、湯たんぽ代わりに暖を取る人がいた。
 ガソリンを入れるのに長時間並び、ガソリンを消費して帰ってきた。そのためより遠くへは避難できない人がたくさんいた。隣のスペースに、孫にかかえられて避難してきた年老いた人は、硬い床に座っていることがつらくて、物資の届かない南相馬市へ帰っていった。テレビで次々に爆発していく福島第一原子力発電所の様を避難所の人たちが囲んで観ていた。原告福島敦子にとって毎日が重く張り詰めた空気の中、死を覚悟した人も大勢いた避難所の生活は、忘れられない事態であった。

4 京都への避難及びその困難性

 2011年4月2日、原告福島敦子は娘2人を連れ、京都府災害支援対策本部やたくさんの友人の力を借り、ごみ袋3つに衣服と貴重品をつめて、京都府へと3度目となる避難をした。避難においては、貴重品以上に『スクリーニング済証』が、大切なものであった。原告福島たちは、被ばくした人間として、移動を制限されていたため、『スクリーニング済証』を携帯しなければ、病院に入ることも避難所を移ることもできなかった。
 『スクリーニング済証』は、外部被ばくに限られた証明書であって、内部被ばくの状況は今もわからない。
 これまで、病気などほとんどしたことがない原告福島敦子の父(74歳)が、がんに冒され全身転移し入院し、亡くなった。原告福島敦子の周りで避難者含め命短くこの世を去る人がいる事で、原告福島敦子は、決して放射線の被ばくと無縁ではないと肌で感じている。
 原告福島敦子は、京都へ避難後、居住地を決めたり、2日後に始業式がせまっている娘2人の学校の手続きをしたりした。原告福島敦子は、時給800円の6ヶ月期限の事務の仕事にかろうじて就くことができた。避難後は、子どもの入学の手続を行ったり、新たな職場を探したりしなければならない。就職先が、見つかる保障など無く、就職先が見つかるまでは、経済的に非常に厳しい状況が続くのであり、原発事故後、避難することは、多くの困難を伴うのである。
 また、学校では名前がふくしまということもあり、原告福島敦子の娘が『フクシマゲンパツ』とあだ名をつけられたこともあった。

5 原発事故は、かけがえのない故郷を奪う

 事故から数年後の原告福島敦子の実家の庭の土を京都・市民放射能測定所で測定したところ、放射性セシウム濃度は、1m2あたり93万ベクレルであった。原告福島敦子が子どものころにシャベルで穴を掘ったり、イチゴを摘んだり、原告福島敦子の母が、長い年月をかけてコケを育てたりする自慢の癒しの日本庭園の土である。そのコケをはぎ、むき出しになったこの土、チェルノブイリ被災者救済法では移住必要地域にあたるレベルである。私の実家がある土地は移住すべきレベルなのである。

6 大飯原発は今すぐ、廃炉にすべきである

 原告福島敦子たちの暮らしは、その日その日を精一杯『生きる』ことで過ぎ、10年が経過しようとしている。しかし、福島第一原子力発電所の状況は収束せず放射能が放出し続けている。原告福島敦子は、「なぜ、事故が起こったのかの具体的な理由も責任すら誰一人問われることなく、ただ被災した人々は日々の生活に疲弊し家族がどんどん崩壊し、避難者は避難者用住宅を追い出され避難先のコミュニティすら破壊され情報がほとんど報道されないこの世の中にあって人々は孤独に追いやられ経済的にも苦しくなっている」と感じている。除染をしても原状回復しない避難指示区域を次々に解除し生活インフラを整備したとしてももう元の町は戻らない。2度と原発事故が起こらないようにするために、大飯原発は今すぐに廃炉にするべきである。

以 上

◆9/8 第26回口頭弁論の報告

2020年9月8日(火)に京都地裁で第26回口頭弁論(裁判長交代に伴う更新弁論 )が開かれました。2020年4月から4人目の裁判長に代わり,この日から裁判官は,裁判長:池田知子,右陪席:光吉恵子,左陪席:荻原淳(京都地裁第6民事部)でした。

  • 当日,原告団より,下記2つの更新弁論がありました。
    竹本修三(原告団長)「地震国ニッポンで、原発稼働は土台無理スジ」
    福島敦子(原告団世話人)「水は清き故郷(ふるさと)でした」
  • このうち,原告団長の「地震国ニッポンで、原発稼働は土台無理スジ」という更新弁論 の 講演要旨(4ページ)と発表パワポ(5ページ)を示しておきます。
    ◆大飯原発差止京都訴訟 原告団長 竹本修三 報告集 → こちら
  • 当日の12:15から定例の裁判所周辺デモがありました。弁護士会館前正面入口を出発点として,富小路通を北上し,丸太町通を西に曲がり,柳馬場通りを下がって戎川通を東に折れて,寺町通を北上して,丸太町通りを西に曲がるコースです。
  • 14:30より京都地裁1階の大法廷で 第26回口頭弁論が開かれましたが,コロナウィルス蔓延の影響のため,参加者は,原告席・傍聴席ともに,通常の1/3以下しか入れませんでした。
  • 14:30から鴨沂高校の北側の「鴨沂会館」で模擬法廷が開かれましたが,多くの人がそれに参加してくれました。氏名記入者は,45 名でした。
  • 閉廷後,「鴨沂会館」で報告集会が開かれ,約75名が参加しました。

    鴨沂会館での報告集会

    鴨沂会館での報告集会