◆関西電力 闇歴史◆109◆

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◆関電の “安全無視文化” は、1980年代には既に定着!
 もうけ優先の結果、関電の原発で何が起こっていたか!

 (1) 一次冷却水のポンプが破壊寸前!――高浜原発、大飯原発
 (2) 放射能汚染水漏れを放置――美浜原発、大飯原発
 (3) 緊急停止回路を切っての曲芸運転!――美浜原発
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◆『決定版 原発大論争!』にみる関電の “安全無視文化”
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 この闇歴史◆109◆の内容は『決定版 原発大論争! 電力会社 VS 反原発派』(別冊宝島81号、1988年9月発行、1999年12月 宝島社文庫)によるものです。

 同書は、チェルノブイリ原発事故(1986年)以来、急速に高まる国民の批判の声を封じ込めるために、電力会社が作成した『内部資料・原子力発電に関する疑問に答えて』に対して、1988年、反原発派の論客、久米三四郎、小林圭二、生越忠、堀江邦夫、西尾漠、小出裕章、藤田祐幸、槌田敦、山口俊明、高木仁三郎ら15名が反論し、推進か廃炉かの「原発論争」を巻き起こした歴史的名著です。東海村臨界事故が起こった1999年に文庫版として復刻されました。現在も、amazonなどネット通販で中古本が入手できます。

 この闇歴史◆109◆の内容は、同書の中の「第三部 経済性 電力会社 VS 河田昌東」から、“傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」”(文庫版p.278~)に従ったものです。

 その著者、河田昌東さん(かわた・まさはる、同書肩書は名古屋大学助手)は、現在、「チェルノブイリ救援・中部」でボランティアをされています(関連記事→こちら)。関電はじめ電力会社の “安全無視文化” の闇歴史がいかに根深いものか、鋭く告発しています。

 以下、河田昌東さんの了承の下に引用してまとめ、その後に該当部分を転載しています。(転載は関電以外の部分は省略。漢数字の年号は算用数字に変換)

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1980年代から原発のコストダウン、経済最優先が叫ばれる!
 「ECCS(非常用炉心冷却装置)のような過度な付属設備は除去すべき」

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 1982~83年頃から、原発のコストダウンの必要性が声高に叫ばれだした。その背景には、原発の建設費が急上昇を続ける中、初年度発電原価が石炭とあまり変わらなくなったことがある。このままでは「原発の電気は安い」という経済性神話が崩れそうになってきた。その対処として、ハード面、ソフト面で対策が検討された。

ハード面では、原発建設費のコストダウン。
・設計の合理化。日本の原発は「安全すぎる」のでムダを省く。日本原子力産業会議の有沢広巳会長(当時)は「軽水炉のECCS(非常用炉心冷却装置)のような過度な付属設備は除去すべき」と主張(1986年)。
・原発設計の標準化。
・建設工期の短縮、つまり手抜き工事のすすめ。

ソフト面では、
・過剰検査の是正、つまり手抜き検査のすすめ。
・長期サイクル運転による稼動率向上。定期点検期問をできるだけ短縮し、運転期間をできるだけ延長する。

 このように、現代に至る「安全無視、経済性優先」の“安全無視文化”の流れが1980年代から始まっている。

【注】2023/11/15、関電は、原発の利用率向上に向けて、従来より長い期間の連続運転や点検の効率化に取り組む方針を示した。連続運転については、従来より2ヵ月長い15ヵ月への変更を検討とのこと。

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★以下は『決定版 原発大論争!』~傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」~から転載。
 
 原発のコストダウンの必要性が業界で声高に叫ばれだしたのは、原発の建設費が急上昇を続ける中、初年度発電原価が石炭とあまり変わらなくなり、このままでは“原発の電気は安い”という経済性神話が崩れそうになった1982~83年頃からである。
 
 この問題に対処するため、たとえば東京電力では、1982年9月、「原子力コストダウンプロジェクトチーム」を設置し、検討を始めている。原発メーカーや電力業界のワーキンググループが考え出した原発建設費のコストダウンのための処方筆は、次の三つである。
 
コストダウンの三つの処方箋
 
 第一に、設計の合理化。その具体的内容は、耐震設計や安全設計の見直し、というもので、要するに、日本の原発は“安全すぎる”のでムダを省いて身軽にし、これによって建設費の数%は下げられる、というものである。
 
 第二に、原発設計の標準化。これまでの原発建設は、建設地の地盤や地形などの地理的条件によって基礎工事などが違い、あるいは以前につくった原発で具合の悪かったところを手直ししたりしながら、一つひとつ、手作りに近いかたちでつくられていた。その結果がコスト上昇につながっている、と言うのである。だから“標準型を決め、余分な設計変更を行なわないようにしよう”というわけだ。
 
 第三は、建設工期の短縮、つまり手抜き工事のすすめである。工期が一ヵ月短縮されれば、建設費の0.2~0.3%程度は安上がりになると試算されていた。
 
 こうしたハード面でのコストダウンを実行すると同時に、ソフト面でも、たとえば、“過剰検査の是正”、つまり“手抜き検査のすすめ”や、“長期サイクル運転による稼動率向上”などが提案されている。
 
 建設費のコストダウンについては、日本原子力産業会議の有沢広巳会長(当時、1988年3月死亡)が、1986年4月8日に行なわれた同会議の第19回年次大会で、「軽水炉のECCS(非常用炉心冷却装置)のような過度な付属設備は除去すべきである。ある面だけ丈夫にしても、安全上意味がなく、ムダな投資である」と所信表明し、話題になった。ところが「それからわずか18日後の4月26日、ソ連のチェルノブイリ原発事故が起こると、日本では、原発推進側から、『(ゾ連炉は)欠陥炉だ、人為ミスだ」の声に混じって、「ECCSのスイッチを切っだのはけしからん」の大合唱が起こり、この有沢発言は、いつのまにか立ち消えになってしまった。もしチェルノブイリ原発事故がなかったら、日本の原発から、ECCSは省かれていたかもしれないのだ。
 
 さて、このようなコストダウン戦略の結果、日本の原発はどのような状況下に置かれることになったか、ソフト面に焦点をあてて見よう。
 
 コスト低減のために稼動率を上げるには、定期点検期問をできるだけ短縮し、運転期間をできるだけ延長する。これが長期サイクル運転である。そのために、さまざまな無理が行なわれ、原発事故につながっている。
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“安全無視文化”のもと、関電の原発では、何が起こったか!
 (1) 一次冷却水ポンプが破壊寸前!――高浜原発、大飯原発

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・1987年7月11日、定格出力運転中の高浜原発1号機で、一次冷却水ポンプの一台が異常音をたてて大きく振動したため、原子炉が手動停止された。原因は、関電が無届けで蒸気発生器内部に金具を取り付け、それが脱落したためと分かった。はずれた金具の一部は、原子炉内に入り込み、循環したらしい。

・この金具は、定期点検の期間短縮のために設置、その後は取り外すべきところ、次の定期検査に使えるとして、そのままにされていた。定期点検をたった四日間短縮するために、関電は、高浜1、大飯1、2、美浜2、3号機など、計5基の原発に同様の金具を取り付けており、さすがの原子力安全委員会も、これら原発の即時停止と金具の取りはずしを命じた。

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★以下は『決定版 原発大論争!』~傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」~から転載。
★冷却剤ポンプ破壊寸前!――高浜原発・大飯原発

 1987年7月11日、定格出力運転中の関西電力高浜一号で、一次冷却水ポンプの一台が異常音をたてて大きく振動したため、原子炉が手動停止された。原因は、それより三ヵ月前に、関西電力が通産省に無届で、蒸気発生器内に取り付けた重さ7.8キログラムの金具が、高速水流によって振動し、ボルトや止めピンがはずれて脱落、一次冷却水ポンプに巻き込まれたためとわかった。はずれた金具の一部は、原子炉内に入り込み、循環したらしい。この事故は、あと一歩すすめば冷却剤ポンプの破壊と停止、蒸気発生器細管の破断や燃料棒破損による放射能洩れにとどまらず、原子炉制御の最後の頼みの綱である制御棒の作動妨害など、メルトダウンにも核暴走にも発展しうる重大な事故であった。
 
 関西電力は、なぜこのような金具を付けたのだろうか。それまで、定期点検の際には、燃料棒の交換と蒸気発生器の点検を、順次、別々に行なっていたのだが、これを同時並行的に行なうことで点検期間を短縮しようとしたのである。そのために、蒸気発生器の一次冷却水の出入口に臨時の隔離蓋を取り付け、原子炉内の水が蒸気発生器内に流入しないようにした。点検が終わった後、この蓋は取りはずされたが、この蓋の取付金具は、次の定期点検でも使えるように、そのまま蒸気発生器に、ボルトで取り付けられたまま残された。これがはずれたのである。
 
 高浜一号の事故から五ヵ月後の12月17日、今度は大飯一号で同様の事故が発生し、住民の不安は高まった。関西電力は、高浜一号、大飯一・二号、美浜二・三号など、計五基の原発に同様の金具を取り付けており、たび重なる事故に、さすがの原子力安全委員会も、これら原発の即時停止と金具の取りはずしを命じざるをえなかったのである。この金具は、定期点検をたった四日間短縮するためのものだったが、経済性優先のために安全性を犠牲にした典型といえる。
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“安全無視文化”のもと、関電の原発では、何が起こったか!
 (2) 放射能汚染水漏れを放置――美浜原発、大飯原発

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・1987年5月28日、美浜原発3号機は、放射能を含む一次冷却水の水漏れがひどくなって原子炉を手動停止した。以前から毎時7.7リットルも漏れていたのだが、この日、12.5リットルにまで増加したので、やむなく原子炉を止め、修理した。

・1987年6月15日、大飯原発2号機で、放射能を含む一次冷却水が毎日100リットルも漏れながら、一年以上も放置、運転が強行されていたことが発覚。定期点検入りまでに470日間の長期連続運転を達成し、日本新記録をつくったのだが、こうした長期サイクル運転の裏には、30トン以上もの放射能汚染水漏れの放置という、信じがたい事態が続いていた。

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★以下は『決定版 原発大論争!』~傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」~から転載。
★150トンの放射能汚染水漏れを放置――美浜原発・大飯原発・福島第一原発

 1987年5月28日、関西電力美浜三号は、放射能を含む一次冷却水の水漏れがひどくなって原子炉を手動停止した。パイプのパッキング不良で、だいぶ前から毎時7.7リットルも漏れていたのだが、この日、12.5リットルにまで増加したので、やむなく原子炉を止め、修理したのである。
 
 1987年6月15日、関西電力大飯二号で、放射能を含む一次冷却水が毎日100リットルも漏れながら、一年以上も放置され、運転が強行されていたことが発覚した。関西電力は水漏れを知りながら、2月からの定期点検時までこれを隠し続けていたのである。実は、大飯二号は、この2月定期点検入りまでに470日間の長期連続運転を達成し、日本新記録をつくったのだが、こうした長期サイクル運転の裏には、30トン以上もの放射能汚染水漏れの放置という、信じがたい事態が続いていたのである。
 
 1986年、東京電力福島第一原発二号で定格出力運転中、10月9日から一次冷却水漏れが始まり(毎分約4リットル、一時間約240リットル)、しだいに増加し続けたが、東電は25日間も運転を続行し、11月3日になってようやく原子炉を止めた。原因は、再循環系配管の溶接部に「振動によるひび割れが生じたためであった。この問に漏れた放射能汚染水は、何と150トンにも及んだ。
 
 このひび割れは、パイプの破断と一次冷却水喪失による炉心空だきへと進む可能性があり、非常に重大な事故である。これとまったく同じ事故が、前年7月29日、日本原電の東海第二原発で起こったのだが、電力会社はこの教訓を生かさず、点検を怠っていた結果、同じことを繰り返したのである。
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“安全無視文化”のもと、関電の原発では、何が起こったか!
 (3) 緊急停止回路を切っての曲芸運転!――美浜原発

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・1986年8月2日、美浜原発1、2号機は、落雷によるタービン停止で、原子炉も緊急自動停止することになっていたのに、停止させなかった。緊急停止(スクラム)回路を切って、出力低下(7%まで)のまま、各種機器を大急ぎで点検、操作し、再び出力を回復させるという、曲芸運転をやってのけた。その操作は、警報を鳴らし、点滅する約100個のアラーム・ライトの一つ一つに対応するものであった。操作を誤れば、暴走事故につながりかねない綱渡り、曲芸としか言いようがなかった。
(このあたりは前掲書『決定版 原発大論争!』文庫版のp.19あたりも参考にしています)

・わずか3か月前に起こったチェルノブイリ原発事故が、緊急停止回路を切っての出力低下試験中に発生したことの教訓はどこに行っていたのか。

・しかし、このはなれ技というべき操作をした運転員は、会社から、よくやったと表彰され、金一封をもらっている。原発は止めると、再起動まで時間がかかるし、その間のコストも大きくなることから、原発は止めないことが、電力会社の儲けそのものに直結する。運転の継続を最優先した、恐ろしい安全無視!

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★『決定版 原発大論争!』~傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」~から転載。
★緊急停止回路を切っての曲芸運転!――美浜原発

 1986年8月2日、日本原電敦賀一号と関西電力美浜一、ニ号から送電を受けている変電所に落雷があり、変電所からの送電がストップした。そのため、負荷を失った上記三発電所のタービンが自動停止した。それに伴い、原子炉も緊急自動停止することになっていた(安全審査資料)のだが、この時、敦賀一号はスクラムしたのに、美浜一、二号はなぜかスクラムせず、出力低下(7%まで)のまま、各種機器を大急ぎで点検し、再び出力を回復させるというはなれ技をやってのけたのである
 
 この時は、当然、タービン停止で発せられるスクラム信号回路を切っていたはずである。この操作をした運転員は、会社から、よくやったとほめられ金一封をもらったとのこと。それというのも、原子炉はいったん停止すると、燃料棒内にキセノン毒が溜まり、数日間は運転が再開できないので、会社にとっては大損害を与えるからである。一旦止めれば数億円の損害を出す、と言われる原発を、いかに止めないかは、電力会社にとって死活問題なのである。
 
 このような緊急停止回路を切っての曲芸運転がいかに危険かは、この事故のたった三ヵ月前に起こったチェルノブイリ原発事故で証明ずみのはずだ。その“意図的操作ミス”を片方で大声であげつらいながら、他方では、このような危険を冒しているのである。チェルノブイリの運転員と美浜の運転員の違いは、「結果良ければすべて良し」ということだけなのだ。
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関電では、事故の日常化、原因を究明しない杜撰な体質がめだっている!
 「金だけ、今だけ、自分だけ」という“安全無視文化”は根深い!

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 関電の原発トラブルは、現在も相変わらず続いている。たとえば、蒸気発生器細管の損傷は、高浜原発3、4号機で、定期検査ごとに連続して発見されている(→◆071-2◆)。しかし、関電は、抜本的な原因究明をせずに、原因を推定したとして運転を再開、継続している。蒸気発生器細管の損傷は、大事故にもつながりかねない大きな問題であるにもかかわらず、規制委も関電の言い分をそのまま認めている。「金だけ、今だけ、自分だけ」という関電の“安全無視文化”は根深い。

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★以下は『決定版 原発大論争!』~傷だらけの原発たちが告発する電力会社のコストダウンと「金儲け」~から転載。
★稼動率競争で傷だらけの原発たち

 以上述べてきたように、日本の原発は今、炉型の違いを問わず、傷だらけの状態で運転されており、言わば、事故の日常化現象が起こってきている。1970年に大阪万博ではじめて原子の灯をともして以来、18年(88年当時)がたち、部品の劣化による事故があちこちで頻繁に起こるようになっているにもかかわらず、今や石油にさえ追い抜かれてしまった発電コスト低減のために、電力各社は少々の事故が起こっても原子炉を止めず、運転を続けながら修理する、などの稼動率競争に明け暮れているのである。
 
 無理やり運転と同時に、事故隠しも少なくない。監督官庁であるはずの通産省(資源エネルギー庁)が、電力会社に対して事故隠しを指示している事実さえ明らかにされ、地元の人びとの怒りをかっている。
 
 1986年11月27日、衆議院科学技術委員会で明らかにされたところによると、1986年の9月16日に起きた敦賀一号のECCSの高圧注水系配管からの水漏れ事故について、資源エネルギー庁は日本原電に対し「非公開とすること」を要求していた。これも、公開によって批判が高まり、原子炉を停止せざるをえなくなる事態を避けたい、という意図のあらわれである。
 
 このように、事故の日常化と事故隠しの体質は、すでに確証された厳然たる事実として、我われの目の前に明らかにされている。安全性を「犠牲にしたコストダウンはあり得」ないという電事連の主張のデタラメさを、原発そのものが、自らの事故史によって激しく告発し続けているのである。
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