◆第13回口頭弁論 意見陳述要旨

※ 第13回口頭弁論意見陳述はお二人でした。

池田豊さん  吉田真理子さん

大飯原子力発電所運転差止等請求事件 意見陳述
2016年11月28日
池田豊

大飯原発、隣接する高浜原発をめぐる原子力防災訓練について、住民避難に関連した初動の重要性と問題点、並びにその第一線で直接避難の判断と住民の誘導をしなければならない地方自治体と自治体職員の問題について、福島の原発立地自治体での調査も踏まえて話します。

■福島第一原発事故における立地自治体の初動について

福島第一原発の立地自治体である大熊町や、隣接し第二原発の立地自治体である富岡町では、14時46分の地震直後に災害対策本部を設置し、被害状況の調査と確認、大津波警報に基づく町民への避難の呼びかけと誘導、そして津波被害で行方不明となった住民の捜索などの業務に、町職員自身も被災しながら従事しました。数時間後には地震と津波から避難した住民の避難所運営、安否の確認、水や食料の確保と配布などの業務を続けました。

自治体がこれらの業務に全勢力をつぎ込んでいる間に、まったく同時並行で第一原発は15:42全交流電源喪失(原災法第10条通報)そして16:45非常用炉心冷却装置注水不能(原災法第15条通報)そしてメルトダウンへと暴走しました。

役場に東電からFAXは入るが詳細がわからない中で、大熊町の担当者はSBO(全電源喪失)になってもこれまでの原子力防災訓練では落ち着くとなっていたので、大丈夫だろうと思ったそうです。

また富岡町では。10条通報、15条通報の情報を確認することができず夕方遅くになってようやく情報が入り始めました。職員の中では「第10条がどういうことで、それが15条になると何なのか、どんな大事な意味を持つのかの認識がなかった。それよりも津波で行方不明者が出ている。探さなくては!という、目の前に広がった災害の対応に追われていた。」と記録しています。

ようやく19:05政府は原子力緊急事態宣言を出しました。20:50には福島県独自に第一原発1号機の半径2㎞の住民に避難指示。21:23には第一から半径3km以内に避難、10km以内は屋内退避の指示が出ましたが、大熊町、富岡町ともに情報は届きませんでした。

翌朝5:44に政府が第一原発から半径10㎞圏内の避難指示をだし、それによってようやく事態の深刻さが伝わり、全住民あげての避難が始まりました。その直前まで、津波による行方不明者の捜索などについて検討していたと証言しています。

大熊町に国より派遣された70台のバスに担当職員を全て配置することもできず、何台のバスに、何人の職員を添乗させ避難先での対応をするのか、何人が残ってその後の避難誘導するのか、残った住民の確認は誰がするのか、自治体として全住民避難の確認はどのように誰がするのかなど、自治体職員には一刻の猶予もなく瞬時の判断が求められました。100人足らずで1万人以上の住民を安全に避難させることは非常に困難です。

町に派遣されている東電職員からも正確な情報は入らず、警察ルートの情報や自衛隊ルートの情報の適切な共有もできない状態だったと証言しています。

■今回の広域避難訓練について

福島第一原発事故における大熊町や富岡町からも事故直後の初動対応がいかに重要で困難かがわかります。通常の自然災害や事故災害時の対応とは根本的に異なる困難さがあります。

今回の広域避難訓練は、全面緊急事態を想定したにもかかわらず、重要な事故直後の初動訓練は実質的に省略されたものとなっています。

9:00緊急事態宣言、9:10合同対策協議会でPAZ住民の避難実施方針が確認された後、なんとOIL2超が確認されてから24時間後へと一気に時を越えての訓練となっています。

このことは事故直後の実態と体制確立を実質的に無視したもので、訓練そのものの実効性を疑わざるをえません。

一つには、住民避難の司令塔となるオフサイトセンターに設置された合同対策協議会からUPZ自治体への情報伝達訓練はされたものの、初動時に最も重要な自治体内での情報伝達や各集落、住民、関係機関への情報伝達訓練がほとんどされていないこと。

第二に、各自治体の職員に対して、主な担当部署への配置は決められていたが、大規模な住民避難に対応できる体制の確認がされていないこと。

第三に、最も重要な緊急時モニタリング体制の確立と実測、報告、住民周知が不明確で、訓練内容の詳細が明らかにされていないこと。原子力災害対策指針では緊急時モニタリングの結果を緊急時モニタリングセンターで判断した後、必要な評価を実施して、OILによる防護措置の判断等のために活用するとなっていますが、今回はそのこと自体が省かれています。そのことは大変重要で、国は、まず緊急時モニタリングの体制確立をし、結果を正確に、分かりやすく、迅速に公表、地方自治体は、必要に応じて結果を独自に公表するとなっています。住民避難にとっては必要不可欠の内容です。

またモニタリング要員や自治体職員等の放射線防護対策や、派遣される自治体職員の緊急時モニタリングに関する技術研修、情報の伝達ルートの確認などは、必要最低限の重要な初動訓練であるはずです。また住民への情報提供のシステムなしの屋内退避訓練とはなんなのかも疑問と言えます。

以上の点だけをみても、今回の訓練が避難させる側、住民に情報提供し避難指示をする側の初動の訓練が省略されて、住民だけに的をしぼった避難訓練と言えます。

しかし、いかに住民の放射線被ばくを極力少なくし、より安全に避難させるかは、初動の避難させる側の訓練にかかっていると言っても過言ではありません。

福島における事故時の立地自治体の状況からもわかるように、初動時の対応が住民避難のカギをにぎり、その後の自治体再建にさいしても決定的に大きな影響を及ぼすことは明らかです。

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意見陳述

2016年11月28日
吉田真理子

私は吉田真理子と申します。1955年5月24日生まれの61歳で、宮津市須津に住んでいます。夫と2人暮らしですが、同じ敷地内の別の棟に夫の両親が住んでいます。

宮津市は高浜原発から30キロ圏にあり、過酷事故時には全市避難となります。大飯原発からは42キロ圏になります。

本日は、宮津市が今年3月に改定した避難計画と私が昨年参加した避難訓練についてお話しをさせていただきます。

【避難計画の問題点】

北部地域は、年に何度か大雪に襲われ、雪が30cm~1m程、積もることもあります。世屋地区などの山間ではもっと積もります。道は、ブルドーザーで除雪してもらい、家の前は、自力で雪かきをしなければ車では出られなくなります。その時に原発事故があれば動きはとれませんし、その雪が汚染されれば高濃度の放射性の雪に囲まれて被曝してしまいます。

改定された避難計画では、避難手段は、「自家用車又はバス等」とされています。さらにバスによる避難については、小学校を1次集合場所としています。小学校までの移動手段については、「原則、徒歩」と定めています。

北部地区の高齢化率は高く、車の運転をしないだけでなく、足腰が弱っていて本当にゆっくりゆっくりと杖や歩行車を使って移動することしかできない高齢者もおられます。高齢者にとっては、小学校の近くに住んでいても徒歩で小学校まで移動することが大変なのです。仮に、バスに乗ることができても、原発事故は地震などの自然災害とともに起こるケースが多く、道路の寸断や大渋滞で、避難は困難を極めると思われます。

私は児童発達支援センターで障害のある子供の放課後預かりのパートに行っていますが、自閉症の子どもさんは下校時に普段と違う道を通るだけでもパニックになったりします。

言葉を理解することができない子供も、歩行ができない子供もいます。原子力災害時の避難など本当に困難だろうと想像されます。宮津市の避難計画では、この点についても、記載がありません。

宮津市避難計画では、「自治会との連携」という項目を設け、市が自治会に協力を要請すると定められています。原発事故が起きた場合には、実際に、自治会役員や市の職員がローラー作戦でまだ家に残っている人を、被曝しながら見て回らねばなりません。私の夫は自治会の役員をしていますから、近所の人を見て回らねばならず、家族で勝手に逃げることはできないと思われます。私自身は、一刻も早く逃げるにしても高齢の主人の両親を連れて逃げる場所などありません。

【避難訓練に参加して】

私は昨年の11月28日に初めて原子力災害避難訓練に参加しました。京都府・宮津市・伊根町が主催でした。宮津市からの参加住民は須津地区からだけで、総勢316名でした。

私は、避難訓練に87歳になる主人の父を誘いましたが、父は「わしらはここに居るからほっといてくれ」と言って参加しませんでした。「そもそも避難しなくてはならんような原発を動かすのが間違いだ。」と言って怒っていました。

当日、まず集合場所の吉津小学校に徒歩で行きました。避難を前提とした服装などの詳しい説明もなく、参加者は普段通りの服装でした。まずこれで被曝してしまいます。

会場の体育館に集合してからも、アナウンスもなく全く緊迫感もなくて、時間がだらだらと過ぎ、集合時刻から30分くらいたった後で、参加者のチェックが始まりました。

チェックの後、日赤の薬剤師さんがヨウ素剤についての説明をされ、問診票に記入し安定ヨウ素剤の代わりに飴をもらいました。実際には緊急時にこんなに暢気に話を聴いて、問診票を書いて受け取っている場合ではありません。

私は市民グループで市にヨウ素剤の事前配布を要求していますが、国も府も5キロ圏以外は事前配布していませんし、「必要ならば支援する」と言いますが、必要も認めてくれません。副作用が心配だというならなおさら、事前に丁寧な説明会をして相談を受け、事前配布しておくべきです。

飴を配られた後は、避難中継所候補地である与謝野町の「野田川わーくばる」へ、バスで移動しました。「実際には自家用車になりますが今日はバスで行きます」ということで2台来ていました。1台には子供たち、あと1台には我々大人が乗りました。宮津市の人口は2万人弱ですから、単純に60人乗りのバスに乗っても、のべ300台以上必要です。これだけの数のバスを緊急時に用意することなどできません。また300台のバスを駐車する場所もありません。

国も電力会社もこんな計画や訓練で、「大丈夫です、合理的です」などと言って原発を再稼働するなど許されません。

【裁判所に臨むもの】

宮津市は、日本三景天橋立を擁し、年間260万人の観光客が訪れる観光地です。

海には水産資源が豊富で漁業や水産業がさかんです。農業も地元の産物がたくさんあり自然豊かな恵まれたところです。多くの高齢者は、動ける間は庭で野菜や果物を育てて、子や孫にやるのを楽しみに暮らしています。

この自然を放射能で汚染されれば、賠償などできるものではありません。いくらお金を出されても謝罪していただいてもこの素晴らしい暮らしは返ってはきません。先日も先祖代々の土地を奪われ、いまだ戻れない福島県浪江町の方の話を聴きましたが、全く同じになることは明らかです。

裁判所におかれましては、宮津市民のたからものである豊かな自然、住民の命と当たり前の暮らしを守るため、原子力発電の運転を差し止めて頂くようお願い致します。

以上

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