◆第16回口頭弁論 意見陳述

第16回口頭弁論意見陳述

市川章人

私は市川章人と申します。1948年1月7日生まれの69才で、京都市伏見区に家族4人ですみ、すぐ近くには娘夫婦が幼い孫2人と住んでおります。住まいは大飯原発から直線距離でわずか66kmであり、原発事故と放射能被害に対する不安と恐怖から、この訴訟に加わりました。

【被曝事故の経験と日本での原発過酷事故の予感】

私の原発と放射能に対する不安と恐怖は47年前の体験に始まります。大学で原子物理学を学びましたが、放射能の実験中に被曝事故にあい、それ以来がんへの恐怖を抱えて来ました。同じ頃の1970年大阪万博へ美浜原発から送電が始まりましたが、処理方法のない放射性廃棄物を大量生産する原発に疑問を持ち、学友と議論し、いずれ大問題になる、今儲ければよくて後は野となれ山となれ式の商業運転をやめるべきだという結論に達しました。

その後、1999年の東海村JCOウラン燃料工場の臨界事故とその時の国の対応は、チェルノブイリに続く過酷事故は日本で起きるに違いないという私の予感を一気に高め、不幸にして福島原発事故として的中しましたが、しかし想像を超える深刻さに身が震えました。

【恐怖の中でも福島から避難できなかった親戚】

福島第一原発から61.5kmの福島市内に私の親戚が住んでおり、事故の直後に法事で会いました。その時5人の子供を抱えた夫婦が涙ながらに訴えたのが放射能への恐怖でした。「事故直後からテレビ画面に白い点がいっぱい飛ぶ。これは何か?」と問われ、私は屋内で放射性物質が浮遊し、強い放射線エネルギーで発光するのではと疑いました。彼らに避難先として福知山市夜久野町で空いている私の実家の提供を約束しましたが、結局避難は叶わず、彼らは恐怖の中で生活せざるを得ませんでした。それは、福島における職を夫婦ともに失うことであり、5人もの子どもを抱えての生活のめどが立たないこと、さらに年老いた両親を残して自分たちだけ避難することは、家族を一番に大切にする強い宗教的信念で結ばれ共に生きてきた夫婦にとっては耐えがたいことであったからです。

【我が家は安定ヨウ素剤が必要な被曝範囲】

福島原発事故の後、重大事故の発生を前提にした原発の再稼働を認め、避難計画を安全審査の対象としない原発政策に変わることで、私たちも原発と活断層の集中する若狭湾で原発の過酷事故が発生する危険に怯えることになりました。

避難計画でUPZの範囲は大飯原発から半径32.5㎞に設定されましたが、その元になった規制庁の放射性物質拡散シミュレーションは被曝量の高い側のデータを削除しており、そのデータも使えばほぼ2倍の半径になることが指摘されています。滋賀県によるシミュレーションでも、北風の場合、大飯原発から66kmの我が家は、安定ヨウ素剤の服用が必要な範囲にすっぽり入ります。また、滋賀県は私たちの飲料水である琵琶湖が汚染されたら、放射性ヨウ素のために約1週間水が飲めないという試算もしています。

したがって私たちにも避難と安定ヨウ素剤の服用は不可欠ですが、京都市原子力災害避難計画にそのような対策は一切記載されていません。

【原災指針の改悪は30㎞以遠住民を危険の中に放置するもの】

2015年の原子力災害対策指針の改悪で不安は一層増しました。それは、避難よりも屋内退避を強調し、さらにUPZ以遠の地域で当初予定していた放射性プルーム対策としてヨウ素剤を服用する区域PPAを廃止し、ヨウ素剤配布はやめ屋内退避で十分としたからです。

これでは、事故の際、私たちには行政による対策も指示もなく、自分で身を守るしかなくなります。しかし、公的にはUPZ以遠の住民に何の知識も与えられておらず、正しい判断も適切な行動も困難です。情報も届かず、放置される危惧さえあります。

もし、緊急避難が必要になったとしても、私たちには指定避難先はありません。屋内退避で十分とされていることも大いに疑問です。私の学生時代の被曝事故は他の実験班の放射線をコンクリートの壁を通して浴びたものです。このように放射線遮蔽は普通のコンクリート壁でも不十分であり、木造家屋の屋内退避では効果はほとんどありません。

とりわけ心配なのは、保育園に通っている私の孫です。仮に、孫が保育園で保育を受けている際に、原発事故が起きた場合、きちんと避難出来るのでしょうか。この点について、京都市原子力災害避難計画は、一切具体的な対策を記載していません。

長期避難が必要な場合、私たちの移住先は夜久野町の実家しかありませんが、そこは大飯原発から64㎞、高浜原発から51kmであり、放射能に強く汚染される危険性があります。

そもそも、今の居住地を捨てるのは、福島の親戚と同様、耐え難いことです。私たち夫婦は年金で何とか生活できるかもしれませんが、我が子は仕事の継続が困難になり、生活の術を失います。中でも長男は、10年以上も展望の見えない就職活動を続け、37歳になった昨年ようやく就職できたもので、この職を失うわけにはいきません。私の子や孫たちには移住という選択肢もないのです。

【命と生活を最優先にした裁判所の判断を】

今、日々成長する幼い孫たちに接しながら命の輝きと尊さを深く実感しています。この幸せと被曝すれば影響を最も受ける孫たちの命と未来を守るために、他の技術とは異質の被害をもたらす原発で万が一の危険も冒すわけにはいきません。原発廃止こそ最大の安全対策であり、命と生活を最優先にした判断を裁判所が下されるよう切に願うものです。

以上

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