◆ 第7回口頭弁論 意見陳述 要旨

意見陳述
原告 菅野千景

2011年8月末私は二人の娘を連れて、放射能の汚染を避ける為に福島県福島市から京都へ避難しました。
私は仕事を辞めてしまいましたが、夫は仕事を直ぐには辞められず1人福島に残る事になりました。
引越しの荷造りをする時も、「なんでこんな事をしなければならないんだべね、誰のせいだべ、誰が悪いんだべ」と、こみ上げてくる思いに潰されそうになり、泣きながら置いてくる荷物と運び出す荷物を分けていました。
避難を決定するまでに私達の考えられる最大限の範囲で、避難するかしないか、両方のリスクと良い点を考え話しました。どんな艱難があっても支え合って乗り越えられるように、家族で確認することが大切だと強く感じたからです。
出発の日、夫に見送られ郡山から京都府の運行する高速バスに乗りました。
普段泣いたことのない夫は顔がくしゃくしゃになるほど泣き、子ども達もバスの中でしゃくりあげて泣きながら京都へ向かいました。京都へ来てから私達は毎日電話で話しました。子ども達は「お父さん大好きだよ、無理しないでね」と父親を気遣いました。
政府や行政が人々にとって良い事も悪い事も正直に情報公開しなかった為に、翻弄させられ、傷つけ合うご家族もありました。
我が家はそんな原発事故の二次被害を避ける為に、互いに心配をかけないようになどと考えない事、嬉しい事も辛い事も何でも話そうと約束しました。私達は弱い人間です。こんな大きな困難など担いきれるはずなどありません。離れている距離を縮める為に何でも話すのは、信頼も強くなり、大切な事でした。
避難生活の中で子ども達の気持ちが落ち着くようにと、もう一度原発が事故を起こすことのないようにと心から願いました。今も同じ思いです。

避難してから子ども達はとても怯えていました。夕方買い物に出かけ薄暗くなると、つないでいた手を更にぎゅっと強く握り、私の手に爪の跡がつくほどでした。「お母さんはずっと一緒だから大丈夫だよ」と言って優しく手をにぎってあげました。
関西弁の授業ではわからない事もあり、教科書も違った為、追い付くのに娘達は一所懸命頑張りました。
私は一変してしまった暮らしの中で少しでも落ち着つくように、汚かった借り上げ住宅を綺麗にし、まずは環境を整えました。
夫は月に1・2度福島から京都へ来てくれました。経済的にも大変ですし、少しでも家族一緒の時間を過ごしたいからと夜行バスで来てくれました。
京都に来ると「今度はいつ来るの?」と子ども達は着いたばかりの夫に聞いていました。お父さんに会えるのをどれ程楽しみにしていたかがわかりました。けれど半年ほど経った頃、夫は京都に行くのが辛いと言いました。10時間もバスに揺られ腰痛が悪化したのかと思いました。けれどそうではありませんでした。会いに来るのは嬉しいけれど、帰る時が辛いと言うのです。その気持ちは痛いほどよく分かりました。私も子ども達も同じだからです。帰る日の午後は重い空気につつまれ、私が夕食の支度をしていると茶の間でお父さんの膝に座り、首に絡まり別れを惜しむように、「今度は運動会だから来てくれるでしょう、お父さん」というような普通の会話でも、何故か涙がこみあげます。
そんな時いつも、避難を選んだ事が正しかったのかなぁと悩みます。でも自宅の放射線量を測ると部屋の中で毎時1.2μSv、庭は毎時6μSv以上の所もあり、正しい選択だったと確信します。それは我が家だけではありません、ご近所のお子さんも福島から家族が来た時は、ニコニコしていつもより元気で本当にいい表情をしてます。でも帰ってしまう時は機嫌が悪くなったり、泣いてご飯を食べなかったり、小さい子どもでも心のバランスを崩します。よそのお子さんでも、私まで胸が苦しくなります。

世の中には単身赴任のご家庭が沢山あります。でもそれは経済的な補償などもされていて、避難生活とは比べられないものです。家族が離散するようになった理由、原因が全く違うからです。
原発で死んだ人はいないと何人かの政治家や有名人が言っているのを最近も聞きました。
その方たちは双葉病院の患者さんが避難勧告が出され、置き去りにされてしまったことや、津波や家屋の倒壊からの救出、捜索が避難区域の方々は1か月もほったらかしにされ、救われるはずの命が見殺しにされてしまった事を未だに知らない、正しくは知ろうとしてなかったのだと思います。
原発・核・放射能とはそういうものです。
自由・夢・未来へつながること・家族・友人・動物・豊かな自然・食物・仕事・愛し合うこと・命、全てを破壊していくものだと知ってしまいました。それは一瞬に起きて、長い長い時間をかけて壊し続けてゆきます。
被災地が復興する事はとっても大切な事です。今までの首相もはっきり言ってました。けれど実際に被災した人々の思いをどれ程理解してくれているのかがわかりません。
汚染させられあと何百年も人間が住むことができない事実をどんな思いでどの程度の深さまで感じてくださっているのでしょうか。
政治家や官僚はその時だけその任期だけの責任ですが、私達は自分自身に起きていることだから、原発の問題から逃げるわけにはいかないし、誰かに任せるわけにもいきません。
原子力発電所は福島の事故が起きるまで、少しの亀裂、ネジのゆるみなど公表が遅れたり、隠したりという事が全国でありました。このぐらいだったらいいや、言わなければわからないとでも思っていたのでしょうか。今年3月に、汚染水を1年以上も海に流し続けていた事が発覚した時、周囲の4つの町は「情報は速やかに出すことと、何度も何度も嘘をつき続け隠すその体質を改めるように」と抗議しました。

あんな大きな事故を起こしておいて、4年も経って未だにそんな事を言われないとはいったいなんということでしょう。非常に恥ずかしい。
そしてこの事は、東電以外の電力会社も自分の事と思って受け止め実行する必要が大いにあると知って欲しいのです。

原発はずっと動いてません。あちらこちらで停電になり、人々の命が危険にさらされた事があったでしょうか。東電はあんな事故を起こしておいて電気料金を値上げし、税金を使い2年度連続して純利益数千億円出しています。放射能の影響で商売ができなくなり、廃業し苦しい生活を強いられている方々、先が見えなく自殺された方々がどれ程いらっしゃるか、その方々のご家族、幼いお子さん達の事も合わせて考えて、再稼働を希望する前に取り組む必要があると、ここではっきりもうしあげます。

原発はそういうものです、核はそういうものです。始める事に必死になるなら、後始末の事も必死にならなければなりません。
日本の経済の為に食品の基準値をあげる、年間の被ばく量を上げる、原発で電気を作り原発で儲けて、大きな企業が満たされれば、そこからこぼれ落ち一般の人々が潤うという考えは、とっても失礼な話だと私は思います。
原子力は明るい未来のエネルギーではなかった事が、福島の事故で証明されてしまった今、そこから豊かな暮らし、未来や希望、命の大切さは何にも変えられない、変えることができないのだと、私達おとながもう一度真剣に考え、学習しなければなりません。
そして、危険を冒してまでお金を得ようとする姿を見せるより、大切な事、よい事を選ぶ強さや勇気をもって、子ども達のお手本となれるように、恥ずかしくない生き方を選んでゆきたい。

以上