裁判資料」カテゴリーアーカイブ

◆第19回口頭弁論 原告提出の書証

甲第429~431号証(第47準備書面関係)
甲第432~434号証(第48準備書面関係)
甲第435~437号証(第49準備書面関係)
甲第438~439号証(第50準備書面関係)

※このサイトでは一部下記書証データ(PDFファイル)は保存していませんので、原告団の事務局の方にお問い合わせください。



証拠説明書 甲第429~431号証[112 KB](第47準備書面関係)
(2018年3月27日)

甲第429号証[3 MB]
1026年の万寿津波(Man-jyu Tsunami in 1026)(大飯原発差止京都訴訟原告団長(京都大学名誉教授)竹本修三)

甲第430号証[460 KB]
科学vol.86 No.7 最大クラスではない 日本海「最大クラス」の津波―過ちを糾さないままでは「想定外」の災害が再生産される(東京大学名誉教授島崎邦彦)

甲第431号証[349 KB]
J.of Jpn. Landslide Soc. Vol.41 No.5 すべりに伴う物質の移動と変形 第5回海底地すべり(産業技術総合研究所地質情報研究部門 池原研)

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証拠説明書 甲第432~434号証[88 KB](第48準備書面関係)
(2018年3月26日)

・甲第432号証
「大飯地域の緊急時対応」のとりまとめについて(内閣府)

・甲第433号証
「大飯地域の緊急時対応」(概要版)(同上)

・甲第434号証
「大飯地域の緊急時対応」(全体版)(同上)

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証拠説明書 甲第435~437号証[92 KB](第49準備書面関係)
(2018年3月26日)

甲第435号証[292 KB]
平成29年台風第21号による被害状況等について(抄 1~4頁)(内閣府)

甲第436号証[307 KB]
平成29年台風21号に伴う被害状況等について(第1報)(京都市災害対策本部(行財政局防災危機管理室))

甲第437号証[457 KB]
台風第21号による被害等の概要について(京都府災害対策本部)

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証拠説明書 甲第438~439号証[89 KB](第50準備書面関係)
(2018年3月26日)

・甲第438号証
舞鶴市原子力災害住民避難計画(舞鶴市)

甲第439号証[135 KB]
口頭弁論要旨(原告小西洋一)

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◆原告第50準備書面
―避難困難性の敷衍(避難所の問題点について)―

原告第50準備書面
―避難困難性の敷衍(避難所の問題点について)―

2018年(平成30年)3月23日

原告提出の第50準備書面[163 KB]

目 次

第1. 舞鶴市避難計画の問題点
第2. 避難の問題性
第3. まとめ


原告第6準備書面において、避難困難性について述べたが、本準備書面では、舞鶴市避難計画の問題点及び実際の避難における問題点について述べる。


第1. 舞鶴市避難計画の問題点

 1. 避難計画の策定

2013(平成25)年3月、舞鶴市防災会議によって、「舞鶴市原子力災害住民避難計画」(以下「舞鶴市避難計画」という(甲77号証))が策定された。同避難計画は、2017(平成28)年3月29日付で改定された(以下「平成28年3月29日避難計画」という。)(甲438)。

 2. 舞鶴避難計画の内容と問題点

平成28年3月29日避難計画では、原子力事故が発生した場合、「UPZ(B、C、D、E、Fゾーン)は屋内額を基本として、放射能物質が環境に放出された段階で緊急時モニタリングを実施し、その結果に基づき、基準を超えるゾーンが特定された場合に、特定されたゾーン事に段階的に避難を実施する。」(甲438号証9頁)と記載されている。しかし、災害時において、どのように、ゾーンを特定し、特定後、避難を実施していくのか具体的な記載は一切無い。

また、安定ヨウ素材に関する記載はあるものの(同11頁)原発事故や避難で混乱している時に、ヨウ素剤の服用の判断、指示を誰がするのか、判断された場合に児童・生徒全員に的確な配布と服用が出来るのか、具体的な対策は一切なされていない。

平成28年3月29日避難計画では、避難時集結場所として複数の小・中・高の学校施設が指定されている(同7頁)が、全校児童の数を大きく上回る避難者を想定しており、現実的な避難計画とは言えない。

平成28年3月29日避難計画では、園児、児童、生徒等への対応について「園児、児童、生徒等が各施設で修業等をしている場合は、状況に応じて各施設管理者が定める避難計画に基づき、舞鶴市教育委員会や舞鶴市災害対策本部等と連携して対応する。
」(同28頁)と記載されており、何らの具体性ない。仮に原発事故が起こった場合、舞鶴市内が原発事故と避難で混乱する中で、短時間でスムーズに全児童・生徒を保護者へ引き渡すことなど不可能である。

 3. 小括

このように、改定された避難計画においても、改訂前の避難計画の問題点は何ら解消されていないが、これは、現実的な避難計画等作成することは不可能だからである。

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第2. 避難の問題性

震災後、京都府に、福島から避難した児童が転入してきた。その児童の転入先では、事前に転校の事情をくわしく丁寧に指導し、児童を迎え入れた。

児童の転入から、まもなく、トラブルが起こり、お互いが口喧嘩になった時に、他の児童が転入してきた児童に向かって「お前なんか、福島の津波で死んだら良かったんや」と叫んだため、叫んだ児童には、そのことの意味を指導し、保護者へも連絡して再度指導した例がある。

マスコミなどの報道によれば原発事故により避難した児童が「放射能がうつる。」「賠償金をよこせ。」などいわれのないいじめに遭っていることが報告されているが、原発事故さえなければ、子供たちが、こんな悲しい思いをすることはないのである。

仮に、いじめに遭わなかったとしても、避難した児童は、なかなか、新しい環境になじめないこともある。転校先の児童に嫌われないように気を遣ったり、意地悪されないよう目立たないようにしたり、転校先の児童に負けないように自分を大きく見せてつっぱたりする等、本来抱える必要のない極度のストレスを抱えながら、生活を送らなければならないのである。

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第3. まとめ

以上のとおりであり、避難計画をどれだけ整備しても、避難事態が困難であり、仮に避難できたとしても、その後の生活において、非常に強いストレスを抱えながら生活を送らざるを得ないのである。根本的な解決のためには、原発自体を廃炉にするしかない。

以上

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◆原告第49準備書面
―2017年台風21号による交通遮断、集落の孤立等―

原告第49準備書面
―2017年台風21号による交通遮断、集落の孤立等―

2018年(平成30年)3月23日

原告提出の第49準備書面[177 KB]

目 次

第1 2017年の台風21号の概略
第2 集落の孤立
第3 道路の寸断
第4 まとめ



第1 2017年の台風21号の概略

2017年の台風第21号は、同年10月21日から22日にかけて日本の南を北上し、23日3時頃、超大型・強い勢力で静岡県御前崎(おまえざき)市付近に上陸した。台風はその後、広い暴風域を伴ったまま北東に進み、23日15時に北海道の東の海上で温帯低気圧となった。

台風の中心が京都府を通過したわけではなかったが、京都府下でも、様々な被害が生じた。

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第2 集落の孤立

この台風により、京都府下では、京都府南丹市美山町の芦生・白石・佐々利地区の41世帯82名が10月24日16時まで孤立した。原因は主要地方道京都広河原美山線が崩土・倒木により通行不能となったためである。

また、京都府綾部市睦寄町古屋でも2世帯3名が11月1日10:30頃まで孤立した。原因は、主要地方同舞鶴和知線が崩土・倒木により通行不能となったためである。

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第3 道路の寸断

 1 倒木・土砂崩れ等による国道の通行止め

また、この台風により、京都府北部の国道に限っても、多くの場所で通行止めとなった。国道162号線は、周山街道とも呼ばれ、京都市内から、国宝の鳥獣戯画が伝わる高山寺(京都市右京区梅ヶ畑栂尾町)の脇を通り、周山(京都市右京区京北町)、京都府南丹市美山町をへて、福井県小浜市に至る道路である。この道路は、京都市北区杉阪口~北区小野郷で、電線が破損し危険なため、10月23日に至るまで通行止めとなった。また、京都市右京区京北上弓削町(深見峠)も事前規制から、倒木による通行止めとなり、10月27日まで通行止めとなった。

また、国道477号線は京都市左京区の百井峠(百井別れ)で倒木により通行止めとなった。

 2 雨による高速道路等の通行止め

また、台風による事前規制や、冠水による通行止めを含めると、京都府北部に限っても、舞鶴若狭道、京都縦貫道、山陰近畿自動車道など京都府下北部の主要な高速道路、国道27号線、175号線、178号線、477号線、482号線などの道路が通行止めとなった。

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第4 まとめ

このように、台風発生時に、風雨によって地盤が緩み生じた土砂崩れや倒木等に起因して、道路が寸断され、集落が孤立することがあるのは顕著な事実である。

そして、地盤が緩む原因が風雨であるか、地震による震動であるかの違いはあっても、特に巨大地震の際に、土砂崩れや倒木が発生するのも顕著な事実である。

さらに、巨大地震が発生するのが、暴風雨の時であれば、地震と風雨が相まって、更に大きな被害が生じるであろう。

土砂崩れや倒木により、道路の寸断や集落の孤立がおこれば、避難ができなくなる。

台風による被害については、速やかな応急措置が可能となるが、原発の過酷事故の際は、応急措置を取るべき人々も避難対象の住民であるから、そのような措置が執れるかも不明である。実際、福島第一原発事故の際、同原発に近い地域では、津波や地震による被害者の捜索活動が打ちきられている。

2017年の台風21号の際に京都府下(特に京都府北部)で発生した道路の寸断や集落の孤立は、大地震とそれに引き続く原発の過酷事故の際に京都府北部で発生することをスケールを小さくして実現したものといわざるを得ない。

この一事をもってしても、原発事故が起きた際の避難計画が実施困難なものであることは論を俟たない。

以上

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◆原告第48準備書面
第4 まとめ

原告第48準備書面
―「大飯地域の緊急時対応」の問題点―

2018年(平成30年)3月23日

目 次(←原告第48準備書面目次に戻ります)


第4 まとめ

以上のとおり、本件避難計画は、原発の過酷事故から住民の安全をまもるとの観点で極めて無責任、不十分なものと言わざるを得ないものであるが、そもそも、原発において過酷事故が発生した場合に、すべての住民を安全に避難させるなどということは到底困難なことであって、このような無理のある避難計画を策定しなければならないところに最大の問題がある。

原発を稼働させず、速やかに廃炉にさせていくことこそが住民の安全を確保する唯一の道であって、大飯原発を含めあらゆる原発の運転をただちに中止することを求めるものである。

以上

◆原告第48準備書面
第3 本件避難計画の問題点

原告第48準備書面
―「大飯地域の緊急時対応」の問題点―

2018年(平成30年)3月23日

目 次(←原告第48準備書面目次に戻ります)

1 本件避難計画そのものの不合理性
2 高浜原発との同時事故が想定されていない
3 複合災害への対応の不十分性
4 学校・保育所等における子どもの引き渡し等についての問題



第3 本件避難計画の問題点

 1 本件避難計画そのものの不合理性

(1) 本件避難計画は、被告国が定めた原子力災害対策指針に従って、原発から5キロメートル圏内をPAZ、30キロメートル圏内をUPZと定め、その圏内の自治体、その圏内に居住する住民のみを対象に定められている。

しかしながら、そもそも原発の過酷事故によって生じる放射性物質の放出やそれに伴う放射線被害は、決して原発から同心円状に拡がるものでもなく、ましてや30キロメートルの範囲にとどまるようなものでも決してない。このことは、福島第一原発事故による被害状況を見れば明らかである。

本件避難計画は、その避難計画の対象を30キロメートル圏内にとどめていること、この一点のみをとっても福島第一原発事故の被害の実相を踏まえない、極めて不合理なものであると言わなければならない。

(2) 高浜原発広域避難訓練で指摘された問題点
2016(平成28)年8月27日、内閣府、3府県(福井県、京都府、滋賀県)及び関西広域連合による合同原子力防災訓練(以下「高浜原発広域避難訓練」という。)が実施された。すでに原告第27準備書面で主張したとおり、高浜原発広域避難訓練では様々な問題点が明らかになった。

例えば、地震との複合災害が想定されながら、地震による建物の倒壊や半倒壊、それに伴う住民の公共施設への避難を想定した訓練を実施したのは、ごく一部の地域のみであった。また、地震による道路の通行止めなどは想定しないまま、高速道路を利用して訓練が実施された。

地震との複合災害であれば、地震に伴う津波の発生、津波警報や注意報の発令に伴う避難勧告、避難指示などが当然に想定されなければならなかった。そして、津波からの避難を想定した場合には、自宅内や平地にある公共施設ではなく、屋外であっても高台への避難が最優先されるのに、屋内退避訓練のみが実施された。さらには、屋内退避訓練の実態も、対象地域の消防団あてメールに通知を送信し、当該地域の消防団員が地域を見回って呼びかけるだけというものであった。

とりわけ、船舶による避難については、訓練当日、天候状況により予定していた船舶が出せず、避難訓練を実施することができなかった。そして、1年間のうち約半分の日は同様の天候であり、船舶による避難が実施できないという現実に直面することとなった。また、船舶による避難が可能な天候状況であったとしても、事故を起こし、大量の放射性物質が放出されているはずの大飯原発や高浜原発の外海を通って避難者を迎えに行くこととなる。このような、従業員を極めて危険な状態にさらすような業務を、民間の観光船運航会社が了解するのか、船舶に乗務する従業員に対して業務を命じることができるのか、問題点が指摘された。

本件避難計画は、高浜原発と同地域にある大飯原発が重大事故を起こした際の避難計画でありながら、高浜原発広域避難訓練で指摘された問題点については、何ら解決策が示されていない。まさに、問題点を抱えた、不合理な避難計画であると言わざるを得ない。

(3) 屋内退避の問題点
そもそも、本件避難計画においては、大飯原発において重大事故が発生した後、放射性物質が放出され、緊急モニタリングの結果によりOIL1及びOIL2に指定されるまでの間、住民は屋内退避をするとされている。しかしながら、地震等が発生し、目の前で原発事故が起き、または起きようとしているときに、住民に屋内退避を続けさせることは極めて非現実的であると言わざるを得ない。

福島第一原発事故後の状況を見ても、福島第一原発において緊急事態が発生したと報じられた時点で、多くの住民らが自家用車で避難を開始している。
放射線による被害を考えれば極めて当然の対応であり、かかる住民らに対して屋内退避を指示することがいかに不合理なことであるかは明らかであろう。

(4) 一時移転等の手段について
本件避難計画は、一時避難等の手段について、渋滞抑制の観点から原則バスによる移動を実施するとしている。しかしながら、上述したとおり、目の前で原発事故が起き、または起きようとしているときに、屋内退避をし、一時集合場所まで徒歩で移動し、そこからバスで移動することを住民らに指示し、その指示に従わせることは極めて不合理であると言わざるを得ない。移動手段のない住民に対する受け皿としての移動手段の確保としてならまだしも、UPZ内の全ての住民を対象として原則としてバスによる移動を指示し実施するという本件避難計画は明らかに不合理なものと言わざるを得ない。実際、輸送手段の確保の項目では、「住民の75%がバスによる一時移転等が必要になると想定」しており、そもそも本件避難計画自体、UPZ内全ての住民をバスで移動させようとすらしていないのである。

そして、移動手段であるバスの確保について、本件避難計画では、必要車両台数を1417台と想定し、京都府内バス会社保有車両が2298台に対する要請で確保するとしている。しかしながら、京都府内のバス会社がそれだけの台数を保有しているとしても、そのすべてが舞鶴市ないし京都府中部・北部地域にあるわけではなく、むしろ、京都市内をはじめとする京都府南部地域に集中している。その場合、京都府南部地域から放射性物質が放出しているUPZ内に向かってバスを移動させなければならないこととなる。船舶での避難訓練で指摘された問題点と同様に、従業員を極めて危険な状態にさらすような業務について民間会社が要請を受諾するのか、乗務する従業員に対して業務を命じることができるのか、この点は極めて重大な問題点である。

(5) 孤立集落への対応の問題点
上述したとおり、本件避難計画においては、自然災害等により住民が孤立した場合の対応として臨時ヘリポートと整備するとされている。しかしながら、具体的な例として挙げられている舞鶴市大浦半島、綾部市奥上林地域のいずれにおいても指定されているのは、あくまで「ヘリポート適地等」に過ぎない。

また、半島や沿岸部については船舶による避難をするとされているが、具体的な例として挙げられている舞鶴市大浦半島においては、成生漁港、田井漁港等が利用する港の例として挙げられている。本件避難計画でも例に挙げられている成生漁港は、高浜原発広域避難訓練においてまさに船舶による避難訓練が予定されていたが実施することができなかった漁港である。舞鶴市避難計画では海上保安庁の船舶による避難が計画されていながら、海上保安庁の船舶は、その大きさの関係で使用することができず、やむなく関西電力がチャーターした観光船も天候状況により船を出すことができなかったのである。問題点が具体的に指摘されているにもかかわらず、その点には全く答えないまま本件避難計画は策定されており、不合理な計画であると言うほかない。

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 2 高浜原発との同時事故が想定されていない

冒頭述べたとおり、現在、福井県の若狭湾沿岸では大飯原発3号機だけではなく、高浜原発3号機、同4号機も運転している。大飯原発1、2、4号機、高浜原発1、2についても運転はしていないものの、施設内には高レベルの放射性物質である使用済み核燃料が保管されたままになっている。大飯原発と高浜原発は直線距離で13キロメートルほどしか離れていない、極めて近接した場所に立地している。福井県の若狭湾沿岸地域で大きな地震や津波が発生するような事態が生じた場合、大飯原発と高浜原発が同時に重大事故を引き起こす可能性は否定できない。

しかしながら、本件避難計画は高浜原発との同時事故は想定されないまま策定されている。上述したとおり、本件避難計画そのものが不合理なものと言わなければならないが、本件避難計画を前提としたとしても、大飯原発と高浜原発で同時に重大事故が起これば、避難の対象となる地域も、対象となる住民も増えることとなり、移動手段の確保の点でも、避難先の確保の点でも問題が生じることは明らかである。

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 3 複合災害への対応の不十分性

本件避難計画は、地震や津波などの自然災害の発生と原発の過酷事故が同時に発生することを一応想定したものとされているが、その対応は全くできていないものと言わざるを得ない。

自然災害等により道路が使用できない場合として、半島部や沿岸部、中山間地域で住民が孤立した場合を想定し、海路や空路による避難が計画されている。その避難計画の問題点についてはすでに述べたとおりである。加えて、地震や津波などの自然災害によって道路が使用できないことによる問題点は、決して半島部や沿岸部、中山間地域に想定されるものではない。高速道路などは震度5を超える地震が発生した場合、原則として通行止めとされる。一時移転等の指示が出されるまでに高速道路が当然に復旧するとは限らず、一般道路についても同様に、地震による寸断や通行止めなどが想定されなければならない。

本件避難計画では、避難先への主な経路として複数の経路が設定されており、また、代替経路を設定するとされているが、国道27号線や舞鶴若狭自動車道、京都縦貫自動車道など、もっとも主要な避難経路が寸断し、あるいは通行止めとなった場合、避難が困難を極めることは明らかである。道路の復旧についても、道路等の管理者が応急復旧作業を実施するとされているが、放射性物質の放出によって復旧作業そのものが不可能ないしは極めて困難になる場合も考えられ、被害の程度によっては復旧に長期間を要する事態も想定されなければならない。

また、道路が使用できなくなる場合は、決して地震等による寸断や通行止めに限られない。京都府北部地域は、冬季は降雪によって道路利用が困難になる事態も想定される。この点について、本件避難計画は、「京都府における降雪時の避難経路の確保」(37頁)として、除雪対策について述べているが、あくまで京都府や各市町、国土交通省近畿地方整備局、高速道路会社の通常の除雪計画によるとされているのみである。本年2月、福井県内で大規模な雪害が発生し、北陸自動車道は通行止めとなり、国道8号線などの主要国道も長時間にわたって通行できない状況となったことは記憶に新しい。当然ながら、福井県や各市町、国土交通省や高速道路会社は、その除雪計画に従って除雪作業を行ったにもかかわらず、その除雪能力を超える降雪があったのである。このように通常の除雪計画に従った除雪作業では対応しきれない事態が現実に起こっている中で、本件避難計画が、各道路管理者の除雪計画任せにしているのは極めて無責任な対応だと言うほかない。また、原告第49準備書面で述べているように、台風や豪雨による交通の遮断や集落の孤立も問題とされなければならない。

さらに、地震や津波等の自然災害との複合災害を想定するにあたっては、地震等による被災者の救助活動や救済活動との両立を当然に想定しなければならない。この点について、本件避難計画は「自然災害等(地震)により屋内退避が困難となる場合の基本フロー」(91頁)として、家屋が倒壊した住民について、近隣の指定避難所等に避難することだけが定められているが、その倒壊した家屋の下にいる被災者をどのようにして救援し、救済するのかについて何ら手当てがなされていない。この点についても、複合災害を想定した対策については極めて不十分だと言わざるを得ない。

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 4 学校・保育所等における子どもの引き渡し等についての問題

本件避難計画においては、上述したとおり、UPZ内の学校・保育所等の防護措置として引き渡しや避難についての手続が定められている(73頁)。各学校等は、各市町の教育委員会の指示により保護者への連絡及び児童等の引き渡しを実施し、児童等の引き渡しが完了しないまま全面緊急事態に事態が進展した場合、最終的には職員等とともに避難先へ避難し、避難先で保護者への引き渡しを行うとされている。

しかしながら、地震や津波といった事態が生じている場合、保護者自身も被災し、被害を受けているという事態が当然に想定され、すべての保護者が子どもを引き取れる状態にあるとは限らない。その場合、学校・保育所等の職員は、いつまで子どもたちに責任を持つことになるのか、保護者が子どもを引き取ることができない場合の対処はどうするのか、極めて曖昧な状態におかれることとなる。さらには、子どもたちに対しては、速やかに安定ヨウ素剤の配布と服用を実施しなければならないが、保護者が被災している場合、その判断と責任についても手当てがなされているとは言い難い。

子どもたちを放射線被害から守るという観点で、本件避難計画は極めて不十分である。

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◆原告第48準備書面
第2 本件避難計画の概要

原告第48準備書面
―「大飯地域の緊急時対応」の問題点―

2018年(平成30年)3月23日

目 次(←原告第48準備書面目次に戻ります)

1 避難の対象
2 広域避難先
3 京都府内のUPZにおける防護措置



第2 本件避難計画の概要

 1 避難の対象

本件避難計画において避難の対象とされているのは、大飯原発から概ね30キロ圏内に居住する住民約15万9000人である(甲434「大飯地域の緊急時対応(全体版)」6頁、以下同じ。)。このうち、5キロ圏内のPAZに居住する住民は約1000人とされている。

対象となる自治体は、PAZは、福井県おおい町、小浜市のそれぞれ一部であり、UPZは、福井県おおい町、高浜町、小浜市、若狭町の全域と美浜町の一部、滋賀県高島市の一部と、後述する京都府内の各市町である。

京都府内の対象自治体は、PAZの対象となる地域はなく、いずれもUPZであり、舞鶴市、綾部市、京丹波町、南丹市、京都市のそれぞれ一部が対象となり、対象となる住民は約8万5000人とされている。とりわけ、舞鶴市は3万7868世帯、7万9354人と市民の大半が避難の対象とされている。大飯原発において重大事故が起きた際に避難を余儀なくされる住民は決してUPZ内にとどまるものではないが、少なくとも、被告国が避難計画の策定にあたって対象としている住民数で言っても、その半数以上が京都府内に居住していることとなる。

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 2 広域避難先

(1) PAZ内市町(41頁)
PAZ内市町(福井県おおい町、小浜市)の広域避難先として指定されているのは、県内避難先として敦賀市内の中学校(おおい町)と越前市内の高等学校(小浜市)であり、県外避難先として兵庫県川西市内の小学校ほか3施設(おおい町)と同県姫路市内の施設(小浜市)である。

(2) UPZ内市町(58頁)
UPZ内市町の広域避難先として指定されているのは、福井県内の5市町については、県内避難先として敦賀市ほか4市町、県外避難先として兵庫県伊丹市ほか21市町とされており、滋賀県高島市については、県内避難先として高島市内ほか、県外避難先として大阪府大阪市ほか2市とされている。

京都府内のUPZ内市町の広域避難先は以下のとおりである。

舞鶴市については、府内の避難先として京都市、宇治市、城陽市、向日市が、府外の避難先として兵庫県神戸市、尼崎市、西宮市、徳島県鳴門市、松茂町、北島町が指定されている。綾部市については、府内の避難先として福知山市、亀岡市が、府外の避難先として兵庫県たつの市、太子町、佐用町が指定されている。南丹市については、府内の避難先として同市内が、府外の避難先として兵庫県洲本市、南あわじ市が指定されている。京丹波町については、府内の避難先として同町内が、府外の避難先として兵庫県芦屋市が指定されている。京都市については、府内の避難先として同市内が指定されている。

(3) 避難先までの主な経路(京都府内UPZ内市町、78~82頁)
舞鶴市から府内の避難先とされる京都市、宇治市、城陽市、向日市への主な避難経路としては舞鶴若狭自動車道、京都縦貫自動車道、京滋バイパス、国道9号、国道173号などが設定されている。また、府外の避難先とされる兵庫県神戸市、徳島県鳴門市などへの主な避難経路としては舞鶴若狭自動車道、中国自動車道、六甲北有料道路、山陽自動車道、神戸淡路鳴門自動車道などが設定されている。

綾部市から府内の避難先とされる福知山市、亀岡市への主な避難経路としては、府道1号、国道27号、府道8号、京都縦貫自動車道などが設定されている。また、兵庫県たつの市などへの主な避難経路としては舞鶴若狭自動車道、中国自動車道などが設定されている。

南丹市から同市内の避難先への主な避難経路としては国道162号、府道12号、国道27号、国道9号が設定されている。また、府外の避難先とされる兵庫県洲本市、南あわじ市への主な避難経路としては上述の経路に加え、国道173号、国道372号、舞鶴若狭自動車道、中国自動車道、六甲北有料道路、山陽自動車道、神戸淡路鳴門自動車道などが設定されている。

京丹波町から同町内の避難先への主な避難経路としては府道51号、府道12号、国道27号、国道9号が設定されている。また、府外の避難先とされる兵庫県芦屋市への主な避難経路としては上述の経路に加え、京都縦貫自動車道、名神高速道路などが設定されている。

京都市から同市内の避難先への主な避難経路としては、対象となる地域ごとに府道110号から国道367号、府道38号から国道477号、国道162号がそれぞれ設定されている。

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 3 京都府内のUPZにおける防護措置

(1) 一般住民(77頁)
大飯原発において重大事故が発生した後、全面緊急事態となった場合、放射性物質の放出前の段階において、UPZ内の住民は屋内退避を開始することとなる。その後は、被告国の原子力災害対策本部において、緊急モニタリングの結果に基づき、OIL1及びOIL2に該当するとされた地域に対し、一時移転等が指示されることとなるが、一時移転等の指示がなされるまでは、当該地域の住民は屋内退避を継続することとされている。

一時移転等の指示がなされると、対象となる住民は徒歩等で一時集合場所に集合し、上述した避難先の各施設へと避難することとされている。京都府におけるUPZ内住民の避難については、渋滞抑制の観点から、原則バスによる移動を実施するとされている。その一方で、輸送能力の確保の点では、「住民の75%がバスによる一時移転等が必要になると想定」して、必要車両台数を1417台と想定し、京都府内のバス会社保有車両台数2298台と比較して必要台数を確保するとしている。

(2) 学校・保育所等
本件避難計画においては、UPZ内の学校・保育所等の防護措置として以下の手続が定められている(73頁)。

震度6弱を超える大地震や大津波などの警戒事態が発生した時点で、各学校等は「学校等における原子力防災マニュアル」によって行動を開始し、各市町の教育委員会の指示により保護者への連絡及び児童等の引き渡しを実施する。児童等の引き渡しが完了しないまま全面緊急事態に事態が進展した場合には、屋内退避指示に従って校舎内で屋内退避を行うこととなる。さらに、一時移転等指示が出された場合には、引き渡しの完了していない児童等は、職員等とともに避難先へ避難し、避難先で保護者への引き渡しを行うとされている。

(3) 要支援者等
京都府におけるUPZ内の医療機関・社会福祉施設の避難については、2016(平成28)年6月1日時点におけるUPZ内施設入所者数2260人に対し、UPZ外に受入候補施設として121か所、受入可能人数約3460人分を確保したとされている。そして、一時移転等の防護措置が必要となった場合には京都府災害時要配慮者避難支援センターが受入先の調整を行うこととされている(74~75頁)。

京都府における在宅の避難行動要支援者については、2017(平成29)年1月時点でUPZ内に6183人いるとされており、そのうち、3708人については同居者や支援者がいるとされている。同居者や支援者がいる場合には、それらの者の協力を得て屋内退避や一時避難を行うとされているが、支援者のいない者(2475人)については、今後支援者を確保していくとされ、支援者が確保できない場合には、市町職員、自治会、消防職員・団員等の協力によって屋内退避や一時移転等ができる体制を整備していくとされている(76頁)。

(4) 自然災害等における防護措置
本件避難計画においては、UPZ内の半島及び沿岸部、中山間地域については、自然災害の発生等により道路が使用できず、住民が孤立した場合の対応として臨時ヘリポートと整備するとされている。しかしながら、具体的な例として挙げられている舞鶴市大浦半島、綾部市奥上林地域のいずれにおいても指定されているのは「ヘリポート適地等」に過ぎない。また、半島や沿岸部については船舶による避難をするとされており、具体的な例として挙げられている舞鶴市大浦半島においては、成生漁港、田井漁港等が利用する港の例として挙げられている(83頁)。

そして、海路や空路での避難態勢が整うまでは屋内退避を実施し、避難態勢が十分整った段階で一時移転等を実施するとされており、実際に重大事故が発生し、全面緊急事態となり一時移転等の指示が出た場合であっても、避難態勢が整うまでは一時移転等が実施できないこととなる。

本件避難計画においては、京都府及び関係市町による毎年度の除雪計画、国土交通省近畿地方整備局及び高速道路会社の除雪計画をもって降雪時の避難経路の確保策としている(37頁)。そして、暴風雪や大雪時など特別警報等が発令された場合には、天候が回復し安全が確保されるまでは屋内退避を優先し、天候回復後に一時移転等を実施するとされている(90頁)。

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◆原告第48準備書面
第1 はじめに

原告第48準備書面
―「大飯地域の緊急時対応」の問題点―

2018年(平成30年)3月23日

目 次(←原告第48準備書面目次に戻ります)

 


第1 はじめに

本年3月14日、大飯原発3号機が再稼働された。これにより、すでに再稼働している高浜原発3号機、4号機と併せ、福井県の若狭弯沿岸では3機の原子力発電所が稼働することとなった。さらに、被告関西電力は、大飯原発3号機の再稼働に続いて、本年5月にも同4号機を再稼働させようとしていると報じられている。

この大飯原発の再稼働に先立って、2017(平成29)年10月27日、被告国の原子力防災会議は、大飯原発で重大事故が発生した際の広域避難計画である「大飯地域の緊急時対応」(以下「本件避難計画」という。)を了承した。本件避難計画は、被告国と福井県、京都府、滋賀県によって構成される福井エリア地域原子力防災協議会及び同協議会内に設置された大飯地域分科会によって検討、議論され、同月25日に取りまとめられたものである。

本準備書面においては、本件避難計画の問題点を指摘し、大飯原発の再稼働が許されないことを論ずる。

◆原告第48準備書面
―「大飯地域の緊急時対応」の問題点―
目次

原告第48準備書面
―「大飯地域の緊急時対応」の問題点―

2018年(平成30年)3月23日

原告提出の第48準備書面[291 KB]

目 次

第1 はじめに

第2 本件避難計画の概要
1 避難の対象
2 広域避難先
3 京都府内のUPZにおける防護措置

第3 本件避難計画の問題点
1 本件避難計画そのものの不合理性
2 高浜原発との同時事故が想定されていない
3 複合災害への対応の不十分性
4 学校・保育所等における子どもの引き渡し等についての問題

第4 まとめ

◆原告第47準備書面
第4 竹本論文のまとめ

2018年(平成30年)3月23日

原告第47準備書面
―1026年の万寿津波と大飯原発の危険性―

目 次(←第47準備書面の目次に戻ります)

 


第4 竹本論文のまとめ

このように、竹本論文では、万寿津波の検討を行い、これが通常の海底断層の上下変位に伴う地震と津波としては説明がつかず、島根沖の大規模海底斜面崩壊を想定することにより、地上に到達した津波高の伝承を含めて矛盾なく説明できる可能性が見いだされた。大規模海底斜面崩壊の再来周期が不明なことから次に益田地方が大津波に襲われる時期は特定できないが、図8で示された島根沖の海底堆積性斜面崩壊の領域を見ると、同論文で検討した万寿津波の波源よりもずっと広い範囲に分布しており、島根原発(島根県松江市鹿島町)の北方にも達している。このことは、1026年の島根沖の海底定積性斜面の崩壊で被害を受けた益田地方が再び津波に見舞われるより、もっと東側の堆積性斜面の崩壊で島根原発が津波被害を受けるほうが先ではないかと考察している。少なくとも2014年8月に調査検討会が公表した日本海西南部の原発所在地の津波高予測は小さすぎると結論づける。
さらに図8では、岡村によれば、堆積性斜面の崩壊が発生している場所として、島根沖の外、若狭湾沖が指摘されている。万寿津波の例が堆積性斜面の大規模崩壊で説明できる場合、若狭湾沖の堆積性斜面の崩壊についても再考が必要となるのは当然である。となれば、被告関西電力が美浜、大飯、高浜の各原子力発電所で行っている津波対策にも見直しが求められる。

竹本論文では、最後に、理科年表における、日本国内・近海における歴史地震を再検討している。すなわち、理科年表では、「『701年の大宝地震では、丹波国(後に丹後国に分国、現京都府北部)で大地震が発生し、三日にわたって揺れがあり、若狭湾内の凡海郷(おおしあまのさと)が海に没した』という『冠島伝説』があるが、疑わしい。」との記載がある。そのため、これまでは、701年の大宝地震・津波を専門家は無視していた。しかし、2011年に東北地方太平洋地震が起き、869年の貞観地震・津波はすでに見直しがされている。1026年の万寿津波も島根沖の堆積性斜面崩壊により益田地方を20~25mの津波が襲った可能性が否定できないとなると、701年の大宝地震・津波の見直しも必要となる可能性がある。

以上

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◆原告第47準備書面
第3 島根県益田地方を襲った万寿津波

2018年(平成30年)3月23日

原告第47準備書面
―1026年の万寿津波と大飯原発の危険性―

目 次(←第47準備書面の目次に戻ります)

1 文書に現れた万寿津波
2 万寿津波の発掘調査
3 大規模な海底斜面崩壊による津波の可能性
4 万寿津波のメカニズムについて



第3 島根県益田地方を襲った万寿津波

 1 文書に現れた万寿津波

本訴訟において、被告関西電力は、平成27(2015)年1月22日付準備書面(2)[12 MB]を陳述した。主に津波に関して論じているが、そこには、「本件発電所における主要な建屋の敷地高さ(東京湾平均海面(T.P.)+9.3m以上)等を踏まえ、津波が本件発電所の安全性に影響を及ぼすことがないと判断した。」と記載されている。

これに関して、島根県技術士会の平成23年度と24年度の研究報告書には、1026年の万寿津波で20mを超える津波が島根県の益田周辺を襲ったと記載されている。仮に、そこに記載されている文献記録の信頼性が高いものであれば、海・陸プレート境界から遠い日本海沿岸西南部においても20mを超える津波が襲ったということになり、被告関西電力の主張の信用性はなくなる。

そこで、竹本教授は、万寿津波の研究を行い、論文を作成したものである。以下論じる。

1951年発行の「日本地震史料」(武者金吉著)には、1026年の万寿津波の記載はない。しかし、1981年発行の「新収日本地震史料第1巻」(宇佐美龍夫編)には、39~46頁にわたり、「万寿3年5月23日(1026年4月18日)石見」として、石見地方の万寿津波の資料が掲載されている。但し、そこには地震の被害は記載されていない。2003年発行の「最新版日本被害地震総覧」(宇佐美龍夫、東京大学出版会)によれば、「1026VI16(万寿3∨23)亥の下刻石見(現益田市)高津川河口沖にあった鴨島が大波(あるいは大海哮)によって崩され、海中に没したという。波は川沿いに16km上流に達したという。被害は50km以上東の黒松(現江津市黒松町)にまで及んだ。口碑(こうひ)及び信頼性の低い史料による。そのうえ、これら口碑及び史料に『地震』という語は見いだせない。」と書かれている。口碑や信頼性の低い史料に残されている万寿津波が現実にあったとしても、通常の海底断層の動きによる地震の際の津波ではなく、別のメカニズムを考えなければならない。

1026年の万寿津波で島根県石見地方が大きな津波に襲われたという文書記録のあることは、加藤芳郎によっても指摘されている。それらの文献を読むと、原典は、正徹(しょうてつ)物語(ものがたり)、石見八重葎(むぐら)、横田物語、安田村発展史などであるという。益田地方は、万葉の歌人、柿本人麻呂の生誕地でもあり、終焉の地でもある。彼を祀った人丸寺のあった高角山(別名鴨山)があった鴨島が、この万寿の津波によって流失したとの伝承から、地元の人々は皆、万寿の大津波にことのほか関心を持っているという。鴨島には、神亀(じんき)年間(724~729年)に、聖武天皇の勅命によって人麻呂神社とその別当寺「人丸寺」が建立されたとされている。1026年の万寿津波によって、鴨島は海中に没し、現在「大瀬」と呼ばれている暗礁が水没した鴨島の跡だと考えられている。

1026年の万寿津波に関する文献記録で一番古いのが室町時代中頃の「正徹物語」である(1448~1450年頃)。正徹物語では、「大雨が降ったときに辺り一面海となって人麻呂像が流された。洪水で流出した人麻呂の木像が流れ着いたところに堂を建立した」と書かれているだけで、その事件の年代は書かれていないし、木像の行方も定かではないという。

はっきり万寿津波の年代を特定した文献としては、江戸時代の享保年間(1716~1736年)に書かれた「沢江家文書」が最初である(この文書は安田村発展史に記載されている)。そこでは、「1026(万寿3)年5月23日に起こった事件」との記載がある。

ここで、竹本教授は、上記文献に現れた津波に関し、現地調査を行った都司嘉宣と加藤健二の「万寿石見津波の浸水高の現地調査、鴨島学術調査最終報告書」を紹介している。

甲429号証の7頁では、表1において、15の地点を紹介しているが、ここでは、都司教授らにより津波高が特定された9地点を示す。

表1

地点名 所在地 津波の伝承 伝承の出典 津波の高さ
持石 益田市高津町持石、星日神社 神石が流された 石見八重葎 18m
松崎 益田市高津町 人麻呂の木像が流れ着いた 正徹物語 23m
安富 益田市安富町 津波が到達した 柿本人麻呂と鴨山 16.2m以上
護宝寺 益田市横田町寺垣内 護宝寺が流された 石見八重葎 22m
船ケ溢 益田市横田町市原 船が漂着した 横田物語 21m
遠田八幡宮 益田市遠田町中遠田 社殿が流された 安田村発展史 8m
砂丘を乗り越えた 10~12m
貝崎 益田市遠田町中遠田 水田に津波が到達した 同上 22m
黒石 同上 海岸から運ばれた巨岩 25m
二艘船 益田市木部町 2艘の船が打ちあげられた 柿本人麻呂と鴨山 12.2m

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 2 万寿津波の発掘調査

  (1)概要

益田市には、古くから語り継がれてきた柿本人麻呂に関わる伝承がある。それは、人麻呂が益田の鴨島で没し、同人を奉る神社があったとされる鴨島が万寿3(1026)年の大津波によって水没したというものである。万寿津波に関する伝承に、益田市中須地区の海岸付近には五福寺と呼ばれる「福」の字が付く5つの寺(専福寺・安福寺・福王寺・妙福寺・蔵福寺)が建立されていたが、万寿津波によってことごとく破壊されたという言い伝えが残されている。

鴨島伝承総合学術調査団のなかで、中田・高らは、万寿津波の存否を明らかにするためには、津波堆積物の詳細な研究が必要であると考え、益田市で、津波堆積物のトレンチ(試掘杭)発掘調査を実施した。同人らは、まず、鴨島が水没した後の暗礁と考えられる大瀬に近い益田市中須地区及び大塚地区を中心に、11箇所で予察トレンチ調査を行った後、中須の浜崎集落の安福寺跡付近で2本の本トレンチを掘削した。第1トレンチの規模は、東西およそ7m、南北12m、深さ3mである。第2トレンチは、第1トレンチの東隣に、中央部に長さ5m、幅3m、高さ1.5mの島状の高まりの部分を残すように回廊状にトレンチを掘削したということである。

  (2)第1トレンチの地質構造

上記のような掘削調査の結果、第1トレンチ西壁の地質構造は、壁面全体が未固結の沖積層よりなるが、トレンチ下底部は直径15cm以下の円礫よりなる河成礫層があり、その真上を厚さ20cmほどの多量の木片を含むシルト交じりの細―中砂層が覆っている。この上部には、厚さ約1.5mの砂層があり、水性植物の根や多くの小木片が含まれている。この砂層は、小礫を中心とする厚さ10cm程度の礫層を挟在しているが、地表下約2mにある礫層には、弥生早―前期の土器片が含まれており、この層は、約2300年前のものと考えられる。

甲429号証[3 MB]10頁の図5では、地表下2.3mまでの第1トレンチ西壁の地質構造図が描かれている。

図5 【図省略】

標高23.9cm付近に津波堆積層と記載されているが、その下の泥が砂に突然覆われた場合に生じる火炎状構造(フレームストラクチャー)が見られる。この火炎状の構造を示す泥層の最上部の腐食土層を広島大学地理学教室放射性炭素年代測定室で年代測定をしたところ、930±80年という結果が得られたという。これは1950年代の測定結果であることから、まさに万寿3(1026)年に対応し、トレンチ壁面で認められた擾乱(じょうらん)層が、万寿津波の堆積物によって形成された可能性が極めて高い。

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 3 大規模な海底斜面崩壊による津波の可能性

以上のように、1026年の万寿津波に関しては、20mを超える津波が島根県の益田市周辺の地域を襲ったという文書記録が残されているが、地震の被害はほとんど記録に残されていない。中田ほかが1995年に発表した論文では、益田市で津波堆積物のトレンチ発掘調査を実施した結果によれば、1026年に万寿津波があったことは間違いないが、津波堆積物が発見された範囲は狭く、海岸線から2km遡上した程度であった。万寿津波の資料の特徴をまとめると次の通りとなる。

  1. この津波の際の地震の被害は報告されていない。
  2. 海岸線(河口)から10kmほどさかのぼった、標高が20mを超える地点にも津波が到来した痕跡がある
  3. トレンチ発掘調査の結果によれば、津波堆積物が遡上した範囲は、海岸線から2kmの範囲である

竹本教授の論文(甲429[3 MB])では、上記①~③を矛盾なく説明するため、産総研の岡村が指摘した海底の堆積性斜面崩壊による津波の可能性を検討している。

産総研の活断層・地震研究センターでは、測線間隔は2マイル(約3.7km)以下で、大陸棚から大陸斜面までをカバーする「20万分の1海洋地質図」を出版している。そこでは、「海域の活断層評価のために、エアガンを音源とするシングルチャンネル音波探査及びマルチチャンネル音波探査で沿岸海域の活断層分布を調べている」という。そして、日本海西部の地質構造として、「東西方向及び北西―南東方向の横ずれ断層」が卓越するが、「累積縦ずれ変位は小さい」という特徴を見出しているほか、堆積性斜面の崩壊についても調べている。

甲429[3 MB]の12~13頁の図7及び図8は、岡村による「日本海の津波波源」からの引用であるが、図7には、日本海西南部のマルチチャンネル音波探査で、大規模斜面崩落が見つかった若狭湾沖、鳥取沖及び島根沖の海底地盤構造が例示されている。

図7 (堆積性斜面の崩壊) 【図省略】

さらに図8には、日本海西南部で斜面崩壊が発生している斜面として、島根沖、若狭湾沖及び能登半島西部が具体的に楕円形で示されている。竹本論文では、この図の中で、益田市から北北西に約110~150km離れた島根沖で、斜面崩壊が発生している場所に注目している。その楕円の東西方向の広がりは、隠岐半島の西から朝鮮半島の東側に至る約260kmの広大なものである。また、南北方向については、益田沖からその楕円の南端まで水深200m以下の大陸棚が続くが、そこから日本海は急速に深くなり、斜面崩壊が発生している場所の北側の境界(益田から約150km)の辺りの水深は約1000mにもなる。さらに益田から北方に約200km離れると、水深は2000mに達し、その先には水深約2000~2200mの対馬海盆になる。

図8 (斜面崩壊が発生している斜面) 【図省略】

図9では、海上保安庁水路部(現・海洋情報部)の海底地形図のうち、No.6314「西南日本」を参考にし、図8に示される日本海西南部で斜面崩壊が発生している斜面の中から、島根沖の海域のみの海底地形図を作成し図示している。

図9 【図省略】

竹本論文の考察は、図8に楕円形で示されている島根沖の海底堆積性斜面の崩壊は、全域が一度に崩壊したのではなく、その楕円形の中で、部分的に様々な年代に多数の崩壊があり、それらを合わせたものが現代の海底地形を形作っているとする。そして、それらの中で、最も新しい斜面崩壊が1026年の万寿津波を引き起こしたとする。

また、竹本論文では、1026年の万寿津波に関し、津波の被害が島根県益田地方に集中していることに注目している。図9の益田市から対馬海盆に向かうN20°W方向の赤線に沿って、(←→)で示した東西約50kmの範囲が1026年の斜面崩壊に関与していたと考えることにより説明できるとする。即ち、島根沖の海底斜面崩壊が発生している水深の急変帯が、益田地方を焦点とする凹レンズのような形をしており、それによる波動伝播のフォーカシング効果のために、1026年の万寿津波では、益田地方に津波被害が集中したと考えられるとする。この点は次に述べる。

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 4 万寿津波のメカニズムについて

  (1)海底地形から見た考察(図10)

甲429号証の10頁では、図10で、図9において赤線で示した益田市からN20°W方向に向かう方向の、島根沖から対馬海盆までの水深と距離の関係を示している。

図10 (益田からN20°W方向に測った距離) 【図省略】

まず、益田市の海岸から18km進むと水深は約100mになる。距離128kmでは水深200m、137kmでは水深300m、このあたりから海底面は急速に下がり、140kmでは水深400m、141kmでは水深500m、142kmでは水深600m、143kmでは水深700mになる。更に、距離150kmでは水深約1000m、164kmでは水深1500m、200kmで約2000mとなり、そこから先は、水深2000~2200m程度の対馬海盆へ続いている。

この図は、現在の水深(海底地形)を示したものであるが、1026年の大崩壊よりも前は、水深がもっと浅いところにあり、それが大崩壊によって土砂が深みに流れ落ちた結果、現在の水深になったと考えられるとしている。

その理由として、竹本論文は、1026年の大崩壊は、大陸棚が終わる益田から距離128kmの水深200mの辺りから始まり、水深300mのところで30m、水深400mのところで50m、水深500mのところで60m、水深600mのところで50mの土砂が北側急斜面に滑り落ちたと考察している。そして、益田からの距離が約143kmの水深700mの辺りで、上から落ちてくる土砂と、更に下まで落ちていく土砂がバランスしていて、現在の水深とほぼ同じになったと考察している。そこは、水深200mの場所よりも約15km北に離れた場所である。そして、水深700mよりも深いところでは新たな崩壊は起こらず、上から落ちてくる土砂が堆積することにより、水深が浅くなったとしている。

  (2)図11の考察

図11 (益田からN20°Wに向かった距離) 【図省略】

更に、甲429[3 MB]の15頁では、図11(A)と図11(B)の説明をしている。図11(A)は、益田から128~160kmの範囲、つまり水深200~1300mの範囲内で、青線が現在の水深、赤線が大崩壊以前の推定水深を示している。図11(B)は、赤線と青線の差をとった斜面崩壊前後の海底面の相対的な変化の様子を模式的に示している。益田から128~143kmの距離では、斜面崩壊により土砂が北側の深みに流れ落ちたため、水位は低下し、水平距離が143kmよりも遠いところでは、崩壊した土砂が堆積して水位が上がる。これを差し引きすると、大きな津波が益田市を襲ったことを次のように説明できるとしている。

まず、益田からほぼ北方に距離128~143kmの範囲の海底堆積物が斜面崩壊により北側に流れ落ち、この部分の水深が急激に低下した。その結果、周囲から海水がこの領域に押し寄せたため、益田付近の津波第1波は引き波になったと考えられる。その後、北方に流れ落ちた土砂が堆積し、この部分の水深が浅くなったために、海水が周囲に流れ、押し波が周囲に伝わった。図11(B)では、そのタイミングの図を示しているが、斜面崩壊で水位が低下した青色の領域に、北側の土砂が積もって水位が上昇した黄色の領域から海水が押し寄せたため、結果として南側に大きな押し波の津波が伝わったという構造である。

このことについては、前述した1998年のパプアニューギニアの地震・津波の際に、海底地すべりによって引き起こされた津波の説明が参考になる。

次に、津波の被害が島根県益田地方に集中していることに関しては、波動現象のフォーカシング効果のためと思われる。

図面A 【図省略】

すなわち、前掲の図9において、益田市から対馬海盆に向かうN20°W方向の赤線に沿って、(←→)で示した東西約50kmの範囲の、海深が200mより深い領域では、益田地方を焦点とする凹レンズのような形をしている。前掲の図3で示したパプア・ニューギニア沖の津波のように、海底斜面崩壊がこの範囲で起きると、図11(B)の青色で示した範囲が最初に沈降し、そこに海水が引き込まれるため、島根県側の最初の津波は引き波となる。次に、この斜面崩壊で崩れた土砂がより深いところ(島根県から見れば遠い方向)に滑り落ちていくと、この部分にたまる土砂のために、海底面は浅くなり、図11(B)の黄色で示した領域の海水面が上昇し、島根県側には押し波となる。このとき、益田地方を焦点とする凹レンズ型の海底地形構造が影響し、津波は四方に同じ高さで伝播せず、凹レンズのフォーカシング効果によって、益田地方に集中して高い津波が襲ったと理解されるのである。つまり、図11(B)は、上記図面Aの赤線に沿った軸方向の海水面の高さを示しているが、沈降域(青色)と上昇域(黄色)は、空間的には、図面Aのように分布していると言える。

竹本論文では、1026年の島根沖斜面崩壊が、図9の益田市から対馬海盆に向かうN20°W方向の赤線と直向する方向に←→で示した約50kmの範囲で、奥行約15kmの範囲で起こり、滑落した土砂の厚さの平均が20m弱としている。つまり、斜面崩壊で滑り落ちた固体堆積物は、50×15×0.02=15.程度の体積である。この程度の斜面崩壊なら、過去の海底地すべりの実測値から考えても、一度に起きることは不合理ではないとする。

  (3)津波と堆積物の遡上距離との関係について

万寿津波の調査では、益田地域の津波到来の伝承は、河口から10km遡った標高20~25mの地点に残されており、都司・加藤論文では、現地調査の結果、標高20mを超える地点まで津波が到達した可能性は否定できないと述べている。一方で、中田外の論文では、津波堆積物は海岸線から2km程度の範囲しか認められないと結論付けている。

この差について、菅原論文では、2011年東北地方太平洋沖地震の際に、津波侵入距離が海岸から4~5kmであったところで、砂質堆積物の分布距離はその60~70%に過ぎなかったと述べている。

竹本論文では、このように陸上の津波侵入距離と津波堆積物の分布距離の関係は、必ずしも一致しないと結論付けることも可能とする。更に、通常の津波は、巨大地震の上下方向の断層運動によって引き起こされ、断層破壊は数秒のうちに終わり、津波の波源は数秒の内に形成されるが、海底堆積性斜面の崩壊の場合には、津波波源の形成速度は段違いに遅く(長く)、「分」から「時間」の単位で形成されると考えられるとする。その差が津波堆積物の遡上距離に関連している可能性があるとする。このように、竹本論文では、1026年の万寿津波が通常の津波のように巨大地震の上下方向の断層運動によるものではなく、海底堆積性斜面の崩壊によって引き起こされた津波であると考えれば、大筋の説明が可能であるとする。

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