◆原告第18準備書面
第2 福井地裁異議審決定の判断枠組みの問題点(全体を通じて)

平成27年12月24日福井地裁異議審決定の問題点  目次

第2 福井地裁異議審決定の判断枠組みの問題点(全体を通じて)

 1 異議審決定の規範の要旨

 (1) 人格権が侵害されている債権者において具体的危険性の主張疎明が必要。

 (2) ところで、原子力規制委員会の目的、独立性、専門家から国会同意人事、原発事業者等の欠格など、法制度として、規制委が高度の専門的知見に基づいて中立公正な立場から独立して職権を行使できる体制を確保する仕組みがある。さらに規制委、規制庁全体として独立性が確保される組織構成。

 (3) その制度趣旨は深刻な事故が万が一にも発生しないようにする必要があるところ、その判断に多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門技術的知見に基づく総合的判断が求められるから、上記のような規制委員会において、総合的・専門技術的見地から十分な審査を行わせ、もって原子力利用における安全の確保を徹底することにある。

 (4) 発電用原子炉施設の安全性に係る審査の特質に鑑み、安全性にかけるところがあるか否かについて、裁判所は、その安全性に関する規制委の判断に不合理な点があるか否かという観点から審理・判断するのが相当。すなわち原子力規制委員会の調査審議において用いられた具体的審査記基準に不合理な点があり、あるいは当該原子炉施設が上記審査基準に適合するとした同委員会の調査審議及び判断の過程等に看過しがたい過誤、欠落があるときは、当該原子力施設の安全性に関する同委員会の判断に不合理な点があるといえるものであり、そのような場合には、当該原子力施設の安全性に欠けるところがあるといわざるを得ず、深刻な事故が起きる具体的可能性が否定できないこととなり、よって、周辺住民の生命身体及び健康を基礎とする人格権が侵害される具体的危険性が肯認される。

 (5) ここでいう安全とは、絶対的安全性を想定することはできず、何らかの程度の事故発生等の危険性は常にあるから、絶対的安全性を要求することは相当でない。しかし、福島原発事故等の被害の甚大さ深刻さを踏まえ、原子炉施設の有する危険性が社会通念上無視し得る程度にまで管理されていることをいうと解すべき。

 (6) したがって、不合理性や過誤欠落があるか否かについては、福島原発事故の経験等も踏まえた現在の科学技術水準に照らし、当該原子炉施設の危険性が社会通念上無視し得る程度にまで管理されているか否かという観点から、あくまでも厳格に審理・判断することが必要。

 (7) 原発の安全審査に関する資料や科学的・技術的知見は専ら債務者が保有することを踏まえ、まず、債務者において、原子力規制委員会の上記判断に不合理な点がないことを相当の根拠、資料に基づき疎明すべきであり、債務者が主張疎明を尽くさない場合には、原子力規制委員会がした判断に不合理な点があるものとして、当該原子炉施設の周辺に居住する住民の人格権が侵害される具体的危険性があることが事実上推認される。

 (8) 他方、債務者が上記の主張疎明を尽くした場合には、本来、主張立証責任を負う債権者において、当該原子炉施設の安全性に欠けるところがあり、債権者らの人格権が現に侵害されているか、または侵害される具体的危険性があることについて主張疎明する必要がある。

 2 原発行政に基本的な信頼を置く問題点

1で記した福井地裁異議審決定の要旨(2)ないし(4)は、当該裁判所が、現行の原子力規制委員会の仕組みに基本的な信頼を置き、いわゆる新規制基準を通して安全性の判断をすることを宣言したものである。
しかし、福島第一原発事故は、内閣が福島第一原発で電源喪失はあり得ないと明言し、原発行政が福島第一原発の安全性を肯定する中で発生したのであり、その後、法律が変わったからといって、従前の行政原発の安全性に対する考え方が根本的に変革を迫られた訳ではないし、原子力行政に携わる人々が質の変化を伴うほど入れ替わった訳でもない。実際、新規制基準についても、従来の基準に多少の手直しをした程度で大幅な変更はされていないし、立地審査指針のように適用されなくなってしまった(後退した)ものすらある。
そして、例えば、前述のように、原子力規制委員会は、免震重要棟の建設の約束を反故にした電力会社に対して、何の統制もできない状況を露わにしている。
福井地裁異議審決定が、このような原子力行政に対して基本的な信頼を置き、その目を通して原発の安全性を審査しようとする点に、この決定の最大の問題点があるし、3で述べる様々な不合理な点も、福井地裁異議審決定が、原子力行政に追随した結果として起こるものである。

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 3 「現在の科学技術水準」「社会通念」等の文言の濫用

  (1)「現在の科学技術水準」と「社会通念」の関係の不明確性

異議審決定は、1で述べた異議審決定要旨(6)のように、「現在の科学技術水準」に照らして、「社会通念上無視し得る程度にまで」、原発の危険性が管理されているか否かで安全性を判断する。
しかし、科学技術上の概念であるはずの「現在の科学技術水準」や「安全」と、社会通念の関係が全く不明確である。そして、実際のあてはめにおいては、「社会通念」という言葉がマジックワード化し、原子力規制委員会の現状を追認するための言葉にしかなっていない。福井地裁異議審決定が「社会通念」を濫用することについては、先にその規範を打ち立てた裁判官自身から批判の声が上がっていることは、第1で述べたとおりである。
そして、福島第一原発事故後の社会通念を言うのなら、福島第一原発事故のような過酷事故をもう二度と許容しないのが日本国民の過半数の意思であるが、福井地裁異議審決定は、そのような観点で、原発行政を厳しくチェックする姿勢は皆無である。万一の事故が起きたときに、避難が万全に行われるべき事も、日本国民の過半数の意思であるが、福井地裁異議審決定は、そのような観点で、原発行政を厳しくチェックする観点も皆無である。

  (2)「最新」について定義がないこと

異議審決定は、規範の段階では、「現在の科学技術水準」に照らして原発の安全性を審査する立場に立つ。そして、実際の当てはめの段階で用いている文言は、新規性基準に登場する「最新の科学的・技術的知見」という文言であり、現実の調査・審査が「最新の科学的・技術的知見」を踏まえているかを検討している。例えば「以上によれば、本件原発に係る検討用地震の選定や基準地震動の策定に当たっては、最新の科学的・技術的知見を踏まえた各種調査が実施されたということができる。」(105頁)などというのである。
しかし、ここで言う「最新の科学的・技術的知見」の定義について、異議審決定は何も述べておらず、言葉がマジックワード化し、「社会通念」と同様、一人歩きしている。実際には、以下に述べるように、東日本大震災発生の相当前のものも含め、現実に行われた調査、審理をもって「最新」と述べ、それを追認するだけの意味しかない。

  (3)新規制基準は福島第一原発事故を踏まえていないこと

福島第一原発事故の発生原因については、(1)事故現場の放射線 量が高く調査ができない、(2)加害者である東京電力が原因究明に協力しない、という点に起因して、まだ、正確な発生原因すら特定されていない。
例えば、前者については事故直後の作業員の証言を元にした報道からしても、福島第一原発1号機内部で配管の破断や蒸気漏れが発生していたことが推測され、地震動により原発そのものが破壊されていた可能性が十分にある。しかし、このことについて、裏付けを取ることは現状では簡単ではない。
後者については、例えば、東京電力が2号機のベント(ガス抜き)失敗を正式に認めたのは2015年になってからのことである(甲245)。それに関連して、2号機の逃がし安全弁といわれる弁の材料が摂氏200度で熔解するものであり、それが熔解してベントの失敗につながった可能性があることを発表したのは2015年の年末のことである(甲246)。
新規制基準が福島第一原発事故を踏まえたものでなく、むしろ、証拠が十分にない場所で、過酷事故の原因を「想定外」の津波のせいにするものであることは、これらのことからしても明らかなのである。しかし、

  (4) 「想定外」を許容する「最新の科学的・技術的知見」

上記のように、福井地裁異議審決定は、原子力規制委員会の審理が「最新の科学的・技術的知見」を踏まえたものであることを強調する。しかし、福井地裁の異議審決定は、福島第一原発事故前の原子力安全・保安院による審理が「最新の科学的・技術的知見」を踏まえていなかったことについて何の論証もしておらず、むしろ、その議論と原子力規制委員会の議論を連続性のあるものとして捉えていることは明らかであろう。

   ア 15mの津波対策をできなかった原子力行政
原子力規制委員会の審理の結果得られる知見は、集団的な合議の結論として得られる知見であるから、それは、どんなに中立的に見ても、現在の相当の科学水準にいる科学者が全体として承認している水準の知見なのであり、それは本当の意味での「最新」の知見とはならない。「最新」の知見は異端だからである。現に、福島第一原発に15m級の津波が押し寄せることは、可能性を指摘する声がありながら、ついに現実の原発行政に反映されることはなかったのである。原子力規制委員会の枠組みであれば、事前に15mの津波に関する知見を取り入れることができた、という保障はどこにもないし、電力会社がそのよう立証をしたこともない。

   イ くり返されてきた「想定外」の事故
さらに言えば、日本の原発では、最新の科学的地点を前提にしても「想定外」の事態がくり返し発生している。第10準備書面17頁で述べた美浜原子力発電所2号機の二次冷却水の伝熱管破断事故であり、同書面17頁で述べた同原発の二次冷却水噴出事故なのである。これらをはじめとする原発の事故は常に「想定外」の事象であり、過酷事故にもつながりかねないものであった。そして、「想定外」の事故の極めつけが、東日本大震災の発生とそれによる福島第一原発事故なのである。
そのような「最新の科学的・技術的知見」の中身が福島第一原発事故の前後で大きく変わることは考えられない。少なくとも、福島第一原発の事故について、先端にいたはずの科学者らがこれを防げなかったどころか「想定外」と呼ばわった事態について、その後、これがどう変わったのかについて厳しく問われなければならないはずである。しかし、このような事態について真摯な総括がなされているとは到底言い難い。

   ウ 科学の到達点の低さとの関係
地震に関する科学の最新の到達点は「個別の原発サイトにどのような地震動が発生するかは現在の科学では予見できない」という点にある。
そうであるのに、既知の断層(そもそも「断層」の定義として調査により発見できていなければならないのである。)を前提にして、せいぜい、それにいくぶんかの要素を付加することで、原発サイトにくるかもしれない地震動の大きさを画する考え方事態が「最新」の科学的知見とは相いれないものなのであり、それを行おうとすれば、必然的に「想定外」を孕むものとならざるを得ないのである。

   エ 小括
裁判所がそのような意味での「最新の科学・技術的知見」を絶対視する限り、いつかは、その想定を上回る原因による「想定外」の事故を招来することとなる。
原発の過酷事故を万が一にも起こしてはならないと同時に、我々は、原発の稼動と事故について、二度と、「想定外」という言葉を使ってはならないのであるが、福井地裁異議審は、このように、本質的に「想定外」を許容する曖昧な「最新」の言葉を振りかざすことで原子力規制委員会の審理に承認を与えており、福井地裁異議審の決定はこれに答えるものにはなっていない。

  (5) 危険性を否定する方向での仮説の援用

また、福井地裁異議審決定は、例えば基準地震動の策定について、自らが「いまだ開発途上の手法」であることを認める手法を用いたり(107頁)、すでに先端の知見を持つ地震学者から「古すぎる」との指摘がされている計算式を用いること(108頁)を、「最新の科学的・技術的知見」を踏まえたものとして正面から肯定する。
原発の安全性を肯定する方向の事情としてはこのような事を平気でやる一方、現に知見が得られている既往最大の地震動(4022ガル)について、これを捨象するために、仮説に過ぎず、発生条件が全く不明な「トランポリン効果」(甲247。著者自身がメカニズムは明らかではないと明言している。)のせいにし、発生条件が不明なのに「本件原発の敷地においては、その地下構造に地震動を増幅させるような得意な構造党は認められていない」(112頁)などという全く非科学的な議論で債権者の主張を排斥している。
このように、福井地裁異議審は、原発の安全性を肯定する方向では、すでに万一の事故を防ぐこととの関係で言えば先端の科学者から有用性を否定されつつある計算式を用いることを全面肯定する一方、原発の危険性を否定する方向では、発生条件すら不明の仮説を全面的に援用することで現に発生した現象を捨象して債権者の主張を排斥するものであり、「最新」の扱い方が極めて恣意的なのであり、発想に「保守的」な点が見られない。

  (6) 「最新」か否かと関係のない事情を「最新」とする牽強付会

原発立地周辺の地盤等の調査(たとえば海底の地盤の調査や過去の津波の痕跡の調査)は、資金と時間をどれだけ費やして、どこまで丹念に行うかによって、精度が変わるし、コストが段違いとなる。これは、「最新」か否かとは直接関係がない。被告関西電力が、専門家の度重なる指摘にも関わらず、津波の調査を十分に行っていない点については、原告第14準備書面第5(46頁以下)でのべたところである。
規制委員会の審理の対象となる原発周辺の地盤等の調査結果は、もっぱら電力会社によって提出されたものである。営利企業である電力会社は、常にコスト削減に努めなければならないし、地盤の調査にコストを投じるほど、原発の建設・稼動にとって不都合な事象が発見される可能性があるのだから、コストを投じることがさらに高コスト(その究極としての原発の建設・稼動不能)に結びつき得る。営利企業の行動原理の本質として地盤調査は最低限にならざるを得ない。実際、原子力規制委員会が高浜原発について行った審査についても、その基礎となる調査結果の多くは関西電力が新規制基準制定前に行ったものである。
そして、原子力規制委員会は、自ら調査を行うこともできない。例えば、原子力規制委員会の運営予算は平成28年度予算案において413億円に過ぎず、これは平成27年度当初予算から39億円も削減されている(顕著な事実)。そしてこれらの予算のうち、個別の原発の地盤調査に費やせる費目はほとんどないに等しい。すなわち、原子力規制委員会は、関西電力が現に行った調査について、根本的に是正する力を持っていないのである。旧財閥系の名を冠する建設会社がマンション敷地地盤のデータを改ざんしたニュースは記憶に新しいが、原子力規制委員会はこのようなデータの改ざんに対しても無力である。
「最新」の知見は、基礎となるデータが万全のものでなければ意味がないところ、原子力規制委員会の審査はこの点を十分に担保するものではない。
しかるに、福井地裁異議審決定は、現に行われた調査をもって「最新の科学的・技術的知見を踏まえた各種調査が実施されたということができる」(106~107頁)と安易に述べてしまっており、論証すべき「最新」の根拠をもって「最新」の理由としている。

  (7) 基準の不備を「最新」の科学で代用する問題

   ア 基準地震動策定についての基準の不備
福井地裁異議審は「新規制基準の策定に関与した専門家より「基準地震動の具体的な算出ルールは時間切れで作れず、どこまで厳しく規制するかは裁量次第となった」との指摘もされている」と認定している。そうであるのに、結論においては「最新の科学的・技術的知見を踏まえた地震動の評価がされているか、不確かさについても適切に考慮されているかといった点を個別的克具体的に審査する枠組みが予定されているものと解されるのであり、そのような審査の枠組みは十分に合理性がある」(105-106頁)とする。
しかし基準作成に関わった先端の専門家が「裁量次第となった」と述べているのを、裁判所が「最新」の知見を踏まえているから合理性がある、というのは、次元の違う問題を強引にこじつけるものであり、論理破綻である。どんな先端の科学者といえど、何らかの判断基準がなければ安全か否かは判断できないからである。これは、最先端の裁判官が何人集まっても、法がなければ具体的な司法審査を行えないのと同じである。

   イ 「保守的」「不確かさの考慮」の恣意性
福井地裁異議審は、上記の点について、審査基準に不合理な点があるとするのではなく、逆に「具体的な適用過程において適切に不確かさが考慮されている限り」合理性がある、とする(109頁)。
そして、基準地震動の策定について、実際の当てはめの場面で、「保守的」「不確かさの考慮(をした)」を連発するが(109頁以下)、その意味内容はほとんど不明である。実際には、大本の基準を曖昧にしたところで、原子力気鋭委員会が現場でしたさじ加減に、このような美称を与えているに過ぎない。
このような基準不在(すなわち基準の不合理性)の下でのさじ加減という弥縫策を「保守的」「不確かさの考慮」などと、肯定的に評価することは許されず、審査基準の不備として正面から認定されるべきである。

  (8) 「最新の科学的・技術的知見」は人的な問題、現場の機器の問題に対して無力

原子力規制委員会が再稼働を許可した高浜原発4号機が再稼働後1ヶ月で故障したことは記憶に新しい。
福井地裁異議審決定が「最新の科学的・技術的知見」に基づくとお墨付きを与えた原子力規制委員会の審査は、このような現場での事故発生を防げなかったのである。これは、福島第一原発の事故についてもいえる。原発行政は、原発が稼働している現場での原発のずさんな管理や、多重下請構造による労働の質の劣化の問題などに対して無力である。

  (9) 小括

結局、福井地裁異議審においては「現在の科学技術水準」の意味するところも、それと「社会通念」の関係も全く不明確であり、実際の当てはめの場面では、現になされた原子力規制委員会の審査を前提に、それを肯定するために深い検討がないまま「最新の科学的・技術的知見」「保守的」「不確かさを考慮」などの言葉が濫発される一方、規制委や電力会社がいうような意味での原発の安全性を否定する方向の知見は徹底して無視され、基準の不在や、最新か否かとは関係のない事情まですべて「最新」の言葉でごまかされてしまっているのである。総じて、福井地裁異議審のいう「現在の科学技術水準」とは、現在の原子力規制委員会による原発行政を追認するだけの文言になってしまっているのである。
福島第一原発事故前の原発安全神話の担い手には裁判所も含まれていたのである。裁判所がチェック機能を果たさず、原発行政を追認するばかりの事態は、原発安全神話そのものである。

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 4 「深層防護(多重防護)」の考え方を無視する

  (1) 最低でも深層防護(多重防護)の考え方が必要である

3で述べたように、「最新」の科学的・技術的知見なるものは、その本質において「想定外」の過酷事故を許容するものである。これは、原子力規制委員会が仮に真摯であったとしてもその結論は異ならない。
そうであるなら、最低でも、仮に徹底した事故対策の末に事故が起きたとしても、次の層で対処する、という深層防護(多重防護)の考え方を採るしかない。
すなわち、すでに原告第1準備書面で述べたことであるが、世界的には、原子力安全対策において、「深層防護(Defense in Depth。多層防護、多重防護と訳されることもある)」がもっとも重要な指導理念とされてきた。深層防護とは、多重に安全防護のための障壁を備えることを意味する。
深層防護が有効に機能するためには、(1)「階層間の独立」と(2)「前段否定の論理」が充たされなくてはならない。
まず、(1)「階層間の独立」とは、深層防護の各階層で、前後の階層に依存することなく最善の安全対策を尽くすべきであるという方法論である。
つぎに、(2)「前段否定の論理」とは、各階層で最善を尽くして完璧に近い防護対策がなされているところに、あえて防護対策が破られると仮定し、防護対策を講じるべきであるという方法論である。例えば、第5層(後述)の防災対策の準備がこれに当たる。原子力発電所では、完全に安全と断言できる状態を目指して努力をする一方で、万一の事故を想定して、原子力災害に備えた準備をすることで、放射線の放出による市民の健康被害を回避できる。(甲32:国会事故調参考資料237頁より)。
もっとも、深層防護の考え方自体、原発の存在を許容するものであり、原発の過酷事故を許容するものであるから、福島第一原発事故後の我が国の状況とは合致しないことは念のため付言する。
いずれにせよ、福井地裁異議審決定は、「保守的」に考慮したとか、「不確かさを考慮」などと言うが、真に不確かさを考慮し、保守的に考えるのなら、不確かさを前提に、次の独立した階層において安全性を確保するほかないのである。

  (2) 炉心溶融後の事象、避難計画の整備状況や実施可能性等を審査の対象外とする

一方、福井地裁異議審決定は、「以上によれば、本件原発においては、債権者らが指摘する危険性(本件原発の燃料体等の損傷ないし溶融に結びつく危険性)については、社会通念上無視し得る程度にまで管理されているということができる。」(221頁)として、それ以後の事情について審査することを拒む。
この点、「原発安全神話」とは、日本の原発では深刻な事故は絶対に起こらない、ないしは、深刻な事故が起こる確率は無視できるほど小さい、という考え方(大島堅一『原発のコスト』岩波新書p130)をいう。
福井地裁異議審のように、自らがよって立つ理論の不完全性が大きいことを認識しながら、何だかんだと理由をつけて事故が起きる確率は無視しうるほど小さい、と述べて、それより後の事情を考慮することを拒否するのは、原発安全神話そのものなのである。
現に我が国の原発において過酷事故が発生しているのに、過酷事故発生後の事情を考慮しようとすらしない福井地裁異議審の決定は、福島第一原発事故を踏まえたものとは到底いえない。また、このような福井地裁異議審の見地は、新規制基準に基づく原子力規制委員会の基準よりもさらに司法審査の範囲が狭くなっており、この点からも到底許容されるものではない。

 5 まとめ

結局、新規制基準も、それに信頼を置く福井地裁異議審決定も、その考え方は「最新」どころか、福島第一原発事故を体験した後に原子力発電所を稼働しようとするのであれば、最低限踏まえるべき考え方すら踏まえていない、古い考え方に基づくものである。
福井地裁異議審は、そのような新規制基準による審査よりも、さらに司法審査の範囲を縮小してしまうものである。行政追従である点で許されないし、過酷事故は起きない、という安全神話そのものである。

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