◆原告第40準備書面
第1 福島第一原発事故を経てもなお繰り返される安全神話

2017年(平成29年)10月27日

原告第40準備書面
-過酷事故における人的対応の現実と限界-

目次


第1 福島第一原発事故を経てもなお繰り返される安全神話

  1.  福島第一原発事故は、それまでの原発への安全対策が、「万が一にも事故は起こらない」ことを前提とした「安全神話」にすぎなかったこと、具体的には国際標準である深層防護における第1~第3層までの対策しか考えられておらず、策4層(過酷事故対策)及び第5層(避難計画等の防災対策)の対策が極めて不十分であったことを明らかにした(原告第1準備書面・甲32)。
    しかるに、本訴訟においてもなお、被告関電は、「本件発電所においては、自然的立地条件に対する安全確保対策や事故防止に係る安全確保対策により、炉心の著しい損傷や周辺環境への放射性物質の異常な放出が生じる蓋然性はないのであるから、放射性物質の大量放出等が生じて原告らの人格権等が侵害されることは考えられないのであって、かかる事態が生じることを前提とする原子力災害対策の内容の当否は、本件訴訟においては主たる争点にはならない。」(被告関電第9準備書面・59頁)などと、相変わらず「安全神話」そのものの主張を繰り返しているのである。
  2.  このような被告関電の主張は、被告関電が想定する基準地震動以下の地震は絶対に発生しないこと、すなわち起こり得る地震の規模が予知できることが前提となっているが、この前提は一般常識にも科学的知見にも反している。
    例えば、2017年(平成29年)8月、内閣府の南海トラフ地震対策のために設置された南海トラフ沿いの大規模地震の予測可能性に関する調査部会の報告書には、「ここで検討したいずれの手法も、現時点においては、地震の発生時期や場所・規模を確度高く予測する科学的に確立した手法ではなく」「これら科学的知見の現状について、過度の期待や誤解がないよう、社会との間で共有することが不可欠である」(甲370・20頁以下「11.おわりに」)と明確に述べている。
  3.  本訴訟において原告らが問題にしているのは、原子炉施設の安全ではなく、広範な範囲に及ぶ周辺住民の安全である。そして、ひとたび過酷事故が起こってしまった場合、周辺住民の安全は、いかに適切に事故収束作業が行われるかにかかっている。問題は、原発事故においては、事故収束作業に関わる人々が、二重拘束(ダブルバインド)、すなわち待避しないと自分の命が危ないという現実的な危険と、待避してしまったら一般の人たちの命を危うくするという倫理的な危険の板挟みになる点である。過酷事故時において、「福島フィフティ」の言葉に象徴されるような「英雄的」行為を期待し、また、極限状態の中でなお、適切な判断や行動を期待することは、困難というべきである。
    下記、具体的に述べる。

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