◆第22回口頭弁論 意見陳述

口頭弁論要旨

西郷南海子

わたしは京都市左京区で三人の子どもを育てている西郷南海子と申します。わたしが住んでいる地域は、大飯原発から56.8kmに位置します。今日は、仕事をしながら子育てをしている立場から、大飯原発の運転差し止めを求める意見陳述をします。

2011年の東日本大震災まで、わたしは原発とは日本のエネルギーの3割を供給している発電方法だとしか思っていませんでした。ところが東京電力福島第一原発の事故を目の当たりにして、自分の考えが取り返しのつかない過ちであることを思い知りました。放射能には色も匂いもなく、いったん空気中に放出されてしまえば拾い集めることもできません。核種にはいろいろあるとは言え、半減期まで何十年とかかるものも多いです。こうした目に見えない放射能をどう避けたらよいのか、2011年当時まだ乳幼児だった子どもたちを抱えて途方に暮れました。

あの事故から8年が経とうとしていますが、子どもたちを被ばくから守るためには、原発を止めるしかないという結論にわたしは至りました。昨年2018年は、地震や台風などたくさんの自然災害がありました。そして災害が起こるたびに、家族はいつも一緒にいられるわけではないということを実感しました。

わたしには三人の子どもがいますが、それぞれ保育園と小学校に通っており、活動範囲は異なっています。万が一の災害の時、どうやって子どもたち三人と再会できるのだろうかと不安です。たとえば大地震が起これば、停電するかもしれないし、停電してしまうと情報のやりとりがしづらくなります。そうした中で、もし大飯原発で事故が起こっていたとしたら、わたしたちはどうやってそのことを知ることができるでしょうか。被ばくを避けるための情報はどのようにして提供されるのでしょうか。福島第一原発の事故では、原発からおよそ47kmの地点までが避難の対象となりました。実際には、原発の東の海の側に全体の6割とも8割ともいわれる放射性物質が放出されているので、陸側の47kmの範囲と同水準の放射性物質の降下がより遠方の広範囲に広がったのではないでしょうか。我が家は大飯原発から56.8kmに位置しますが、私の住む地域には避難計画すらありません。56.8㎞は、風速20km/hの風(これは、自転車をこいだときに感じる程度の風です)の場合、3時間未満で到達する距離です。災害の混乱の中こんなに短い時間で、家族全員と再会し、さらに遠くの場所へと避難することができるとは考えられません。大災害の時は、道路や線路が寸断され、交通機関が麻痺してしまいます。災害の時に遠くに逃げるということが、もはや非現実的なのです。京都市の中心部までも60kmしかありません。そもそも、百万都市からすべての人が避難することなど、現実的に可能なのでしょうか。

被ばくを避けるためには安定ヨウ素剤が効果的だと言われています。京都市では、大飯原発50km圏内の住民にはヨウ素剤を配布するとしていますが、災害の大混乱の中で配布がうまくいくとは思えません。しかも我が家は56.8km地点にあるため配布の対象となっていません。そこでわたしはアメリカから個人的にヨウ素を取り寄せましたが、そもそもここまでして事故に備えなければならない発電方法というのが非合理的だと思います。なぜ原発で発電し続けなければならないのでしょうか。原発を擁護する理由はもはやどこにもありません。裁判所のみなさんには、原発事故の取り返しのつかなさを胸に刻んだ上での判断をお願いしたいです。

以上