◆第25回口頭弁論 意見陳述

口頭弁論要旨

口頭弁論要旨[203 KB]

2019年11月28日
今井 崇

私は南丹市美山町芦生に住まいして66年になります今井崇と申します。芦生は由良川最上流の村で、美山町のなかでも一番北東の位置にあります。おおい町とも隣接しており、大飯原発から30km範囲のところで生活しています。

今日は大飯原発の差し止めを求める意見陳述をいたします。

私が住んでいる芦生は約5200ヘクタール程の面積がございます。そのうち4200ヘクタールは京都大学の研究林として使われており、650ヘクタールが村の山で、芦生の面積のほとんどは山です。山深く生活条件の大変厳しいところに、2歳の子供から92歳のお婆さんまで計38名が地域住民として生活しています。あと、研究林に勤める京都大学の職員さんが生活しています。

生活するのが困難な芦生でありますが、自然を守り自然を生かして生活してきたからこそ今日まで住み続けてこられました。私は「芦生山の家」の管理運営をやっています。訪れていただく皆さんには、芦生でとれた物を食べていただいております。お婆さんの作る野菜、私が栽培する椎茸、なめこなどのキノコ類です。また、山の家の下に流れる由良川には、鮎をはじめ様々な種類の魚が泳いでいます。これらも大切な食材です。皆、食事がおいしいと言われます。そしてブナの木1本ブリ千匹とも言います。自然の中に在り自然を生かして生活することがこれからの芦生につながっていくものだと確信をしています。台風や大雨にも大きなダメージを受けましたが、その都度地域のみんなで力を合わせ復旧してきました。自然災害は、人々が住む地域を奪われるということはありませんが原発の事故だったらどうでしょうか。30キロ圏内の我々は地域再生が出来なくなり、生活の場を奪われてしまいます。

現在、生活道路である市道芦生灰野線と府道38号線を通学バスと市営バスが1日に7本程度走っています。ところが、市道芦生灰野線は最終まで完成していません。車道がなくなる終点からトロッコ道を約1キロ歩いたところにお二人の方が生活しておられます。今までも台風により橋が流され孤立するということが起きています。私が生まれた4日後、昭和28年の13号台風により自宅には土砂が入り大変でした。その後昭和40年の台風24号、57年台風10号、平成2年台風19号、3年の台風19号、と大きな災害が発生しています。雪も一晩に95センチ積もる大雪の時もありました。

災害のたびに生活道路が通行止めになることが、たびたび発生しています。南丹市道は道幅3.5メートと狭いうえに、ガードレールが整備されていないところもあり、一つ間違えると命がなくなるような道を、生活道路として活用しています。冬季になると除雪作業が行われますが、夕方6時ごろから朝6時ごろまでは30センチ以上の積雪になると通行止めになります。府道38号線も道幅も狭く150ミリの雨が降ると通行止めになります。台風時の倒木、土砂の流出、冬季の積雪、自然災害のたびに通行止めとなります。

このような状況で、由良川の最上流に住んでいる者は避難をすることは困難です。無理です。陸の孤島になる状況です。

また、京都大学芦生研究林は、滋賀県福井県と県境を接した山深いところに位置しここに京都大学生をはじめ多くの学生が植物等の研究にやってきます。職員さんも林内の整備や調査等、頻繁に入山されています。この研究地一部は一般にも開放されており4月から11月ごろまで多くの一般の方がハイキングに訪れていますが、これらのことは原発事故の想定がなされていません。山の中にいる時に事故が起こればどこへ行けばいいのか、入山者に知らせる手立てはあるのか、知らせることが出来たとしても逃げるすべがありません。

私は、昨年度集落の区長をいたしました。台風時においても、連絡網はあるが、独居老人まで、連絡が難しく何よりも避難場所に集まるということ自体無理です。落石や倒木の危険の中、トロッコ道を約一キロ歩き村に出てくることや3.5キロにおよび点在している人家、安全に避難をすることは無理です。降雪時も同じです。

私が管理運営する「芦生山の家」では、原生林のハイキングの案内もしております。専任のガイドが研究林内を案内するものです。ガイドには衛星携帯を所持しながら案内をしておりますが、林内は、通話できるところが限られており、谷合では通話できません。原発事故を知らせるすべがございません。京都大学からも原発事故の対応についての指示は何もありません。由良川の最上流に位置する芦生の森を守ることはそこに住んでいる者だけの利益だけではありません。川を守りそして海を守る、ブナの木一本、ぶり千匹と言われているように豊かな海を守っていくためにも山を荒らしてはなりません。原発事故が起これば、山も川もそして海もあらしてしまいます。元には還りません。原発は自然との共生は出来ないのです。

芦生にはかつて高浜原発とセットで建設されようとしていた、揚水式のダム計画がありました。芦生の研究林内に建設が計画されたのです。地域は関西電力に振り回されました。お金をちらつかせたり、飲食を提供したり、金銭で人の心を奪い取るようなことを何度も仕掛けましたが、村に生きる人々は、お金は一時のもの、一度ダムで村を潰してしまえば二度と美しい山は戻らない。頭の上に水を張ったバケツを置いて安心して眠ることなど出来るはずがないと、反対を貫いてきました。今、この自然を求めて多くのハイカーが訪れてくれています。ここに住まいするものの使命は自然を大切に守り発展させることです。地域に仕事場を作りたくさんの人が住まいできる村にしなくてはなりません。

原発事故が起きたらどうするのか、どう逃げるのか、このような思いを抱えて生活するのは息苦しくて未来への展望も生まれてきません。住むものがこの地を生かして住み続けるために、原発停止、完全な廃止しかないと強く思います。

芦生の村人は貧乏な者ばかりでした。子育て中もどんなにか苦労をしてきたかと思います。けれども貧乏をしてもお金に惑わされなかった父達は、本当に正しかったと思います。ダム建設を許さず、芦生に生きてきた人々のおかげでこの村がある。私もその思いを受け止めこの地域で生きていくそのためにも原発の再稼働中止、そして原発廃止を強く願うものです。

以上