富田道男
(大飯原発差止訴訟 京都脱原発訴訟原告団 世話人)
(日本科学者会議 京都支部 幹事)
日本科学者会議京都支部ニュース 2013年7月号
昨年11月29日に提訴した標記裁判の第1回口頭弁論が、7月2日(火)午後2時より、京都地裁大法廷(101号)で開かれた。訴状提出より7ヶ月を経過していたが、その間、1107名という京都地裁始まって以来の大原告団の裁判ということもあり、法廷を何処に設けるかで裁判所と原告代理人の弁護団との間で折衝が行われた。
小さな(?)大法廷の故に、弁護団と原告団には52席しか割り当てが得られず、そのために午前11時過ぎから傍聴整理券の抽選が行われ、101通が発行されたが、閉廷後に弁護士会館地下大ホールで開かれた報告集会での報告によると、傍聴したのは80名で、弁護士会館地下で裁判と同時並行で行われた弁護団による模擬裁判のほうに94名が参加され、原告・弁護団総勢226名が参加したとのことであった。
意見陳述の最初は、原告団長の竹本修三さんによる「地震国日本で原発稼働は無理」と題する意見陳述であった。スライドで図を示しながら、鳥取西部地震のように、活断層の存在が知られていない地域でも地震が起こる事例をあげ、原発の稼働は危険すぎるとして大飯原発の運転停止を訴えた。そして最後に次のような極めて印象深い言葉で締めくくった、「かって関電が原発導入を決めたときの社長芦原義重さんは、技術畑出身らしく、使用済み核燃料の処理など技術的な問題はあるが、 今後30年の技術開発がこれらを解決してくれるであろうと言われ、私は美浜町の地層調査に協力した。あれから40年が経ちいまだに問題が解決できていない状況を芦原さんが見れば、もう原発はやめようというに違いない。私のこの思いを被告席の関電の方は帰って社長の八木誠さんにお伝え願いたい。」
次いで弁護団から、まず渡辺輝人弁護士が「安全神話の末の福島第一原発事故の発生」と題して、設置地元を納得させるために過酷事故は決して起こらないとしなければならなかったことから「安全神話」が形成され、ついに国の原子力委員会まで「安全神話」を公言するに至り、過酷事故対策を一切行わずに福島第一の事故が発生した経過について述べた。特に、説明の過程では原発の爆発の様子を動画で示し、また写真による生々しい現場の様子を法廷に再現する手法が印象的であった。続いて三上侑貴弁護士から「避難の状況と2年後の現在の状況」について、まず事故直後から数か月にわたり1000兆ベクレル単位の放射性物質が海洋と陸上に放出され、とくに海洋汚染の拡大は国際的な問題となったことや、汚染による避難指示が、3キロ圏、10キロ圏から20キロ圏と次々に拡大されて、住民は複数回の避難を強いられ長時間の移動を余儀なくされ中でも避難指示を受けた病院の146人の患者のうち21人が死亡したときの避難の様子を、それぞれの場面の写真を提示しながら臨場感のある意見陳述が行われた。次に畠中孝司弁護士から「現在の避難状況について」陳述が行われた。政府の指示や自主的避難も含めて2011年8月末現在、14万6520人が避難生活を強いられていること、避難している多くの人は被曝を避けるため故郷への帰還をあきらめていること、また無人となった双葉町商店街の写真や放射線防護服姿の警官たちが震災瓦礫の間で不明者の捜索をする写真や福島第1原発敷地内一杯の放射性廃液のタンク群の写真などが提示され、原発による被害の現状が生々しく伝えられた。
以上の弁護団陳述のあと、原告で福島県から京都府へ避難している女性二人の意見陳述が行われた。最初の福島敦子さんは、福島第1原発爆発直後の2度の避難の後、2011年4月に京都府災害支援対策本部や多くの友人の力を借りて、福島県南相馬市から娘さん2人を連れて3度目の避難をしてこられた方である。震災直後の避難所の様子を、ご自身の悲惨な体験を交えて切々と訴えられた。中でも衝撃を受けたのは、貴重品よりも大切な「スクリーニング証」の所持のことであった、これは「放射性物質で汚染していないひと」という証明書で、これがなければ、避難所を移ることも病院に入ることもできない状況にあったとのこと。以下に彼女の述べた言葉のいくつかを記しておきます;
「2人の子を持つ親として働かなくてはなりません。・・時給800円の事務の仕事にかろうじてつくことができました」「あれから800日、なぜ事故が起こったのかの理由も責任も、誰一人問われることもなく、被災した人々は日々の生活に疲弊し、家族の崩壊と向かい合っていかなければならなくなりました。」「司法は、子どもを守ることに必死な母親たちをどうか救ってください、子どもたちに少しでも明るい未来をどうか託してあげてください。大飯原発の再稼働は、現在の日本では必要ないと断罪してください。司法が健全であることを信じています。日本国民は、憲法により守られていることを信じています。」
と締めくくった。
次に陳述台にたったA子さんも放射線被曝を避けるために、2011年8月、福島市に仕事を持つ夫を残し、2人のお子さんを連れて京都府に避難してこられた方である。被曝を避けるためとはいえ、故郷を捨てて、環境の変化に適応しきれないお子さんとの苦しい日々の生活状況を訴えられ、大飯原発で放射性物質放出事故が起こればもう行くところがない、一刻も早く大飯原発止めてくださいとの言葉で結ばれた。
被災者の意見陳述の後、再び弁護団の大島麻子弁護士より、大飯原発3、4号機の再稼働を進めた国と電力会社が依然として「過酷事故は起こらない」との「安全神話」から脱却できていないとの指摘を基に、1100人を超える原告となった本訴訟の重さを受け止め、最後の砦としての司法の役割を果たすよう要望した。
そのあと応援弁論として、「原発をなくそう!九州玄海訴訟」弁護団共同代表の板井優弁護士による意見陳述が行われた。玄海訴訟の特徴をいくつか挙げられたが、その中で、「安全基準は存在しない、あるのは操業基準である」との考えは、納得のいくものである。「技術は安全に使用・利用するものであり、安全な技術というものは存在しない」というのが私の持論だからである。板井弁護士は、かって4大公害裁判で司法が示した理性的な判断を引き合いに出して、我が国で二度と原発事故を引き起こさないための歴史的判決を期待すると弁論を結んだ。
最後に弁護団長の出口治男弁護士が纏めの陳述を行った。一つは、選挙の洗礼を受けないたった3人の裁判官が、原発のように高度の専門的な問題について判断する能力があるのか、については議論の分かれるところであるにも拘らず、判断できるとする若い裁判官を排除する傾向が進んだこと、二つ目は福島第1原発事故が、原発の安全神話によりかかった最高裁の考え方を打ち壊したと言っていいこと、そして三つ目は、団長が訴訟に加わったのは、福島第1原発の事故と福島の人々の苦難を見てしまい、見てしまった者の責任を果たさねばならないとの思いいからであること。安全神話が打ち壊され従来の大半の裁判所の拠って立つ基礎が崩れたというところから、改めて司法の役割を考えることが、この裁判に問われていることであり、裁判所におかれては、司法の役割を誠実に、そして勇気をもって果たして頂くよう心から願っているとして弁論を結んだ。
※原告団Webチームより:原告ご本人の意向により、原文に掲載されている原告のお名前を匿名とさせていただいている箇所があります。