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[NEW]◆12/24 第46回口頭弁論の報告

京都地裁「大飯原発差止訴訟」第46回期日は12月24日に行われました。今回は、9月17日の赤松純平さん(元京都大学助教授、専門:地盤構造)の証人尋問のつづきで、被告側弁護士による反対尋問、原告側弁護士による再尋問が行われました。

赤松さんは、この訴訟が提訴されてから、ご専門の立場から、さまざまな意見書によって

(1)大飯原発の「基準地震動策定」において、1.原発敷地地盤構造の評価に合理性がないこと、2.地盤モデルに妥当性がないこと、3.基準地震動に妥当性がないこと、

(2)基準地震動による地盤のすべり安定性評価に問題があること

などの論点について意見をのべてこられました。

また、今回の証人調べにあたっても、「大飯原発敷地の地盤構造の評価について」「大飯原発の基準地震動について」「大飯原発の地震力に対する基礎地盤の安定性の評価について」「若狭湾地域で発生した地震の応力降下量について」「PS検艘におけるダウン・ホール法とサスペンション法の違いについて」等の意見書を提出されています。

9月17日の主尋問で、赤松さんは、これらの論点をもとに証言されました。今回の反対尋問で、これらの論点についてどのような反証が行われるのか、注目されました。

午前10時半に始まったこの日の尋問は、昼食休憩、午後の途中休憩をはさみ、午後4時半近くまで続きました。

反対尋問は、赤松さんの意見について論理的な反証をするものではなく、赤松さんの意見の根拠になる数値の根拠や算定方法について細かく問うというものでした。

すなわち、地盤構造を評価する場合の数値・データの取り方について赤松さんとは違う事例をいろいろ示しながら、赤松さんの数値・データの取り方に間違いがないかと問いただし、細部の「ミス」をみつけることで、論理全体に疑念があると主張しようとするものでした。

予備知識、専門知識が少ないうえに、手元に裁判資料を持っていない傍聴者にとっては、何が問題になっているのかわからない専門的・技術的なやりとりが続きましたので、理解できなかった点や聞き洩らしがあるとは思われますが、結局、反対尋問は関電の主張を押し付けるだけのものでしかなく、赤松さんの基本的な論点をくずすことは出来なかったようです。

このあと、原告側弁護士の再尋問が行われ、赤松さんの意見の内容を再確認していくものとなりました。

また、今回、裁判所からの質問が行われました。赤松さんの意見を裁判所としても無視できないものと受け止めていると感じさせられるものでした。

以上により、赤松さんの証人尋問が終りました。

次回、第47回期日は3月6日で、11月26日に証言された石橋克彦さんへの反対尋問が行われます。

私たちにできることは傍聴席を埋めることです。

次回も一日がかりの証人尋問ですが、ぜひ傍聴に来てください。

(文責:原 強)

◆11/26 第45回口頭弁論の報告

京都地裁の「大飯原発差止訴訟」第45回期日は11月26日(火)午後に行われました。

今回は、石橋克彦さん(神戸大学名誉教授、専門:地震学)の証人調べでした。

石橋さんは『大地動乱の時代』(岩波新書、1994年刊)などの著作物を通じて地震災害への備えを説いてこられました。とりわけ『阪神・淡路大震災の教訓』(岩波ブックレット、1997年刊)で、「原発震災」という用語で原発と地震の関連について警告されたことは今日においても注目すべきものです。

今回の証言でも、石橋さんは、地震学者としての研究、原発関連各種委員会等における調査・提言などをふまえて、2時間を超える証言をしていただきました。

証言内容は、事前に提出された「意見書」の内容にもとづくもので、主な論点はつぎのとおり。

●地震現象の基本的なこと地震とは「震源断層運動」であり、それがくりかえされた結果できあがる地形を作った「古傷」を「活断層」とよぶ。「活断層」は将来地震を引き起こすことが想定される。ただ、「活断層」がなくても地震がおきることもある。

●2024年能登半島地震が再提起した「原発と地震」の課題2024年能登半島地震は、日本海側では最大級の内陸地殻内地震で、活断層の連動によるものとされているが、地下の「地震発生可能断層帯」は一続きの長いもので、その一部や全体が動いて地震をおこし、別々に見える活断層を作っているとも考えられる。地震時地殻変動をとらえることは重要なことで、今回、100kmにわたって、4mもの隆起があったことは、海底活断層を推定するうえでも重視しなければならない。

●新規制基準と適合性審査の問題点原発について新規制基準による適合性審査が行われるようになったが、基準そのものの不備が少なくないうえ、審査が基準に違反している事例も見られる。「基準地震動」と「検討用地震の選定」に関わっての問題点が少なくない。川内原発の審査は問題を残した。海洋プレート内地震(スラブ地震)についての検討は重要なことであるが、十分な検討がされていない。

●大飯原発3、4号機の審査書の誤り大飯原発3、4号機の審査においても「検討用地震の選定」について南海トラフ巨大地震や海洋プレート内地震(スラブ地震)の影響についての考慮がされていないのは誤り。2024年能登半島地震で確認された隆起海成段丘と地震時地殻変動は「原発と地震」にとって重要な点であるが、この点でも不備、誤りがある。

●今後の広域地震活動と大飯原発日本列島はどこでも地震が起こる可能性がある。フイリピン海プレートの影響とともに、アムールプレート東縁変動帯として地震発生の場であることも注意すべきである。若狭湾とその周辺は歴史上複数の大地震が起こっており、海底活断層も複数知られていることから、近い将来の大地震を考える必要がある。なかでも小浜湾は「大地震空白域」であり、警戒すべきである。大飯原発の重大事故の影響はとても大きい。場所と時間を決めた地震発生予測ができない以上、予防原則に徹して、大飯原発の運転を停止すべきである。

(以上は、証言傍聴メモの不十分な部分を「意見書」で補ったものです)

今回の、石橋さんの証言についての反対尋問は2025年3月6日の予定です。

「大飯原発差止訴訟」は、2012年11月提訴以来、いよいよ最終段階を迎えています。

「原発回帰・推進」の流れが強まる中、「脱原発」の声を大きく広げる必要があります。「大飯原発差止訴訟」についてひきつづき注目していきたいと思います。

(文責:原 強)

◆11/26 第45回口頭弁論 原告提出の書面

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【原告】裁判資料ーー今回の準備書面、意見陳述 → このページでは以下にリンクを掲載。
    前回までの準備書面、意見陳述は → こちらのページから。
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【原告】裁判資料ーー今回の証拠説明書と書証(甲号証)→ このページでは以下にリンクを掲載。
    前回までの証拠説明書と書証は → こちらのページから。
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[第109準備書面][289 KB] 石橋克彦氏意見書に基づく主張(2024年10月7日)
証拠申出書[133 KB] 石橋克彦氏(2024年10月15日)
甲第658号証 証拠説明書[119 KB] 石橋克彦氏意見書(2024年10月7日)
甲第658号証[3 MB] 石橋克彦氏意見書(2024年10月7日)
甲第659号証 証拠説明書[192 KB] 石橋克彦氏意見書(2024年10月31日)
甲第659号証[15 MB] 尋問用資料集(番号付き)

◆10/29 第44回口頭弁論の報告 ~救援新聞より

  • 救援新聞 京都版No.1534 2024年11月5日
    橋本宏一(日本国民救援会京都府本部 事務局長)

「ふるさとなくすのは私たちだけに」
大飯原発差止京都訴訟で証人尋問

福井県の大飯原発の稼働停止と損害賠償を求めて、京都などの住民3,477人が関西電力と国を相手に起こした訴訟の、第44回口頭弁論が、10月29日京都地裁(第6民事部合議係齋藤聡裁判長)101号法廷で開かれました。この日の法廷では約60人の傍聴者が見守る中、2人の証人と1人の原告が証言台に立ち、東京電力福島第一原発の事故による被害の実相を証言、「ふるさとをなくすのは私たちだけにしてほしい」などと、原発の稼働停止を訴えました。尋問の原告代理人弁護士と証言者、証言要旨は次の通りです。

大河原壽貴弁護士―國分(こくぶん)富夫さん

事故当時、原発から15キロ離れた南相馬市で暮らしていた。大きな揺れの地震を外で感じ家に帰ると妻は家の隅で固まっていた。その後孫が帰宅。津波が家の数10メートルのところまで押し寄せてきていた。原発の水素爆発をみて避難を考えた。近所の人たちは「15キロ離れているから大丈夫」といったが、私はとっさに危険を感じた。南相馬市小高地区に原発をつくる計画がもちあがったとき、反対同盟を結成して活動してきた。息子の妻の実家に集まろうと避難。イオンモールで必要なものを買って行こうとしたらものがほとんどない。次女は南相馬市の職員で対策の仕事があり避難できない。その後、避難は福島市へ。ホテル探すがどこも一杯、避難所の校庭に車を停めて車中泊をした。避難が早かったので渋滞に遭わなかった。子どもたちの未来を考えたら放射線被ばくが恐ろしい。次に息子の友人のいる会津若松市へ移動。雪が残っていて、大変寒い。さらに南会津へ移動。空き家で過ごした後、借り上げ住宅に移り、南相馬の借り上げ住宅に入れた。次女は体育館の避難対策で働くうちうつ病になり退職せざるを得なくなった。私は市内小高町の生まれで多くをここで暮らしている。近所の人たちと流しそうめんをしたり、花火大会を楽しんだりした。そんな環境がすべて失われた。住まなくなった家は人が入ったあと(空き巣)もあり、荒れて朽ちている。とうとう解体した。基礎を打ち、山から材木運んでつくった家だ。今は、100人で避難者訴訟の原告副団長も務める。バラバラになった仲間のコミュニティとして「相双の会」を立ち上げて活動している。同じ悩みや苦しみを語り合い、会報も発行しているし、会合ももっている。郡山の会合では泣きながら分かれた。1万人いた町に3800人程が帰っているがこの先は無理。放射線量を測定しているが、非常に高いところもあり、草木に含まれて大雨も降るので危険だ。農業はあきらめている。秋はきのこ、春は山菜をとりにいった山は荒れ放題だ。原発をつくるのに反対してきたが、反対した人のほとんどは亡くなった。当時を知る人は「おまえたちの言ってきたことは間違っていなかった」という。地域の自然を壊したのは原発。人のつくったもので壊れないものはない。大飯原発も同じ。事故起きれば取り返しのつかないことになる。

大島麻子弁護士―三瓶(さんぺい)春江さん

原発から30キロの浪江町内で暮らしていて事故にあった。戦後間もない入植。姉は看護師で津島診療所勤務、妹は川俣町へ嫁いだ。長男は自衛隊で福島にいたが除隊した。私は、会社員だったが結婚して夫の手伝いで内職をするようになった。ワラビ、ぜんまい、マツタケなどをよくとってきた。母は野菜づくりをしていて、父母と近所の人たちは毎日交流し、子どもたちの運動会もあった。原発事故でそれが全く変わってしまった。避難者は集会場へ集まり、うちからは調味料や食器を持参した。そのあと原発が水素爆発、避難は当初考えなかった。30キロ離れていたから危険ではないとのことだった。しかし、皆さんが自主避難を始めたので考えた。母方のオバが住む二本松へ避難。これには2人の兄が反対「国が見殺しにするはずがない。危険なら連絡があるはずだ」という。孫たちを守らなくてはと話し合うが変わらず、自分は避難すると決めた。結局、夫は宮城、両親は福島、長男と子どもは郡山、私は田村市と家族バラバラに避難した。避難先では避難者であることを黙っていた。わかるといじめにあうからだ。車を傷つけられたりもした。友人も離れ離れで、結婚にも影響。息子は結婚していない。自宅は帰還困難区域で、除染もされず荒れたまま。屋根が腐って天井にも穴があいている。楽しくバーベキューをしたところもその面影もない。寺には墓があり毎回お参りするが子どもは被ばくの恐れがあるので立ち入り制限がある。建物、給食施設、雑貨店など街そのものが破壊されたままだ。除染もされないまま、放置されている。元に戻して欲しい。原発事故さえなかったらこんなことにはならなかった。ふるさとをなくすのは私たちだけにして欲しい。私たちの訴訟では裁判官が現場を見に来るという。見ないと判決は書けない。それによって判断してもらいたい。人災は止めることができる。被害の訴えを聞く司法があれば希望がもてる。

福山和人弁護士―福島敦子さん(原告本人)

事故当時、南相馬市で小学生の娘2人と3人で暮らし、下水処理会社で働いていた。3月12日の原発1号機の爆発を市の防災無線で知り避難しなければと思った。学生時代チェルノブイリ原発事故の知識を得ていたので。ほぼ着の身着のまま車避難した。川俣町の警察駐車場で車中泊。ガソリンがなくなるのでエアコンもつけず、寒さに耐えた。そこから福島市役所へ移動し避難所へ。避難所ではポリ袋のご飯、衣類も足りない。寝具の代わりに新聞紙で寝たこともある。鼻血が出た。事故の影響を考えた。子どもたちを被ばくさせたくないとの思い、不安とストレスがたまり、京都の友人より府が支援をしていると連絡してくれたので京都への避難を決めた。木津川市へ移住した。子どもには甲状腺嚢胞がみられ、私も、その後脳腫瘍がみつかるなど、放射線の影響とみられる症状が出ている。父は南相馬市の病院で母にみとられ前立腺がんで亡くなった。親の死に立ち会えなかった。私は2018年、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。東電や国の対応にストレスがたまった。分断されたままだが、放射線量の高さから帰ることは考えていない。去年の今頃測ったが毎時1ミリシーベルトを超えている。一番気にしているのは娘たちが被ばくしないようにすること。2011年4月5日避難したが、子どもたちを始業式に向かわせたかった。京都府の職員に支えられてきた。避難者は心を病んでいる人も多い。避難してきたところで再び事故に遭わないよう大飯原発の停止にも声をあげた。公正な判断を出していただきたい。

次回口頭弁論は、11月26日(火)午後2時から、石橋克彦氏の証人調べ

◆10/29 第44回口頭弁論 原告提出の書面

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【原告】裁判資料ーー今回の準備書面、意見陳述 → このページでは以下にリンクを掲載。
    前回までの準備書面、意見陳述は → こちらのページから。
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【原告】裁判資料ーー今回の証拠説明書と書証(甲号証)→ このページでは以下にリンクを掲載。
    前回までの証拠説明書と書証は → こちらのページから。
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甲第657_17号証[35 MB] 「最新技術で”新事実”判 明 原発爆発”黒い煙”の正体は?」(日本テレビ 2021年3月11日放送「未来へのチカラ」より) (2024年9月4日)
甲第657_17号証 証拠説明書[36 KB] 証人 三瓶春江氏関係 (2024年9月4日)
甲第657_18~20号証[26 MB] (2024年10月9日)
甲第657_18~20号証 証拠説明書[50 KB] 証人 三瓶春江氏関係追加分 (2024年10月9日)

◆9/17 第43回口頭弁論 原告提出の書面

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【原告】裁判資料ーー今回の準備書面、意見陳述 → このページでは以下にリンクを掲載。
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【原告】裁判資料ーー今回の証拠説明書と書証(甲号証)→ このページでは以下にリンクを掲載。
    前回までの証拠説明書と書証は → こちらのページから。
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赤松氏の尋問で示す資料の特定について[76 KB] (2024年9月5日)
甲第655_7号証[34 MB] 赤松純平証人尋問資料 (2024年9月17日)
甲第655_7号証 証拠説明書[36 KB] 証人 赤松純平関係 (2024年9月20日)
上申書[72 KB] 2024年12月24日予定の赤松氏反対尋問の進行について (2024年9月20日)

◆9/17 第43回口頭弁論の報告

京都地裁の「大飯原発差止訴訟」は、2012年11月提訴以来、12年になろうとしていますが、いよいよ最終段階の証人調べにはいっています。

同訴訟第43回期日は9月17日午後に行われました。今回は、赤松純平さん(元京都大学助教授、専門:地盤構造)の証人調べでした。

赤松さんは、この訴訟が提訴されてから、ご専門の立場から、さまざまな意見書によって

(1)大飯原発の「基準地震動策定」において

①原発敷地地盤構造の評価に合理性がないこと、

②地盤モデルに妥当性がないこと、

③基準地震動に妥当性がないこと、

(2)基準地震動による地盤のすべり安定性評価に問題があること

などの論点について意見をのべてこられました。

今回の証人調べにあたっても、「大飯原発敷地の地盤構造の評価について」「大飯原発の基準地震動について」「大飯原発の地震力に対する基礎地盤の安定性の評価について」「若狭湾地域で発生した地震の応力降下量について」「PS検艘におけるダウン・ホール法とサスペンション法の違いについて」等の意見書を提出されています。

今回の証人調べは、原告側弁護士による尋問でしたので、赤松さんの意見書の主要な論点にそって質問し、赤松さんの意見の内容を確認していくものとなりました。

赤松さんは、証人調べのなかで、若狭の地震は基準地震動ではとらえられない高周波成分が卓越するものであることや、地質構造の評価についても「敷地内の浅部構造に特異な構造はみられない」などとする関西電力の評価は妥当でなく、欺瞞的であることについて、データをもとに丁寧に論述されました。

たとえば、「地質調査結果の評価について」は、「関電は、敷地内の断層破砕帯が地盤の震動特性に及ぼす影響を検討していない」「関電は、岩盤の亀裂に関する情報の空間的変化が、地盤の震動特性に及ぼす影響を等閑視している」「関電の作成した地質断面図の岩級分布は、地質柱状図の岩級分布とは全く異なっており、地質断面図は岩盤が堅硬であると誤認させる」などと指摘されました。

また、「基礎地盤のすべり安定性および傾斜の評価について」も、「原子炉建屋基礎の岩盤分布は、亀裂を多く含むCM級が多く分布しているにも拘わらず、2次元FEMにおいて殆ど全ての岩盤を堅固なCH級としてモデル化し、すべり安全率を大きくしている」「岩石の引張強度を岩盤の引張強度であると詐称し、岩盤の引張強度を大きく設定することにより、破砕帯などの弱面に沿うすべり破壊の危険性を隠蔽している」など、「大飯原発の基礎地盤の地震力に対する安定性の評価は、原子力規制委員会の審査ガイドの要請を充たしていない」と論述されました。

証人調べは2時間を超えるものとなりましたが、赤松さんは最後まで力強く意見を述べられました。陳述が終ると傍聴席から大きな拍手が沸き上がりました。

この赤松さんの意見陳述が裁判官の良心を揺り動かしたものと思いますが、12月には関電側の反対尋問が予定されています。赤松さんの勇気ある証言に傍聴席から応援してください。

(文責:原 強)

◆7/16 第42回口頭弁論の報告 ~救援新聞より

  • 救援新聞 京都版No.1526 2024年8月5日
    橋本宏一(日本国民救援会京都府本部 事務局長)

「原発事故起こればすべて終わり」
大飯原発差止京都訴訟で原告が証言

◆福井県の大飯原発の稼働停止と損害賠償を求めて京都などの住民3,477人が関西電力と国を相手に起こした訴訟の、第42回口頭弁論が、7月16日京都地裁(第6民事部合議係齋藤聡裁判長)101号法廷で開かれました。今回から人証調べに入り、傍聴者が見守る中、この日は原告5人が証言台に立ちました。
尋問した原告代理人弁護士と証言した原告、証言要旨は次の通り。

岩橋多恵弁護士 ― 村上道子さん

大飯原発から約16キロ圏内の福井県名田庄村で71歳同士の夫と2人で暮らす。850世帯2,300人はほとんどが高齢者、自治体職員4人。自然は豊かでホタルもいる。キノコ、キュウリも栽培している。能登半島地震のようなことが起こればどうなるか不安で一杯だ。避難は南丹市美山町に抜ける国道しかない。トンネルがあり、出たところからはいたるところに落石注意とある。雪が降れば迅速な避難などできない。70cmの積雪が去年は2,3回はあった。室内待機もできない。密閉しても放射能が入ってくる。500マイクロシーベルトを超えて初めて避難指示がでるというのは理解できない。訴えたいのは、夫のふるさとで安心して余生を送りたいこと。住民が植えてつくった桜並木のきれいな街を残したい。原発の稼働は止められる。

これに対して関電側代理人弁護士は、県や国の避難計画、マニュアルを示し知っているかと尋問。職員からの説明を聞いたと答えるのに「読んでいない」「知らない」との言質を引き出して無知識を印象づけようとしました。執拗な質問で尋問時間がオーバーし裁判長が注意をしました。最後には、関電や国などがベストを尽くしていると思いませんかと質問。村上さんは、ベストを尽くしても間に合わないと答えました。

秋山健司弁護士 ― 斎藤信吾さん

原発から45キロ圏の綾部市に住む。福島原発事故では全村避難となった飯館村の福島第一原発からの距離に相当する。ここは上林かんばやし断層が走っている。原子力災害対策計画を市がつくっているが、市の計画では大飯原発から概ね32.5キロ圏内の住民が対象で私は対象外だ。風向き等によって避難が必要となる地域は変わるはず、納得できない。水源となる由良川が汚染される恐れもある。しかし市の具体的対応計画はない。私は視覚障害があるので避難は特に困難。福知山方面に避難する経路が想定されるが、地震による崩落や交通量などで通行止めになるケースが考えられる。私は障害者協会の役員をしているが、約1000人の障害者が取り残されない取り組みはなかなかできない。放射能汚染をもたらす原発と動物、人間とは共存できない。これをやめて少しでも良い方向にもっていきたいと裁判を起こした。原発を止めて欲しい。きれいな川を守って欲しい。

反対尋問では、関電代理人弁護士が、市の計画や基本条例を示して対策をとっている。これらの文書を「読んだか」などと質問、「ざっと読んだ」のやりとり。原告代理人の再尋問で、市からは直接説明したり個別に文書を配ったりはなかったと証言しました。

秋田智行弁護士 ― 添田光子さん

私は、舞鶴市の由良川近くの宮津市との境で農業を営んでいる。高浜原発とは27キロ、大飯原発は32.5キロの距離で、福島第一原発では飯館村に相当する。9軒の集落があり、避難するには山道を車で下るルートしかない。冬場は130センチの積雪がある。事故があればまず子どもを由良川沿いの学校に迎えにいかなければならない。福島の事故のような放射能汚染になれば農産物は売れない。酪農もしているが、これもだめ。子どもたちへの影響も心配でモンモンとした生活を送る。原発事故が起こったらすべて終わり。原発はあってはならないものだ。

反対尋問なし。

森田基彦弁護士 ― 林 森一(はやし もりかず)さん

京都市北区に住んでいる87歳。生家の左京区久多に週1、2回帰っている。そこの町内会長などの役もしている。京都駅から車で峠道を走って1時間程かかる。大飯原発からは30キロ圏内にある。山間の集落は50軒ほどで、100パーセントが高齢者。買い物も自治会も大変。買い物は左京区高野、滋賀県堅田市のスーパーへ行く。医者は月2回往診にきてもらう。冬は雪が1メートル積もる。防災訓練したことはある。一地点に集合したら迎えに来てくれるだろうと思う。原発事故ではどうなるか心配。起これば実際の避難は難しい。役割も決まっていない。福井大地震の経験もあり、地震が起こったらどうなるのか関心があり、原告に加わった。

反対尋問で市の防災計画はしっかりみていないと答え、原告代理人の再主尋問には、市のホームページを見たりしたが、市からは計画があるという説明はなかったと証言しました。

尾崎彰俊弁護士 ― 原 龍治さん

私は美山診療所(南丹市美山町)の事務長をしていた。京都市内の自宅から約50キロあり、1年目は週6日通勤し、その後は週3、4日は宿泊するようになった。町内は車一台がすれ違うのがやっとの道でタイヤが外れ、引き揚げたこともある。雪は12月から3月に30センチから50センチ積もり、通行止めや倒木に出会うこともしばしばある。診療所には5、6人が通う。停電も起こるし、インターネットが不通になることもある。予備電源を備え、30分から4時間はもつようになった。車はスタッドレスタイヤで往診する。ブルドーザーで除雪しないと出られないときもある。10センチ以上でないと出してくれない。総出で雪かきをしないと通路が確保できない。こんなところに原発事故が起こったから避難せよといってもできない。避難は机上の空論。放射能汚染も止められない。人の能力を超えたことをやる原発稼働は考えられない。

反対尋問なし。

◆次回口頭弁論期日は、9月17日(火)午後2時から、101号法廷で。

◆第2回口頭弁論(2013年12月3日)

次回、第2回口頭弁論は、12月3日(火)14時からです。

  • 京都地方裁判所
  • 2013年12月3日(火曜日)
  • 開廷 14時(法廷は2時間程度の見通しです。)

一般的な傍聴席の抽選は、裁判所が行います。傍聴の抽選時間などの詳細は未定ですが、前回の第一回口頭弁論と同じだとすると、12時~12時20分、御苑の富小路門にて抽選券の配布、13時5分、抽選発表となります。原告席の分は、メーリングリストにて詳細をご連絡します。 


京都地裁前の大横断幕(2013年12月3日)
京田辺市の原発ゼロプログラムの会が作成

第2回口頭弁論の報告

◆第1回口頭弁論 原告弁論・意見陳述
  第7 まとめ

出口治男弁護士(京都脱原発弁護団長)

1 私は1970年(昭和45)4月に裁判官に任官しました。当時公害問題が全国で多く噴き出しており、若い弁護士達が全国の公害の現場に入っていきました。水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜん息等の訴訟が次々と提起されていました。私達裁判所に入った若い裁判官も、公害や環境訴訟にいかに取り組むかについて、真剣に議論しました。1977年(昭和52)1月に裁判官懇話会で環境訴訟の問題を取り上げたのはそのひとつの成果でした。ただそのなかで、裁判官が行政や国の政策にかかわる問題を取り上げるとき、選挙の洗礼を経ないたった3人の裁判官が、国の政策を変更するようなことが果たしてできるのか、あるいは原発のような、極めて高度に専門的な問題について、裁判官は判断する能力があるのかということが、深刻な議論になり、憲法と法律及び良心に従って積極的な審理をすべきであるという者と、消極的な姿勢の者とに意見が分かれたことを記憶しています。

2 特に原発のように、高度に専門的な問題について、裁判所はどのようなスタンスで事件に立ち向かうべきか、ということが、司法積極主義に立つ若い裁判官に突きつけられた難問でした。積極的な立場に立つ若い裁判官がそのような裁判の場から排除されていくなかで、この問題について、ひとつの解決の指針を与えたのが、伊方原発の最高裁判決でした。そして、この最高裁判決を解説した調査官の解説が、その後の下級審をリードしていったと思われます。解説のなかで、その調査官は次のように述べています。

すなわち、自動車、飛行機、船等の交通機関、医薬品、電気業界、ガス器具、レントゲン等の医療用の放射能利用等、科学技術を利用した各種の機械、装置等は、絶対に安全というものではなく、常に何等かの程度の事故発生等の危険性を伴っているが、その危険性が社会通念上容認できる水準以下であると考えられる場合に、又はその危険性の相当程度が人間によって管理できると考えられる場合に、その危険性の程度と科学技術の利用により得られる利益の大きさとの比較衡量の上で、これを一応安全なものとして利用しているが、このような相対的安全性の考え方が従来から行われてきた一般的な考え方で、原子炉の安全性についても同様のことが言い得るというのです。ここでは、原発を自動車や飛行機と同等なものととらえています。しかし、今回の福島第一原発の事故は、原発の危険性が人間によって管理できないことを白日の下に曝し、そうした見方が全く誤っていることを明らかにしました。その調査官は次のようにも述べています。原子炉の安全性は、どのような重大かつ致命的な人為ミスが重なっても、また、どのような異常事態(例えば、原子炉施設への大型航空機の墜落)が生じても、原子炉内の放射性物質が外部の環境に放出されることは絶対にないといった達成不可能レベルの程度の安全性をいうものではないであろうというのです。チェルノブイリ事故の経験はここでは完全に無視されており、阪神大震災も無視されています。想像力の欠如か、わざとこれらのことを避けたのかわかりませんが、阪神大震災後に書かれたものとしては、到底説得力のあるものではありません。こうした説明をみると、最高裁調査官もまず原発の稼働ありき、その前提として原発は安全であるとの神話にとらわれ、想定したくない事柄については敢えて目をつぶったというほかないと思います。福島第一原発事故は、原発の安全神話を完膚なきまでに打ち壊しましたが、それは、原発の安全神話によりかかった最高裁の根本的な考え方を打ち壊したといってよいと思います。私たちこの訴訟にかかわるひとりひとりが、改めてそのことを確認し、そこから司法の役割を考える責任があると思います。

3 私はかつて水俣病訴訟に携ったことがありますが、ある席で、私は水俣病に終生かかわられた原田正純先生に、「先生はなぜこれ程までに深く長く水俣病問題にかかわってこられたのですか」と尋ねたことがあります。原田先生は、穏やかな表情で、しかし、即座にきっぱりと、その著書「水俣が映す世界」にあるように、「私は、水俣でおこっていたことを、その現場にいって見てしまった。見てしまった責任を果たすように、天の声は私に求めたのです。」といわれました。原田先生は、「私にとって、水俣病をつうじてみた世界は、人間の社会のなかに巣くっている抜きさしならぬ亀裂、差別の構造であり、水俣病をおこした真の原因は、その人を人として思わない状況(差別)であり、被害を拡大し、いまだに救済を怠っているのも、人を人と思わない人間差別にあることがみえてきた。」といわれました。この言葉は私の胸の奥深くに突き刺さり、その後の私の法律家としての活動に大きな影響を与えています。私が今回の訴訟に加わったのも、福島第一原発の事故と福島の人びとの苦難を見てしまい、見てしまった者の責任を果たさねばならないとの思いからでした。

4 いま関電は、大飯原発の稼働を続け、国はそれを容認しています。電力各社は次々と再稼働を申請する構えです。福島第一原発の事故原因も解明せず、多くの福島の人びとの苦難を放置して、次なる原発事故の可能性を生じさせようとしている。人を人と思わない構造がここでもあらわれているというほかありません。私たちは、福島第一原発の事故が私たちを含む人類全体に開示した恐るべき事実から目をそむけてはならないと思います。自動車事故や飛行機事故とは全く異次元の、人類存在の根底を脅かすもの、原発はそのような存在であることを、改めて直視すべきだと思います。そこから目をそむけることは、人を人として思わない状況を作り出すことに手を貸すことになる。福島第一原発の犠牲になり、苦難にあえぐ人たちに寄り添い、それを自らのものとしながらこの訴訟を提起した1107名の原告と、その背後にある膨大な人びとの思いを裁判所は正面から受け止めて頂きたい。安全神話が打ち壊され、従来の大半の裁判所の拠って立つ基礎が崩れたというところから、改めて司法の役割を考えることが、この裁判に問われていることなのです。裁判所におかれては、司法の役割を誠実に、そして勇気をもって果たして頂くように心から願って、私の冒頭の弁論を終えます。