◆「韓日反核(原発)ツアー」に参加して

【2018年9月28日,京都キンカンで配付。】

韓国・日本の脱原発・反原発運動の強固な連帯で、
互いの政府や電力会社を追い詰め、
手を携えて世界の原発の全廃を勝ち取ろう!

「韓日反核(原発)ツアー」に参加して

若狭の原発を考える会・橋田 秀美

◆昨年、日本側で韓国青年の若狭高浜訪問を契機として、韓国との交流気運が高まり、また、韓国でも日本の脱核(反原発)運動の現状を知りたいという要請から、今回の韓日連帯のツアーが企画された。

◆関西空港の水没により航空機が欠航となり、9月12日大阪南港から釜山まで19時間の旅。13日の昼前、下船後、すぐに高速バスでソウルへ5時間。到着後、夕食をかき込み、すぐに木原さんの講演が始まった。14日には大田(テジョン)でも行われた「日本の原発問題の現状と反原発運動」と題した2回の講演では、韓国の若い活動家から多くの質問が投げかけられ、その知識の豊富さと熱心さに驚いた。
(詳しくは木戸さんの報告を→こちら

14日は大田にある韓国原子力研究院前で行われた集会に参加し、今回のツアー団と「核再処理実験阻止30 km連帯」の連名で声明を出した。
・韓国原子力研究院は「先端科学技術と最高の安全を誇る施設」とは名ばかりで、核廃棄場や老朽原子炉がある施設だが、核廃棄物不法埋立てと無断焼却、放流などをしてきたそうだ。核再処理実験を進めており、高速炉研究も行なおうとしている。この研究院は巨大な核マフィアの象徴なのだ。

・「核再処理実験阻止30 km連帯」で活動をしているという15歳の少女は、3.11のとき、8歳だったというが、福島原発事故が本当に怖くて、安全に暮らしたいという思いから脱核(反原発)運動に入ったという。「研究員の人たちは頭がいいかもしれないけど、良い人ではない」、「政権が変わったけど、それで社会が変わるわけではないとわかった」と凛として語る姿に、本年6月23日沖縄慰霊の日に自作の詞を朗読した少女の姿が重なった。真実の平和を求める感性が輝いているようで、会場は感動に包まれた。


▲韓国原子力研究院前の集会


▲アピールする少女

15日は霊光(ヨングァン)原発を訪ね、原発前で地域住民とミニ集会を行い、交流をした。
・5.6号機では5000個を超える偽造部品、4号機では手抜き工事が発覚したそうだ。回りは広い農業地帯だが、農作物の風評被害が起こっているという。使用済み核燃料プールが2024年には満杯になるので、敷地内に乾式保管を考えているというが、住民は激しく反対している。しかし、政府による補償金をちらつかせての懐柔策は、住民間分裂を生んでる。全く日本と同じ構図だと思った。日本の電力会社も使用済み核燃料の中間貯蔵場所を探して、あらゆる自治体を金で買収してくるに違いないし、すでに裏では進められていることだろう。

・15日の夜は星州(ソンジュ)のソソン里でサードミサイルに反対している住民と交流し、ろうそく集会に参加した。この地はまくわうりの大生産地だ。「サードが何なのか、平和についてなど何にも考えなかった私達だが、今はわかる。未来の子供達のために、世界の平和のために闘うことを決意した」と、政府の弾圧に身体を張って闘う農民や宗教者の姿に、真正面から闘うことの大切さを教えられた気がした。

16日は慶州月城(ウォルソン)のナア里にある月城原発で闘っている住民と交流した。
・この地域の約30世帯の住民は、月城原発PR館前にテントを張り、反原発運動をしてもう4年になるというが、原発から914メートルのところで居住し畑を耕し生きている人もいる。体内からトリチウムが検出された人や、放射線被爆した赤ちゃんが生まれたりしていると聞き、驚いた。甲状腺ガンの発生率も異様に高く、住民は不安に駆られ、移住の自由と支援を求めて闘っている。危険な汚染地域の不動産は売れず、移住したくともできない現実があるのだ。

・目を引いたのはテントの前に並ぶ白い柩(ひつぎ)であった。私は、これはきっと原発を推し進める人を葬るという意味だろうと勝手に思ったのだが、実は違った。月城原発隣接地域移住対策委員会の会長や副会長、事務局長、会員の人達の柩だった。「私達は柩に入るまで闘う」という決意を表しているという。おもしろい闘い方だなと感心した。韓国の人たちは目に見える闘いがとても上手い。その柩の意味を知った木原さんは、「僕も死ぬまで闘う」と言って並ぶ柩の傍らに身体を横たえた。そのお茶目さに皆笑ったが、私はなぜか目頭が熱くなった。

・テントに招かれての交流は、双方から時間を忘れるほどの質問と回答の応酬であった。韓国側からは
「私達は福島を見て真実を知った、目が覚めた」、
「なんで福島を経験しながら再稼働するの?」、
「トリチウム水を薄めて海に流す計画?!あり得ない!」、
等々。原発事故を起こした国の住民としての責任と闘いを厳しく問われているように感じた。テントの中に、このテントを訪れた文在寅大統領の写真があったので、「大統領はここを訪ねたのですね?」と聞くと、「あれは大統領になる前に訪ねてきたときの写真。大統領になってからは一切来てくれない。」と憤りの顔を見せられた。先ずは、お互い情報の交換から始めようと連絡先などを交換しあった。


▲月城原発PR館前の抗議テント


▲柩の傍らに横たわる木原さん


▲テントの前で連帯の意をこめて旗を贈呈

この旅で韓国側からおもしろい指摘があった。
「なぜ、こんな年寄りの方達(私達のこと)が先頭切って運動しているの? 韓国では年寄りは運動から引いてしまうのに。」との質問。逆に、私達は、「韓国はなぜ、若い人たちがこんなに運動しているの? 日本では、ほとんど老齢者しか運動しない。」と返した。韓国は年金制度が確立しておらず、老齢の方も働かなくてはいけない事情があるという。また、「若者に運動を譲る。託していく。」という文化があるのだとわかった。

最後に。なぜ、韓国の運動と連帯するのか?

◆福島原発事故は、甚大な犠牲をもって、反原発・脱原発の大きな運動のうねりを起こした。この反原発大衆運動の高揚により、電力会社は多額な費用を要する安全対策を施さざるを得なくなり、それが原発重大事故を防いできたといえる。また、安全対策費の高騰から、廃炉を決定せざるを得なくなっている。さらに、反原発運動が、世界的にも安全対策費の高騰を招き、原発輸出企業の原発からの撤退を促している。このように、反原発の大衆運動が世界的に高揚し、繋がることは、暴利をむさぼるために人の命や健康をむしばみながら各国で暗躍している「原子力マフィア」達を追い込むことになる。

◆韓国で起こった朴槿恵大統領退陣を求めるろうそくデモは、日本で「戦争法反対」を掲げて国会議事堂前に何万と集まった民衆を見て「政治的にはあまり動かないと思っていた日本の民衆が、こんなにも集まっている!」と驚き、それに感化され起こったという韓国からの声もあった。隣接国、世界の大衆運動は連鎖するのだとあらためて思った。

◆私の生涯で初めての海外旅行が、反原発連帯の旅であった事は感慨深い。韓国や世界の反原発運動と連帯して、世界から原発を全廃しなくては!と強く決意する旅となった。

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