◆原子力機構で過去最大の内部被曝

【2017年6月9日,京都キンカンで配付。】

極めて杜撰(ずさん)なプルトニウムの取り扱い
原子力機構で過去最大の内部被曝

◆高浜原発3号機が再稼働された6月6日の11時過ぎ、茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構(原子力機構:JAEA)大洗研究研究所開発センターにある燃料研究棟(高速炉などの燃料を研究開発する建屋)では、ウランやプルトニウムの酸化物粉末(以下、U・Pu粉末と略記)による汚染事故が発生していた。このU・Pu粉末は、ビニール袋に密閉されてステンレス製円筒容器(手のひら大)に保管されていたが、容器を空けた途端に、ビニール袋が破裂して、U・Pu粉末が飛び散り、作業していた5人(原子力機構職員2人、協力企業職員3人)が被曝したという。

◆5人のうち4人については、肺からもプルトニウムやアメリシウムが検出される内部被曝であった。4人の肺に吸入されたプルトニウム239の測定値は、22,000、14,000、6,000、5,600ベクレルとされ、残る1人も内部被曝の可能性があるという。22,000ベクレルの被曝者は、肺以外の部位を含めると36万ベクレルの内部被曝をしたと推定されている。国内では、前例のない最悪の内部被曝と報道されている。発癌のリスクが高く、被曝された方には大変お気の毒な事態である。

杜撰なプルトニウム管理と取扱い

◆問題のU・Pu粉末は1991年に封入され、年に1回程度は容器の外観を検査していたが、内部は26年間一度も点検していなかった。同じものが入った保管容器は20個残っているという。今回開封した容器に保管されていたU・Pu粉末の量は、合計300 gとされるがウラン、プルトニウムの割合は明らかでない。仮にプルトニウムが2割程度であったとしても尋常な量ではない。

◆一方、U・Pu粉末入り容器をフード(ドラフト)内で開封したと発表された。フードは、内部の空気をフィルターを通して吸い出す換気装置を備えた箱状(大型冷蔵庫大)の実験台で、学校の化学実験室などで見かけるものと類似している。前面には開閉できる窓はあるが、作業時にはある程度解放されている。したがって、U・Pu粉末の密閉が何らかの手違いで破壊されれば、U・Pu粉末はフード外にも飛散する。本来、極めて危険なプルトニウムはグローブボックスと言われる完全密閉の手袋のついた箱内(内部の圧力は外部より低くしてある)で扱わなければならない。

◆今回の場合、ビニール袋に密閉されているから大丈夫と安易に考えて、フード内で取り扱ったものと考えられるが、放射線によるビニールの劣化やガス発生(後述参照)は、プルトニウム扱い経験者なら当然予測できることであるから、原子力機構は慎重さに欠け、安全軽視に慣れ切った組織と非難されても当然であろう。しかも、プルトニウムの量がフードでの取り扱いが許されている量に比べて、けた違いに多い。作業者は、防護服を着用し、ゴム手袋の上に綿手袋をかぶせ、半面マスクで顔を覆っていたとされるが、装備(とくにマスク)にも不備があったと考えられる。

知識不足の原子力機構

◆今回の事故の原因について原子力機構は「同様な事故はなく、想定外」と説明している。プルトニウム239は、アルファ粒子(ヘリウムの原子核:放出されれば、ヘリウムガスになる)を放射する。したがって、多量のプルトニウムを長期保管していれば、ヘリウムの蓄積によって密閉容器の内圧が上昇することは、プルトニウム取扱い経験者なら常識である。上記の説明は、原子力機構(少なくとも記者会見に関わった職員)がこのような常識すら持ち合わせていないことを示している。

◆原子力機構は、1956年に発足した日本原子力研究所(原研)と原子燃料公社(原燃)が2005年に統合されて設立された国内最大の研究開発機関(国立研究開発法人)であり、2015年現在の常勤職員数は3683人で、1954億円の予算を有している。前身である原研は統合までその名称を維持したが、原燃は事あるごとに名称を変更し、1967年に動力炉・核燃料開発事業団(動燃)、所管の「もんじゅ」がナトリウム漏れ事故を起こした翌年の1998年には核燃料サイクル機構と改称している。原子力機構の原燃系部署の事故やトラブル、その隠蔽は枚挙のいとまがない。原子力機構のような巨大組織にも、知識不足、安全軽視の傲慢体質が蔓延(まんえん)している。原子力を安全に利用できる筈がない。

プルトニウムの内部被曝は深刻、排出薬剤の効果は疑問

◆先述のようにプルトニウム239は、アルファ粒子を放射する。この、アルファ粒子は空気の中を 4 cm 程度しか飛ぶことが出来ず、紙一枚で遮蔽できる。ガンマ線は、数m飛ぶので、遠くからでもガンマ線を出す物質の存在を知ることが出来るが、プルトニウムは4 cm程度以内に近寄らなければ検出できない。このことは、プルトニウムが体内に取り込まれたとき(内部被曝)、アルファ粒子が持つエネルギーの全てが体内で失われ、DNAなど体内の物質が破壊される(その結果、例えば、癌化する)ことを意味する。

◆プルトニウム239からのアルファ線が持つエネルギーは5.16 MeV(ミリオンエレクトロンボルト;100万電子ボルト)あるいは5.46 MeVであり、体内で物質を結合させている化学エネルギー[数eV(エレクトロンボルト;電子ボルト)以下]に比べて100万倍以上であり、原理的には、1個のアルファ粒子の放出で100万個以上の生体物質が損傷することになる(実際にはそんなに効率は高くない)。今回の内部被曝36万ベクレルとは、1秒間に36万個のアルファ粒子が放出されることを示す。

◆一方、プルトニウムは、体内に取り込まれたら、そのすべてを排出させることは難しい。体内での滞留の仕方は体の部位によって異なるが、長く滞留する部位では、生体半減期(取り込まれた物質の半分が排出されるまでの期間)が50~200年と言われている。なお、プルトニウム239自身がアルファ粒子を放出して、その半分がウラン235に変化する期間(半減期)は約24,100年である。

◆内部被曝で取り込まれたプルトニウムの対外への排出は、キレート剤(プルトニウムのような金属と結合し易い薬剤)によって促されると言われているが、効果は未知数であり、完全な排出は期待できない。とくに、難溶性のプルトニウム酸化物が肺胞などに沈着した場合、その排出は難しい。また、キレート剤は、体内の有用元素(プルトニウムとは異なる元素)と結合し、薬害(副作用)をもたらす可能性もある。

初期の発表には事故を過小評価する姿勢

◆6日の原子力機構の発表(同日のテレビや翌日の朝刊の報道)には、「作業者5人に核物質付着」、「体調に異常がない」、「鼻腔内から最大24ベクレルの放射性物質」、「この程度なら健康に影響はない」、「外部への影響はない」など、事故を過小評価する言辞が目立つ。事故を深刻に受け止める姿勢が欠如した「原子力ムラ」体質が、福島原発事故を拡大したことへの反省が感じられない。

報 告

「6.6 高浜原発うごかすな!現地集会」と関連新聞記事

◆5月17日の関電高浜原発4号機の再稼動に続いて、3号機の再稼働が、6月6日、多くの反対の民意を踏みにじって強行された。

◆「若狭の原発を考える会」は、現地緊急行動を呼びかけ、5日には高浜町でアメーバデモを展開し、6日早朝には出勤してくる町役場職員へのチラシ配布の後、高浜原発周辺や舞鶴東部の集落の各戸にもチラシ配布を行った。

◆6日正午には、高浜原発奥の展望所に、福井、近畿各地、東京、福島、愛媛、徳島など全国の原発再稼働を憂う市民が、続々とマイクロバスやマイカーで結集した。展望所からは、美しい若狭湾にはそぐわない高浜原発が一望できる。

◆緊急抗議行動の参加者120人は、午後1時 から高浜原発北ゲート前まで力強くデモ行進し、怒りのシュプレヒコールをたたきつけた後、関電への申しれを行った。その後も若い仲間の力強いコールなど、果敢な抗議行動は続けられた。

◆午後2時、3号機再稼働のスイッチが押されたという知らせが伝えられると、高浜原発に向けての怒りの声は一段と大きくなった。怒りの歌も始められる。今、同時刻に沖縄辺野古で闘う仲間を思い、『座り込めここへ』も歌われた。伊方原発地元の闘い、通産省前座り込み、地元・高浜町の闘う仲間、滋賀の市民運動、前々日の京丹後Xバンドレーダー基地反対集会に参加のため訪日されたサードミサイル配備反対を闘う韓国の市会議員、福島の闘う女性などの連帯の挨拶が続いた。

◆最後に、「原発全廃まで闘い続けよう」との締めのあいさつの後、関電本店や安倍政権まで届けとばかりの力いっぱいのシュプレヒコールを全参加者で唱和し、3時過ぎに解散した。

◆2017年6月7日 京都新聞朝刊(↓)

2017年6月8日

若狭の原発を考える会(連絡先・木原壯林 090-1965-7102)