◆原告第2準備書面
 別紙地震一覧

原告第2準備書面 -大飯原発における地震・津波の危険性- 目次

別紙地震一覧

599年(推古07年)
 M7.0 大和:倒潰家屋を生じた。「日本書紀」にあり、地震による被害の記述としては我が国最古のもの。

701年(大宝01年)
 M不明 丹波:地震うこと3日。

734年(天平06年)
 M不明 畿内・七道諸国:民家倒潰し圧死多く、山崩れ、川塞ぎ、地割れが無数に生じた。

827年(天長04年)
 M6.5~7.0 京都:舎屋多く潰れ、余震が翌年6月まであった。

856年(斉衡03年)
 M6~6.5 京都:京都及びその南方で屋舎が破壊し、仏塔が傾いた。

868年(貞観10年)
 M≧7.0 播磨・山城:播磨諸郡の官舎・諸定額寺の堂塔ことごとく頽れ倒れた。京都では垣屋に崩れたものがあった。山﨑断層の活動によるものか?

881年(元慶04年)
 M6.4 京都:宮城の垣墻・官庁・民家の頽損するものはなはだ多く、余震が翌年まで続いた。

887年(仁和03年)
 M8.0~8.5 五畿・七道:京都で民家・官舎の倒潰多く、圧死多数。津波が沿岸を襲い、溺死多数。特に摂津で津波の被害が大きかった。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。

890年(寛平02年)
 M約6.0 京都:家屋傾き、ほとんど倒潰寸前のものがあった。

934年(承平04年)
 M約6.0 京都:午刻に地震2回、京中の築垣が多く転倒した。

ページトップ

938年(天慶01年)
 M約7.0 京都・紀伊:宮中の内膳司頽れ、死4。舎屋・築垣倒れるもの多く、堂塔・仏像も多く倒れる。高野山の諸伽藍破壊。余震多く、8月6日に強震があった。

976年(貞元01年)
 M≧6.7 山城・近江:両京で屋舎・諸仏寺の転倒多く、死50以上。近江の国府・国分寺・関寺(大津市)で被害。余震が多かった。

1041年(長久02年)
 M不明 京都:法成寺の鐘楼が転倒した。

1070年(延久02年)
 M6.0~6.5 山城・大和 :東大寺の巨鐘の鈕が切れて落ちた。京都では家々の築垣に被害があった。

1091年(寛治05年)
 M6.2~6.5 山城・大和:法成寺の仏像倒れ、その他の建物・仏像にも被害。大和国 金峯山金剛蔵王宝殿が破損した。

1093年(寛治07年)
 M6.0~6.3 京都:諸所の塔が破損した。

1096年(永長01年)
 M8.0~8.5 畿内・東海道:大極殿少破、東大寺の巨鐘落ちる。京都の諸寺に被害があった。近江の勢多橋落ちる。津波が伊勢・駿河を襲い、駿河で社寺・民家の流失400余。余震が多かった。東海沖の巨大地震とみられる。

1099年(康和01年)
 南海道・畿内 M8.0~8.3 南海道・畿内:興福寺・摂津 天王寺で被害。土佐で田千余町みな海に沈む。津波があったらしい。

1177年(治承01年)
 M6.0~6.5 大和:東大寺で巨鐘が落ちるなどの被害。京都でも地震が強かった。

1185年(文治01年)
 M約7.4 近江・山城・大和:京都、特に白河辺の被害が大きかった。社寺・家屋の倒潰破損多く、死多数。宇治橋落ち、死1。9月まで余震多く、特に8月12日の強い余震では多少の被害があった。

ページトップ

1245年(寛元03年)
 M不明 京都:壁・築垣や所々の屋々に破損が多かった。

1317年(文保01年)
 M6.5~7.0 京都:これより先1月3日に京都に強震、余震多く、この日大地震、白河辺の人家悉く潰れ、死5、諸寺に被害、清水寺出火、余震が5月になってもやまなかった。

1325年(正中02年)
 M6.5 近江北部・若狭:荒地・中山崩れる。 竹生島の一部が崩れて湖中に没した。越前国敦賀郡の気比神宮倒潰、京都で強く感じ、余震が年末まで続いた。

1350年(正平05年)
 M約6.0 京都:祇園社の石塔の九輪が落ち砕けた。

1361年(正平16年)
 M不明 畿内諸国:この月18日より京都付近に地震多く、この日の地震で法隆寺の築地多少崩れる。23日にも地震あり。次の地震の前兆か?

1361年(正平16年)
 M8.1/4~8.5 畿内・土佐・阿波:摂津四天王寺の金堂転倒し、圧死5。その他諸寺諸堂に被害が多かった。津波で摂津・阿波・土佐に被害、特に阿波の雪(由岐)湊で流出1700戸、流死60余り。余震多数。南海トラフ沿いの巨大地震と思われる。

1425年(応永32年)
 M約6.0 京都:築垣多く崩れる。余震があり、この日終日震う。

1449年(宝徳01年)
 山城・大和:10日から地震があった。洛中の堂塔・築地に被害多く、東山・西山で所々地裂ける。山崩れで人馬の死多数。淀大橋・桂橋落ちる。余震が7月まで続いた。

1520年(永正17年)
 M7.0~7.3/4 紀伊・京都:熊野・那智の寺院破壊。津波があり、民家流失。京都で禁中の築地が所々破損した。

1586年(天正13年)
 M約7.8 畿内・東海・東山・北陸諸道:飛騨白川谷で大山崩れ、帰雲山城、民家300余戸埋没し、死多数。飛騨・美濃・伊勢・近江など広域で被害。阿波でも地割れを生じ、余震は翌年まで続いた。震央を白川断層上と考えたが、伊勢湾とする説、二つの地震が続発したとする説などがあり、不明な点が多い。伊勢湾に津波があったかも知れない。

ページトップ

1596年(慶長01年)
 M7.1/2 畿内:京都では三条より伏見の間で被害が最も多く、伏見城天守大破、石垣崩れて圧死約500、諸寺・民家の倒潰も多く、死傷多数。 堺で死600余。奈良・大阪・神戸でも被害が多かった。余震が翌年4月まで続いた。

1662年(寛文02年)
 M7.1/4~7.6 山城・大和・河内・和泉・摂津・丹後・若狭・近江・美濃・伊勢・駿河・三河・信濃:比良岳付近の被害が甚大。滋賀唐崎で田畑85町湖中に没し、潰家1570。大溝で潰家1020余り、死37。彦根で潰家1千、死30余。 榎村で死300、所川村で死260余。京都で町屋倒潰1千、死200余など。諸所の城破損。大きな内陸地震で、比良断層または花折断層の活動とする説がある。

1664年(寛文03年)
 M5.9 山城:二条城や伏見の諸邸破損、洛中の築垣所々崩れる。吉田神社・下加茂社の石灯籠倒れる。余震が月末まで続いた。

1665年(寛文05年)
 M約6.0 京都:二条城の石垣12~13間崩れ、二の丸殿舎など少々破損。

1694年(元禄07年)
 丹後:宮津で地割れて泥噴出。家屋破損、特に土蔵は大破損。

1707年(宝永04年)
 M8.6 五畿・七道:『宝永地震』:我が国最大級の地震のひとつ。全体で少なくとも死2万、潰家6万、流出家2万。震害は東海道・伊勢湾・紀伊半島で最もひどく、津波が紀伊半島から九州までの太平洋岸や瀬戸内海を襲った。津波の被害は土佐が最大。室戸・串本・御前崎で1~2m隆起し、高知市の東部の地約20k㎡が最大2m沈下した。遠州灘沖及び紀伊半島沖で二つの巨大地震が同時に起こったとも考えられる。

1751年(宝暦01年)
 M5.5~6.0 京都:諸社寺の築地や町屋など破損。越中で強く感じ、鳥取・金沢・大阪・池田で有感。

1802年(享和02年)
 M6.5~7.0 畿内・名古屋:奈良春日の石灯籠かなり倒れ、名古屋で本町御門西の土居の松倒れ、高壁崩れる。彦根・京都で有感。やや深い地震か?

1830年(天保01年)
 M6.5 京都及び隣国:洛中洛外の土蔵ほとんど被害を受けたが、民家の倒潰はほとんどなかった。御所・二条城などで被害。京都での死280。 上下動が強く、余震が非常に多かった。

1854年(安政01年)
 M8.4 畿内・東海・東山・北陸・南海・山陰・山陽道:「安政南海地震」:「東海地震」の32時間後に発生、近畿付近では二つの地震の被害をはっきりとは区別できない。被害地域は中部から九州に及ぶ。津波が大きく、波高は串本で15m、久礼で16m、種崎で11mなど。地震と津波の被害の区別がむつかしい。死者数千。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸・串本で約1m隆起、甲浦・加太で約1m沈下した。

ページトップ

1858年(安政05年)
 M7.0~7.1 飛騨・越中・加賀・越前 :『飛騨地震』:飛騨北部・越中で被害大きく、飛騨で潰家319、死203、山崩れも多く、常願寺側の上流が堰き止められ、後に決壊して流出および潰家1600余り、溺死140の被害を出した。跡津川断層の運動(右横ずれ)によると考えられる。

1858年(安政05年)
 M不明 丹後宮津:地割れを生じ、家屋が大破した。

1909年(明治42年)
 M6.8 滋賀県東部「江濃(姉川)地震」:虎姫付近で被害が最大。滋賀・岐阜両県で死41、住家全潰978。姉川河口の湖底が数十m深くなった。

1927年(昭和02年)
 M7.3 京都府北部「北丹後地震」:被害は丹後半島の頚部が最も激しく、淡路・福井・岡山・米子・徳島・三重・香川・大阪に及ぶ。全体で死2925、家屋全潰12584(住家5106、非住家7478)。郷村断層(長さ18km、水平ずれ最大2. 7m)とそれに直交する山田断層(長さ7km)を長さ18km生じた。測量により、地震に伴った地殻の変形が明らかになった。

1936年(昭和11年)
 M6.4 奈良県地方:「河内大和地震」:死9、住家全潰6、半潰53。地面の亀裂や噴砂・湧水現象も見られた。

1946年(昭和21年)
 M8.0 紀伊半島沖:「南海地震」:被害は中部以西の日本各地にわたり、死1330、家屋全壊11591、半壊23487、流出1451、焼失2598。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島・沿岸で4~6mに達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で1.27m、潮岬で0.7m上昇、須崎・甲浦で約1m沈下。高知付近で田園15k㎡が海面下に没した。

1948年(昭和23年)
 M7.1 福井県嶺北地方:「福井地震」:被害は福井平野およびその付近に限られ、死3769、家屋全壊36184、半壊11816、焼失3851。 土木構築物の被害も大きかった。南北に地割れの連続としての断層(延長約25km)が生じた。

1952年(昭和27年)
 M6.5 石川県西方沖:「大聖寺沖地震」:福井・石川両県で死7、家屋半壊4など、山崩れや道路の亀裂などもあった。

1952年(昭和27年)
 M6.7 奈良県地方:「吉野地震」:震源の深さ60km。和歌山・愛知・岐阜・石川各県にも小被害があった。死9、住家全壊20。春日大社の石灯籠1600のうち650倒壊。

1961年(昭和36年)
 M7.0 石川県加賀地方:『北美濃地震』:福井・岐阜・石川3県に被害があった。死者8、家屋全壊12、道路損壊120、山崩れ99。

1963年(昭和38年)
 M6.9 福井県沖 :『越前岬沖地震』 :敦賀・小浜間に小被害があった。住家全壊2、半壊4など。

1995年(平成07年)
 M7.3 Mw6.9 「兵庫県南部地震」「阪神・淡路大震災」