◆3/28の大阪高裁決定-国と電力会社に屈した判断

【2017年3月31日,京都キンカンで配付。】

大阪高裁抗告審で
民意を踏みにじり、裁判制度の根幹を揺るがす決定
脱原発・反原発が民意
国と電力会社の圧力に屈した判断を乗り越えて、
原発全廃に向けて前進しよう!

◆大阪高裁第11民事部(山下郁夫裁判長、杉江佳治裁判官、吉川慎一裁判官)は、3 月 28 日、高浜原発 3、4 号機の運転差止めを命じた大津地裁2016年3月9日仮処分決定、および、これに対する関電の異議を退けた同裁判所同年7月12日決定を取り消しました。

関電、政府、原子力規制委の主張のみを追認し、
圧倒的多数の脱原発・反原発の民意を踏みにじり、
人の生命と尊厳をないがしろにする大阪高裁

大津地裁とは正反対の決定

以下に、大津地裁の決定と大阪高裁の決定を比較します。【大津地裁【大阪高裁】は、それぞれ、大津地裁、大阪高裁の見解、【コメント】は、チラシ作成者(木原)のコメントを示します。

・福島事故への反省と新規制基準

【大津地裁】
◆「福島原発事故の原因を徹底的に究明できたとは言えないので、新規制基準はただちに安全性の根拠とはならない」とし、福島事故後に作られた新規制基準でも「公共の安寧の基礎にはならない」と断じた。すなわち、福島の事故を踏まえた規制基準や安全性を求めている。また、災害が起こるたびに「想定を超える」災害と繰り返されてきた過ちに真摯(しんし)に向き合うならば、「常に危険性を見落としている」という立場に立つべきだとした。
【大阪高裁】
◆新規制基準は最新の科学的・技術的知見に基づいて策定されており、福島事故の原因究明や教訓を踏まえていない不合理なものとは言えない。また、原発に「絶対的安全性」を期待するのは相当でないとして、これまでの原発訴訟(例えば、昨年4月の福岡高裁宮崎支部の決定)と同様に、新規制基準に適合しているかどうかを争点とした。
【コメント】
◆福島で溶け落ちた原子炉は、高放射線で、内部の様子は事故から6年経った今でも分かっていない。したがって、福島事故が大惨事に至った真の原因が究明されたとは言えない。現在「想定」されている事故原因(津波による電源喪失)が真の直接事故原因とは異なるという指摘は多い。また、次の事故が福島の事故と同じ原因で起こるとは限らない。事故原因が異なれば、重大事故を避けるための基準も異なる。一方、汚染水はたれ流され続け、汚染土壌をはぎ取ることはできても除染する有効な方法はなく、使用済み核燃料の処理処分法もなく、地震の発生時期や規模を予測することも不可能な状況が科学技術の現状であり、最新の科学的・技術的知見でも原発の安全運転を保証するものではない。すなわち、新規制基準は万全とは程遠いと言える。したがって、田中規制委員長までもが、ことあるごとに「“新規制基準”は安全を保証するものではない」と言わざるを得ないのである。それでも、大阪高裁は“新規制基準”を「安全基準」とみなし、この「安全基準」に適合しているとして、高浜原発3.4号機の運転差止め仮処分を取り消したのである。新規制基準に適合とされた原発は事故を起こさないとする「新安全神話」を作ろうとしている。

◆大阪高裁は、原発に「絶対的安全性」を期待しなくても良いとした。リスクはあっても、経済のためには原発を運転しても良いとする、人の命と尊厳をないがしろにする考え方である。原発で重大事故が起これば、時間的・空間的に、他の事故とは比較にならない惨事となるので、原発は万一にも重大事故を起こしてはならない。したがって、絶対安全性(あるいはそれに近い安全性)が求められるが、現代科学技術の水準、人為ミスの可能性、人の事故対応能力の限界などを考え合わせると、そのような安全性を確保することは不可能であるから、原発を運転してはならないのである。

◆福島事故以降の経験は、原発は無くても、人々の生活に何の支障もないことを実証し、原発は経済的にも成り立たないことを明らかにしている。したがって、ドイツ、イタリアをはじめリトアニア、ベトナム、台湾が原発を断念し、アメリカまで脱原発に向かっている。国内でも、ほとんどの世論調査で脱原発を求める声が原発推進の声の2倍を超え、東芝をはじめ、多くの企業が原発製造から撤退しつつある(福島事故以降、世界中の原発に対する規制が強化され、原発建設費が高騰したたこと、シェールガスなどの代替燃料が安価になったことが原因。杜撰経営も一因)。必要でない原発を安全性をないがしろにして運転する理由は見当たらない(国民からすれば)。

・基準地震動について

【大津地裁】
◆関電は基準地震動(下記コメント参照)について、高浜原発周辺には、平均像を上回る地震の発生する地域性はないので、平均像で良いと主張したが、住民側は、実際の観測記録は大きくばらついているので、少なくとも最大値をとるべきと主張した。大津地裁は、平均性を裏付けるに足りる資料は見当たらず、関電の主張は採用できないとした。
【大阪高裁】
◆関電の主張する基準地震動が、規制委員会によって、新規制基準適合とされているから、また、基準地震動の策定には合理性が検証されている関係式などが用いられているので、過小であるとは言えないとした。
【コメント】
◆基準地震動とは、原発の設計において基準とする地震動(地震で発生する揺れ)で、原発周辺の活断層などによって大地震が起きたとして、原発直下の最大の揺れを、地盤の状況を加味して見積もったものである。地震は地下深くで起こる現象であるから、地震の原因となる断層面を観察することは困難であり、地震現象の形態は多様であるから、地震の規模を理論的に推定することは難しい。そこで、基準地震動は、過去の(極めて限られた)観測地震データを基に作られた経験式によって計算される。この計算式は、地震動の平均像(複数の要因を組み合わせて求めているので、平均値と呼ばず、平均像とする)を表現したものであるから、起こりうる地震動の最大値を示しているものではない、例えば、500ガルの地震が4回、1500ガルの地震が1回起これば、平均値は700ガルである。平均からずれた地震はいくらでもある。なお、阪神・淡路、東日本の大震災は地下16 km、24 kmの断層に起因して発生しているが、このような深層断層は地震が起こって初めてわかるもので「未知の深層活断層」と呼ばれ、その様子は全く分かっていないので、深層活断層を考慮した計算は不可能である。

・電力会社の立証責任について

【大津地裁】
◆「新規制基準に合格したから安全」という関西電力(関電)に対して、「福島事故後に、どう安全を強化したのか」を立証するように厳しく求めた。しかし、関電は、外部電源の詳細、基準地震動設定の根拠などを納得できるほど十分に証明せず、使用済み燃料ピットが安全であることを証明する十分な資料の提出もしなかった。過酷事故時の安全対策が十分である証明もいい加減であった。したがって、関電による立証は不十分であるとした。
【大阪高裁】
◆関電は、新規制基準に適合とされたのであるから、原発の安全性を立証しているとした。ここで、もし住民側が、新規制基準(大阪高裁は安全性の基準と呼んでいる)自体が、現在の科学的・技術的知見に照らして合理性を欠く、または、規制委の審査および判断が合理性を欠くと考えるのなら、住民側でそのことを立証する必要があるとしている。
【コメント】
◆大阪高裁は、住民が“新規制基準”に不備があるとするのであれば、それを住民側が立証すべきだとして、「立証能力が無ければ泣き寝入りしろ」と言わんばかりの、裁判制度を根底から揺るがしかねない要求をしている。

◆ところで、原発裁判のような高度の専門的知識を要する裁判では、一般人が、議論のすべてに関する資料や根拠を調べて、裁判所に提出することは困難である。したがって、1992年の伊方原発裁判で最高裁は、被告である政府や電力会社の側が、原発稼働を進めるにあたって、依拠した具体的審査基準、調査審議および判断の過程等の全てを示し、政府や電力会社の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づいて主張、立証する必要があるとしている。また、政府や電力会社が主張、立証を尽くさない場合には、彼らの判断に不合理な点があることが事実上認められたとすべきであると述べている。

◆しかし、先にも述べたように、新規制基準は、福島事故の原因も確定せず、事故炉の内部も分からず、汚染水や汚染土壌対策も十分とするには程遠く、使用済み核燃料の処理処分法もなく、地震の発生時期や規模を予測することも不可能な状況下で作成されたものであり、どの角度から見ても原発の安全運転にとって不十分であり、規制委員長も言うように、科学技術的に安全を保証したものではない。それゆえに、安全安心に不安を持つ住民が、原発の運転差止めを求めているのである。それ故、新規制基準に適合した原発を安全というのなら、関電や政府は、伊方原発訴訟最高裁判決の要求に従って、新規制基準が安全を保証するということを立証する責任を果たさなければならない。

・原子力災害時の避難について

【大津地裁】
◆福島事故の影響が広域におよんでいることを考えれば、自治体任せでなく、国主導で早急に避難計画を策定し、訓練を実施することが必要であるとし、また、そのような基準を策定すべき信義則上の義務が国家には発生しているとした。さらに、関電は、避難計画を含んだ安全対策を講じるべきであるとした。
【大阪高裁】
◆新規制基準では、多重防護の考え方に基づいて第1層から4層までの安全確保対策が講じられているから、炉心の著しい損傷を防止する確実性は高度なものになっているとし、第5層(避難計画など)は、重大事故は起こりえない原発で、放射性物質が周辺環境へ異常放出される事態をあえて想定して、講じられる対策であるとしている。その上で、第5層の対策は、電力会社だけでなく、国、地方公共団体が主体となって適切に実施されるべきものであるから、新規制基準が避難計画などの原子力災害対策を規制対象にしていないのは妥当であるとした。
【コメント】
◆大阪高裁は、新規制基準の下では、原発は事故を起こすはずがないという視点(すなわち、「新安全神話」)に立ち、不可能に近い被曝なしでの避難、長期の避難生活の悲惨さについて議論することを避けた。避難の問題を議論したら、原発の運転をできないことは、福島やチェルノブイリの大惨事によって実証されているからである。福島で6年、チェルノブイリで31年経った今でも避難者の大半が故郷を失い、家族の絆を引き裂かれ、心労と悲観、病苦から多数の方が自ら命を絶たれ、癌に侵され、発癌の不安にさいなまれていることを、大阪高裁はどう考えているのであろうか。

◆大阪高裁は決定の中で、避難計画などの原子力災害対策については未だ改善の余地はあるが、取り組み姿勢や避難計画等の具体的内容は適切であり、不合理な点があるとは認められないとした。しかし、昨年8月27日に高浜原発から30 km圏の住民179,400人を対象にして行われた避難訓練は、最大規模と言われながら、参加者数は屋内退避を含めて7,100人余りで、車両などでの避難に参加したのはわずか約1,250人であった。それも県外への避難は約240人に留まった。この規模は、重大事故時の避難の規模とはかけ離れた小ささである。車道などが使用不能になったことを想定して、陸上自衛隊の大型ヘリによる輸送訓練も予定されていたが、強風のため中止された。また、悪天候のため、船による訓練は全て中止された。老人ホームなどへの事故に関する電話連絡は行われたが、実際行動の必要はないとされた。

◆なお、高浜原発から50 km圏には、京都市、福知山市、高島市の多くの部分が含まれ、100 km圏には、京都府(人口約250万人)、滋賀県(人口約140万人)のほぼ全域、大阪駅、神戸駅を含む大阪府、兵庫県のかなりの部分が含まれる。このことと福島原発から約50 km離れた飯舘村が全村避難であったことを考え合わせれば、高浜原発で重大事故が起こったとき、数100万人が避難対象となる可能性が大であり、避難は不可能であることは自明であるが、避難訓練では、そのことが全く考えられていない。なお、この圏内には琵琶湖があり、1,450万人の飲用水の汚染も深刻な問題である。さらに、避難訓練には、原発事故での避難は極めて長期に及ぶ(あるいは永遠に帰還できない)という視点がない。福島およびチェルノブイリの事故では、今でも避難された10数万人の大半が故郷を失ったままである。

◆それでも、大阪高裁は、避難計画等の取り組み姿勢や具体的内容は適切であるとしている。

大阪高裁で逆転されたからと言って、
大津地裁の大英断を無駄にしてはなりません。
重大事故が起こってからでは遅すぎます。
原発全廃の行動に今すぐ起ちましょう!
さらに大きな反原発のうねりを創出しましょう!
目先の経済的利益や便利さを、人が人間らしく生きる権利や
事故の不安なく生きる権利と引き換えにしてはなりません。

[追記]3月30日、広島地裁は、伊方原発運転差止め仮処分の申し立てを退けた。昨年4月6日の福岡高裁宮崎支部、去る28日の大阪高裁の場合と同様の理由によって、電力会社、政府の主張をそのまま追認したもので、民意を踏み躙るものです。

若狭の原発を考える会(連絡先・木原壯林 090-1965-7102)