富田道男
(大飯原発差止訴訟 京都脱原発訴訟原告団 世話人)
(日本科学者会議 京都支部 幹事)
日本科学者会議京都支部ニュース 2014年3月号
標記の法廷が2月19日(水)午後2時から京都地裁大法廷で開かれ,出廷原告34人の一人として入廷しました.今回は,昨年12月3日に提訴した第二次訴訟で新たに原告に参加された856名のうちの7名の方が入廷されました.傍聴席は前回同様に満席でしたが,報道関係者の席が前回の10席から5席に減っていました.今回も口頭弁論は,原告の元志賀大学学長の宮本憲一大阪市立大名誉教授による「予防の原則から運転停止を」と題する陳述と原告第3準備書面による弁護団によるものの2件のみで,被告側の陳述は行われませんでした.
最初の陳述「予防の原則から運転停止を」は,福島原発災害が,日本史上公害の原点とされ最も大きな悲劇と言われてきた足尾鉱毒事件を凌ぎ,2市7町3村の15万人以上の住民を強制疎開させる史上最大の公害であるとの指摘から始められた.そしてこのような原発の被害が続き,その全貌も把握できず原因究明も終わっていない状況下で,また汚染水問題や除染作業の目途が立たない状況下で,大飯原発の運転が再開されることは,環境政策の予防原則から許されることではないと主張された.さらに国連リオ会議で採択された予防原則が欧米でも公害対策やリスク防止の基本原則とされており,最近では水銀使用禁止の国際条約「水俣条約」もその例であることを指摘し,大飯原発の再開は,この予防原則を踏みにじる暴挙であり,その停止を要求された.また,ご自身の永年にわたる環境問題の研究を通じて得た歴史的教訓と予防原則に立ち,運転再開に反対する5つの理由を述べられました.第1に,「原子力ムラの安全神話」に依拠した原発政策のせいで,いまだに放射能公害を規制する法制や行政が確立していないこと.第2に原発コストが他のエネルギーに比べて決して安くないことが明らかにされ(大島堅一『原発ノコスト』),再稼働せねばならない理由が,国民経済の問題ではなく,電力企業の問題であること.第3に原発を再稼働させなくても経済は正常に動いていること.第4に原発は放射性廃棄物の処理やリサイクルが不可能あるいは著しく困難な産業であり,このことは科学技術的に致命的な欠陥をもつものであることを示しており,特に放射性廃棄物は10万年以上にわたり被害を出す可能性があり,将来世代に及ぼす影響が無視できない.したがって市場の論理で判断すべきことではなく将来世代に対する責任の倫理の問題であること.第5に原発立地地域の経済・財政の問題である.原発設置に伴い,電源三法により多額の交付金・寄付金と固定資産税が地域の財政を膨張させるが,固定資産税のうちの最大の償却資産税が16年でゼロになり,再び三度原発の誘致が行われ原発密集地域が形成された.このような持続不可能な地域開発ではなく持続可能な内発的な発展への模索が早期に必要であること.要旨上記のような陳述が,はっきりとした口調でしかも筋道立てて行われたので,被告席にも傍聴席の方がたにもとても解かりやすかったと思います.
二番目の陳述は,原告第3準備書面に基づく二人の弁護士によるスライドを使用した弁論でした.この準備書面は,原発の根源的な危険性の指摘と,実際に起きたチェルノブイリ原発事故による放射能被害の実相を紹介するという構成で作成されています.前半の根源的危険性の部分は,塩見卓也弁護士により陳述されました.ウラン235の核分裂エネルギーを利用する原発のもつ根源的な危険性として,核分裂により大量の放射性物質が発生することを指摘し,それらが放射するアルファ線,ベータ線およびガンマ線が電離作用を通じて人体に与える被害について,外部被曝と内部被曝の場合それぞれに対して詳しく述べられました.それを踏まえて準備書面の後半部分について,秋山健司弁護士から,『チェルノブイリ被害実態レポート(岩波書店,2013)』を参照しながら,同事故の被害の実相が紹介されました.中でも,原発から100キロメートル離れた場所までセシウム137による高濃度の汚染が広がっていることから,大飯原発で過酷事故が起こると,同原発から半径100キロメートルの圏内に位置する琵琶湖はもちろん,滋賀,京都,大阪,神戸など京阪神の主要都市が全て高濃度に汚染する可能性が高いことの指摘が強く印象に残りました.さらに,チェルノブイリ原発の周囲の国ベラルーシ,ウクライナやロシアにおける放射能被害として,全体の罹率の増加が見られ,癌発生率が事故から14年後の2000年においても増加していることや心臓病・呼吸器系疾患など癌以外の疾病も増加していることが紹介されました.そして日本の法整備の杜撰さについて,福島事故以後国際的な一般公衆の年被曝線量限度1mSvを,県民全員の避難が必要となることを理由に20mSvに引き上げましたが,これは生命・身体の安全よりも避難費用などの政策的要素を重視したものであり,本来の法規制の在り方とは大きく乖離したものであることを指摘しました.最後に政府と電力会社の「安全神話」への依拠が依然として続いている状況の下で,裁判所が原発の危険性を正しく認識して,市民の生命・身体の安全と健康を守るために,また子どもたちの未来を守るために,大飯原発の運転を許さない判断を下すことを求めて陳述を終えられました.