◆福井訴訟の勝利報告集会に参加して
 (2014年5月21日)

  • 判決文、その内容については、「裁判資料」のページで、
    福井から原発を止める裁判の会
    2014年5月21日:関西電力大飯原発3・4号機運転差止訴訟
    福井地裁判決 を参照してください。

大飯原発3,4号機運転差止を求める福井訴訟の報告集会に参加して(竹本修三)

5月21日、京都地裁では14時から大飯原発差止京都訴訟の第4回口頭弁論が開かれた。4月に担当裁判官三人が全員代わったが、新しい裁判長は女性で、陳述者をじっと見つめて話を聞いてくれている。前の裁判長より頼りになりそうな印象だった。15時過ぎに閉廷し、引き続き弁護士会館で開かれる報告集会に向かった。 ここでは、傍聴席に入れなかった人のために、101法廷での口頭弁論の間、並行して模擬裁判が行われていた。

報告集会が始まるとすぐに、弁護団から同じ日に福井地裁で行われていた大飯原発3,4号機運転差止を求める福井訴訟の判決で原告側が勝訴したと知らされ、会場からどっと歓声が上がった。これで京都訴訟も弾みがつきそうだと思った。京都訴訟の弁護団・原告団世話人会では、福井訴訟で原告側勝訴の判決が出た場合の対応を事前に検討していたが、その手はず通り、弁護団から中島晃弁護士、原告団から団長の私が福井に向かい、お祝を述べることになった。この二名は、15時30分に京都訴訟報告集会の会場の弁護士会館を抜けて京都発16:10のサンダーバードで福井に向かった。途中の京都市営地下鉄の丸太町駅には「福井訴訟で原告勝利!」の京都新聞号外が駅の柱に貼られていた。

17:35に福井駅に到着。駅前からタクシーで福井訴訟の報告集会が開かれる福井県教育センターに着くと、まだ記者会見の最中であった。50人くらいの報道陣が集まり、テレビカメラも乱立していた。受付で名刺を渡すと、壇上に登れと指示された。そこには、中嶌哲演原告代表や佐藤辰弥弁護団長をはじめ、多くの原告・弁護士が並んでいた。前列には私が知っている弁護団事務局長の笠原一浩弁護士の顔も見えた。笠原弁護士は京大理学学部地球物理の出身で私の後輩である。昨年10月15日に私は笠原弁護士の案内で小浜の明通寺を訪れ、中嶌哲演住職とも親しくお話をさせてもらった。

京都から来た二人は恐る恐る壇上に登り、隅のほうの椅子にそっと座り、原告・弁護団と報道陣のやりとりを見ていた。18時20分くらいに記者会見が終わり、それから報告集会が始まった。そこでわれわれ二人も紹介され、「京都地裁の口頭弁論を終え、直ちにここに駆けつけた。おめでとう!これからも協力して原発ナシの世界を作りましょう」と言うと大きな拍手が起こった。19時頃に報告集会が終わり、お茶で乾杯ということになった。ここで中島晃弁護士と私は、中嶌哲演原告代表らと改めて挨拶し、勝訴を祝った。

話は戻るが、21日14時からの京都地裁の第4回口頭弁論には私の大学教養部時代の同級生で専門は数学に進んだ井川満京大名誉教授も原告席で傍聴してくれた。彼に福井地裁で勝利判決がでたら私は直ちにに福井に行く予定と話したところ、「福井訴訟弁護団の事務局次長をやっている安部剛弁護士は、数学教室出身で私の教え子だ。優秀な学生だった。会ったらよろしく」と言われたた。そこで福井の報告集会の会場で彼をみつけて挨拶し、井川名誉教授からの伝言を伝えた。このほか、吉田明生事務局長から福井訴訟弁護団の黛千恵子弁護士とは良く知っているのでよろしく、と言われていたが、黛弁護士と話す機会はなかった。

ともかく今回の福井訪問で京都-福井の将来の連携に繋がる種は蒔けたと思っています。

次の写真は、中嶌哲演原告代表(中央)、中島晃弁護士(右)と私(左)の3人で撮った写真です。
後ろは、独自に京都から駆けつけた私たち原告団の一員、荒井康裕さん。

福井の中嶌住職と (2)