◆第9回口頭弁論(1/13) 意見陳述 要旨

意見陳述
原告  阪本 みさ子

私は、阪本みさ子と言います。1950年6月26日生まれの65歳です。
住所は、京都府舞鶴市字市場です。大飯原発より20キロメートル弱(高浜原発より約9キロメートル)の地点です。舞鶴は大きく分けると、東・中・西・加佐となります。私の住む市場は原発に一番近い東舞鶴です。夫65歳と二人暮らしです。

私が本訴訟の原告に参加しましたのは、私にとって大切な舞鶴の人たちが命をなくしたり、行き場をなしたりするようなことがあってはならないと思うからです。私は、退職しました小学校の教員です。最後の20年ほどは、1年生2年生を専門のように担当していました。教員としての私の力量の不足は、たくさんの子どもたちや子どもたちのご家族が支えてくださいました。朝5時から「学校行く」とランドセルを背負った学校大好きな子、計算をがんばると毎日毎日努力した子たち、読書が好きになったと年間200冊を超えて読んだ子たち、母の入院の寂しさに耐え、父と二人で耐えていた子、「九九できた」「漢字覚えた」「プールで潜れた」など、いくつもの笑顔が浮かんできます。そして、子どもたちを支え続けてくださったご家族のみなさん、私が書く「学級便り」を毎日読んで下さったおばあさんもおられます。たくさんの誠実ですてきなご家族とお付き合いさせていただきました。その人たちが行き場をなくすことが無いようにしたいのです。電気をつくるのに、原発しか方法がないのならともかく、他にもたくさん方法があるのですから、原発は是非止めていただきたいと思います。

私たち舞鶴市民は、原発に近いので、福島のような重大事故があれば、全員避難ということになるかと思います。
平成25年3月、舞鶴市防災会議が「舞鶴市原子力災害住民避難計画」を作成しました。この「避難計画」は、舞鶴市役所のホーム・ページで公開され、冊子として配布されています。「避難計画」によれば、避難対象は、大飯発電所から32.5キロメートルまで、東・中・西舞鶴の地域の全住民です。避難手段は、バス・自家用車、状況に応じて船・鉄道です。

私は、地域割りB(大飯原発から15㌔~20㌔以下)に従い、避難指示をうけることになります。「避難計画」は、「屋内退避」の指示を受けた際の住民等の留意事項として、ア、住民は、帰宅をして屋内退避する。イ、帰宅避難後は、顔や手を洗い、うがいを行う。ウ、退避建物は、全ての窓やドアを閉め、換気を止めて外気を遮断する。エ、正確な情報収集に努める。オ観光客などは直ちに市外退去する。としています。そして、SPEEDIや気象の予測ではなく、モニタリングの結果、線量が高くなれば、避難時集結場所・東舞鶴高校浮島分校に自力で向かうことになります。そこには、地域割りBの人1138人、地域割りC(20㌔~25㌔以下)の人2525人が集まります。数教室と小さい体育館だけの分校です。すぐ後ろは海です。浮島という地名の表すように埋め立て地にある校舎です。地震の規模によっては校舎そのものに不安があります。その上、自家用車が50台も来たら、とても動けるような所ではありません。

また、舞鶴市全体で住民避難のための協定を結んでいる事業者の保有台数の合計は、バス71台 ワゴン車2台 タクシー121台で、全部が一度に動けても3500人を運べるだけです。少なめに見ても20回の往復をしないと市民全員を運べません。その間、放射能を浴び続けることになるのでしょうか。全員を運ぶのに何日掛かるのでしょうか。線量が高い中、ドライバーの確保はできるのでしょうか。京都府が協定を締結している線量は、1ミリシーベルトだそうです。私たちに1ミリシーベルトで避難指示が出るのでしょうか。
次に私は、避難時集結場所から避難先に向かうことになります。舞鶴市の計画では、京都市内へ65,000人、宇治市へ14,000人、城陽市へ6,000人、向日市へ4,000人行くことになるようです。京都市の廃校になった学校にと聞いていましたが、京都市は学校を貸出しする計画もあるようです。計画にはあっても、実際には、その時、避難先を探すことになるのでしょうか。

(1)線量が高くなってからの避難では、放射能を避けることはできません。また、建売の少し傾いてきている木造の家で換気扇を止めたぐらいで放射能を防げるのでしょうか。地震に伴う事故なら家がまともに建っているかも分かりません。被曝を覚悟せよということでしょうか。
(2)小さな分校に3千人を超える人を集めて、数人の市職員で対応することが出来るのでしょうか。
(3)地震や津波や冬の雪など条件が悪い中でも舞鶴市の避難計画は有効でしょうか。
(4)「観光客の皆さんは、直ちに市外に退去してください」と広報車も防災無線も伝えるそうです。観光客の人は来た方法で自力で逃れるのだそうです。大渋滞必須ですが、道も鉄道も無事なら可能かもしれません。

私たち夫婦は、43坪の宅地・そこに建つ家屋、70坪の畑がほぼすべての財産です。
私の夫は、幼少期に家庭崩壊を経験し、人間関係を築くのが苦手です。退職し、畑で春はイチゴ・玉ねぎ、夏はトウモロコシ・キュウリ、秋はにんにく・長いもなどを作り、近所の奥様方に配り、好評を得ています。お一人おひとりが、本当にほめ上手です。それが、夫にとっては、生きている意味です。私たち夫婦が永年にわたって作りあげてきた人間関係です。その中で、夫は安心して暮らしています。
もし、関電や国が代わりの畑をくださるとしても、心安い近所の奥様方が無ければ、意味がありません。人間関係は、すぐにはできません。
夫は、原発事故が起きても、「ここに残る」と申しております。近所・地域のつながりが絶たれてしまったら心の平安もありません。けれども、防護服も準備されていない中、住民の安否確認をされるであろう市職員の方々や、消防署員の方々を思うと、残るという選択もできません。

2015年12月13日の新聞折り込みで「関西電力からのお知らせ」が舞鶴の家庭に配られました。万が一の時は、すぐに原子炉を止めて、さらに原子炉を冷やし、5重の壁で放射性物質を止めると書かれています。でも、福島でそれが駄目だったのではありませんか。そして、原子炉建屋に向かって放水するポンプ車の写真も掲載されていました。けれど、放水して、原子炉を冷やしたり、放射能をとらえたりできるものでしょうか。撒いた水は、若狭湾に放射能汚染された水になって流こむのでしょうか。

舞鶴の知人の人たちは一応に「舞鶴は原発事故があったら、もうダメやわ」といっておられます。原発事故が起きないことを願いながら、けれども、起きたら、もう後がないことを多くの市民が分かっておられます。

3年間、原発なしで暮らせた日本です。一度重大事故が起これば、私たちの暮らしを奪ってしまう原発を止めてください。動いてもいなくても、近くに原発があるのですから、避難計画は必要だと思いますが、とても私たち住民の安全を確保できる内容になっていないと思います。関電という一企業が、そして、国といえども、私たちに日々不安を与え、いざという時には、生活や日頃の努力まで壊してしまうことが許されるのでしょうか。