◆関西電力 闇歴史◆091◆

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◆[1]◆福井地裁では、2023年1月現在、
 2件の仮処分裁判が進行中

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(1) 一つは、高浜原発1~4号機の運転差止を求めるもの。中嶌哲演さんと田内雄司さんが2022年に本人訴訟として始めたが、現在は代理人弁護士がついている。2023/1/30に第4回審尋。

(2) もう一つは、老朽美浜原発3号機の運転差止を求めるもの。大阪地裁での美浜3号機仮処分が2022/12/20に却下されたのを受けて(大阪高裁に即時抗告しているが)、それとは別に、福井県民10名が2023/1/13に申立。

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◆[2]◆高浜1~4号機の差止を求める仮処分について……上記[1]-(1)について
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 申立人のおもな主張。
・関電は原発を稼働しうる最大の根拠として「原子力規制委員会が新基準に適合の判断をしたこと」を掲げているが、地元住民としては根本的に疑義がある。規制委は、安全だとは言っていない。
・老朽原発の1・2号機が稼働すれば、危険はつねに緊急、重大である。
・若狭への15基もの集中化こそ、「危険性」を根源的に実証している。
・関西電力は、設置前後から企業倫理を逸脱!
・「あとからくる者のために」原発のない社会を!

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◆設置前後から企業倫理を逸脱していた関西電力!
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 第5準備書面(2022/9/30付)では、申立人が、「設置前後から企業倫理を逸脱していた関西電力!」などの主張のもとに、下記の資料を書証として裁判所に提出。

  • 『父と子の原発ノート――それは若狭に灯をともしたか』~~ゆきのした文化協会・日本科学者会議、1978年。高浜1・2号機反対の運動について。
  • 「脱原発のための小浜市民からの提言」~~『環境と公害』2016年1月号(岩波書店)より
     →本項◆091◆、以下に掲載。小浜市民の半世紀に及ぶ活動を簡約した論考。
  • 「インタビュー 関西電力との50年闘争」~~『世界』2020年4月号(岩波書店)より。高浜3・4号機増設の顛末について。
     →前項◆090◆

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◆[3]◆脱原発のための小浜市民からの提言
 中嶌哲演

 ~~『環境と公害』2016年1月号(岩波書店)より
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1.5次にわたる小浜市民のたたかい
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 15基もの原発群が集中した若狭において、小浜市民がこの40数年間、原発および関連施設を拒否し続けてきたたたかいは、要約すれば以下の通りである。

①小浜原発誘致の第一次阻止運動(1968~72年)
②同第二次阻止運動(1975~76年)
③同第三次阻止運動(1984~87年)
④使用済み核燃料中間貯蔵施設誘致の第一次阻止運動(1999~2004年)
⑤同第二次阻止運動(2008年)

 また、70年代の大飯原発1・2号機の建設、80年代の3・4号機の増設に対しても、実質上の地元住民(同原発から10 km以内の住民分布で、小浜市民は75%を占めていた)として、強力な反対運動に取り組んだ。だが、関西電力や国・県などの理不尽な原子力行政(「地元」は大飯原発の立地自治体の大飯町のみ)によって、阻止に至らなかったことは痛恨の極みである。

 関西電力の小浜原発誘致問題が浮上した頃、小浜市はすでに敦賀市、美浜町、高浜町で建設や計画が進む7基の原発によって包囲されていた。当時の小浜市長や市議会の多数会派も誘致に意欲満々であった。そのような四面楚歌の状況の中で、上記の小浜市民のたたかいは展開されたのである。

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2.美しい若狭を守ろう―共同と協働
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 これまでの運動を支えてぎた小浜市民の理念には、以下の3点があったように思う。

(1) 全運動を通じて、「美しい若狭を守ろう!」のメインスローガンが貫かれた

 上記①では、青・緑・赤の同心円のシンボルマークが大きな役割を果たした。美しく青い小浜・若狭の海を抱きこむ緑の半島や岬、それらを取り巻く原発群の危険な赤。最外円の赤は、その危険を美しい故郷を守る団結の輪に変えようという両義性をもっていた。また①の運動で、6回にわたって全戸配布されたビラの中でも、小浜を訪ねた観光客たちのことばも紹介しながら、次のような一節も含まれていた。

 「水がきれい/新鮮な魚/景色がすばらしい/古い文化財が多いのに感心/素朴、土地の人がとても親切/文化財と自然環境を破壊しないように/自然との調和を図りながら観光都市としての発展を。
…公害列島化しつつあるわが国において、美しい若狭は、いまや私たちだけのふるさとというものにとどまらず、国民的なオアシスになっています。また、こうした条件を生かす地域開発こそ、若狭・小浜の真の発展をもたらすものといえましょう」と。

 若狭の原発群から関西広域圏へ送電されてきた40余年の経緯を振り返るにつけ、小浜市民のこの初心を忘れてはなるまい。

(2) 共同と協働

 これがわが市民運動を支えてきた伝統でもあった。上記①~③の運動を担ったのは、1971年末に結成された原発設置反対市民の会である。60~70年代にすでに分裂していた原水禁運動や反原発運動のはざまで、小浜市民の会を構成した6加盟団体と3オブザーバー加盟団体は、先のシンボルマークの精神にそって、小浜に原発や中間貯蔵施設の設置を許さないという共同目的のもとに団結し、有権者(2万4000人)の過半数を達成する署名運動などで協働した。④の運動では、小浜市民の会だけでなく、若狭小浜の自然と文化を守る会などの広範な共同と協働によって、中間貯蔵施設誘致と引き換えに50年間で約1300億円の交付金をという誘惑を乗り越えて阻止したのである。

(3)「あとからくる:者のために」–注1)

 たとえば、④の運動の渦中で、小浜市民の会は全市民対象のビラの末尾で訴えた。「1970年代に、市民の声に耳傾けられた鳥居・浦谷両市長は、『原発による財源よりも、市民の豊かな心を選ぶ』と、小浜市への原発誘致を断られました。小浜の自然や歴史・文化をふまえた『食中心の町つくり』を高唱されている現在の村上市政にも、『核のゴミ施設』の誘致は決定的なイメージダウンを招くでしょう。何よりも、私たちの『後からくる可愛い者たちのために』再び小浜からの良識の声を上げていきましょう」と。数千世代後の後世代にまでそのツケを残す放射性廃棄物(死の灰)を、新たに生成・蓄積するという一事だけでも、原発の再稼働は許容されないだろう。

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3.3つの「地元」
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 「フクシマ」の惨禍にもかかわらず、原子力ムラと原子力行政は原発の再稼働と延命へ向けて暴走している。その背景をなす過去のプロセスと現在の問題点を、以下のような視座からとらえ直してみたい。

 原発の「地元」概念で、「立地地元」と「被害地元」の2つは定着したが、私は「消費地元」も加えて検討したい。日本列島の原発「地元」は、例外なく過疎・辺境の地域にある。敦賀・美浜・大飯・高浜の若狭の原発群もしかり。しかし、それらの地域が最初から原発を歓迎したわけでは決してない。道路やトンネル、橋などのインフラ整備、巨額の固定資産税や交付金などとの交換条件によって、当初の疑惑や反対運動が押さえ込まれていったのである。ここでは詳論できないが、その過程を「原発マネー・ファシズム」の支配あるいは「国内植民地化」と私は表現している。

 原発が真に「安全」で「必要」であるならば、火力発電所と同じように大都市圏の「消費地元」の海岸部になぜ建設できなかったのか。原発の「安全神話」と「必要神話」は、福島や若狭に1基目の原発が建設された時、すでに原理的にも客観的にも崩壊していたのではないだろうか。

 2014年5月の福井地裁の判決で明らかなように、大事故時の「被害地元」は、いまや250 km圏に及ぶ。それが、立地地元と消費地元を結びつけつつある。と同時に、「立地地元」住民は、目先のメリットのために自然や地域社会を破壊し、後世代に巨大なツケを残す倫理的責任を問われるだろうし、「消費地元」住民も、これまで弱小の地域・住民に危険施設を押し付けてきた倫理的責任を問われるのではないだろうか。原子力ムラや原子力行政の根本的な責任を糾明するとともに、3つの「地元」住民の各当事者性の内実をも反省する必要があろう。

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4.小浜市民からの6つの提言
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 若狭・小浜は、明治時代の一時期、滋賀県に属したことがある。ことほどさように、琵琶湖を介して、若狭と関西圏のつながりは地理的にも歴史的にも深い。小浜から奈良へのお水送りとお水取りの行事でも象徴されている通り、美しい若狭の海の塩や魚介類を畿内に送ってきた食の伝統は、全国の自治体に先駆けて2001年に制定された「小浜市食のまちづくり条例」に継承されている。それに基づく身土不二や地産地消の産業、環境、福祉、教育、観光などへの具体化は、原発関連産業とは両立せず、前記の中間貯蔵施設阻止運動を力強く支えた。

 若狭の原発群の廃炉や後始末へ向けて、私たちは小浜市民の会の隔月刊紙で2012年に次のような提言をおこなった(「若狭の原発を考える一はとぽっぽ通信」第190号より)。

①過酷な被災の後だったとはいえ、福島県は「原子力に依存しない安全・安心で持続的な発展可能な社会つくり」を決断し、国も法的・財政的な支援をすでに始めている。
②福井県も自ら原発震災を被る前に、福島県をモデルにするべきだろう。再稼働・延命存続のための巨額な予算と、脱原発に資する諸事業への予算の配分を逆転させよう。
③かつての国の基幹エネルギーとして石炭から石油へ転換した際に、「産炭地域振興臨時措置法」(1961~2001年)を制定・施行したことも再検討しよう。
④原発の後始末や原発に依存しない地域つくりを試みている海外の先行事例も参照してみよう。
⑤地元の草の根から原発にたよらない方途を模索している若い世代を支援しよう。
⑥原発電力の「消費地元」たる関西大都市圏なども、原発の永久停止を条件に、合理的な電気料金値上げも含めて、脱原発への具体的で速やかな方策にとりかかろう。

 この提言が反映されたのかは不明だが、2013年10月、福井県庁内に、原発依存の地域経済・社会をどう転換していくかという研究テーマも含む「廃炉・新電源対策室」が立ち上げられた。まだ緒についたばかりだが、若狭の住民・福井県民はこれに注目し、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富」(2014年5月21日「大飯原発3、4号機運転差止請求事件」の福井地裁の判決文より)という精神を吹き込んでいかなければならない。

 そのことはまた、関西広域圏の水がめを守るための上記⑥の実践ともつながらなければならない。
(なかじま てつえん・明通寺住職〉


1) 坂村真民(1974)「あとからくる者のために」『詩国』13巻12月号(通巻150号)([1986]『坂村真民全詩集』第3巻(大東出版社)等に収録)。

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