◆原告第34準備書面[3]
2 「想定外」の地震の典型例としての1995年兵庫県南部地震(神戸大震災)

原告第34準備書面
―「断層」とは何か― 目次

2 「想定外」の地震の典型例としての1995年兵庫県南部地震(神戸大震災)

 (1)兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の概要

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)は、淡路島と神戸市の間にある明石海峡付近の深さ約14kmまたは約18kmを震源とするマグニチュード7.2の地震であった(甲344「兵庫県南部地震の概要」)。地震を引き起こした断層の長さは約50kmとされている。死者6434名を出し、神戸市や淡路島を中心にして大きな被害が出た震災として記憶されている。

 (2)発見されている地震断層の一部(甲345参照)

この「約50km」とされる震源断層は、全体として、「右横ずれ断層」とされる。

このうち、我が国の義務教育で身につける程度の知識でそれと認識できる断層(地表地震断層)が現れているのは、淡路島の北部にある「野島断層」約10kmである。

現在、野島断層の一部は「北淡震災記念公園」として保存されており、見学することも可能である。

写真1~4は、北淡震災記念公園の北西側から南西側を順に、すべて南東方向に向けて撮影した写真である。いずれも「断層線に沿って手前側に立った場合、向こう側が右側にずれた」、右横ずれ断層を見てとることができる(各写真の赤矢印がずれの方向性とおおよその長さを示している)。横ずれの幅はメモリアルハウスの南壁(同公園の南西の端)では、1.2mにも達する。

<写真1 北淡震災記念公園北東側>【省略】
※U字溝がZ字に折れ曲がっており右横ずれを見てとれる

<写真2 北淡震災記念公園 写真1の南西側>【省略】
※青い丸の点、橙の丸の点が一致していたところ右横ずれを起こしていることが分かる

<写真3 写真2の南西側にあるメモリアルハウス北壁 写真4 同南壁付近>【省略】※写真3は塀がZ字に折れ曲がっており右横ずれを見てとれる
※写真4は花壇のレンガの位置がずれており「120cm」の右横ずれを見てとれる

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 (3)神戸市側では断層が地表に現れておらず将来も発見できないとされていること(甲346参照)

しかし、兵庫県南部地震において、このような右横ずれ断層が発見されたのは淡路島の野島断層だけであり、「神戸側では国土地理院等の調査でも、地表に地震断層は確認され」なかった(甲  印字8頁の4項)。それのみならず、神戸側の「六甲断層系」については、「実際、今回の地震では神戸側に地表に地震断層が現れなかったので、未来の人間が六甲断層系でトレンチ調査をしても、1995年の地震は認識されず、繰り返し周期を長く見積もることになるだろう。」(甲  印字13頁6項)とされる。

地震断層を発見できない、ということは、将来の人類が既知の「活断層」から1995年の兵庫県南部地震の規模を推計する際にも誤りが生じる、ということを意味する。

 (4)神戸市側でも建物に大きな被害が出たこと

しかし、阪神・淡路大震災で多くの死者が出たのは大都市であった神戸側である。神戸市内では建物の倒壊が多く発生し、これが犠牲者を増やす原因となった。

倒壊したのは民家ばかりではない。神戸市の中心街である三宮周辺のビルにも大きな被害が出た。

例えば、神戸市役所の2号館(神戸市中央区加納町6-5)は、地震動により6階部分が押しつぶされた(左)ため、6階より上の部分を取り除いた上で今日まで使用継続されている(右)。

<写真5 神戸市役所2号館>1995年1月18日(左) 2016年10月30日(右)

このように中層階が押しつぶされたようになった建物は神戸市役所だけではない。フラワーロードを挟んで、神戸市役所2号館のほぼ向かい(北東側)にあった明治生命ビル(神戸市中央区磯上通8-3-5)も中層階が座屈するように潰れ(左)、立て替えを余儀なくされた(右)。

<写真6 明治生命ビル(建て替え後の現明治安田生命ビル)>
1995年1月18日(左) 2016年10月30日(右)【省略】

フラワーロード沿いにある、県や市が出資する複合施設である「神戸国際会館」(神戸市中央区御幸通8-1-6)も同じような形で押しつぶされ(左)、立替を余儀なくされた(右)。

<写真7 神戸国際会館>
1995年1月18日(左) 2016年10月30日(右)【省略】

JR三宮駅の前にあるそごう神戸店(神戸市中央区小野柄通8-1-8)は建物の中程に亀裂が入り(左)、その部分のみ、立替をして使用している(右)。

<写真8そごう神戸店>
1995年2月3日(左) 2016年10月30日(右)【省略】

このように、兵庫県南部地震では、地表に地震断層が現れず、将来にわたって発見することができないとされる神戸側で、公共施設や大企業のビルなどが倒壊する大きな地震動が発生したのである。このような性質をもつ地震動の発生はその時点では「想定外」だったのである。一方で、三宮周辺でも倒壊しなかったビルも沢山あり、その差を明確に説明できるわけではない。

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 (5)断層の連動自体が想定されていなかったこと

兵庫県南部地震は、神戸側において地震断層を発見できないだけでなく、そもそも、野島断層と神戸側の六甲断層系が連動して大きな地震を引き起こすこと自体が全く想定されていなかった。

下記は、被告関西電力も引用することがある活断層研究会編『[新編]日本の活断層』(1991年 東京大学出版会)のうち、淡路島、神戸市周辺の地図をつなぎ合わせ、合成したものであるが、兵庫県南部地震のわずか4年前に出版されたこの本では、図1の淡路島の北端にある赤数字「1」が示す野島断層は淡路島の北端で終了しており、神戸側には全く延長されていない。神戸側の断層帯と野島断層が連動して動く可能性に関する知見も見られなかった。むしろ、その時点では、神戸から兵庫県方面に北西にある番号「6」に英小文字を付した「山崎断層系」が警戒されていた。

この点、同書(1991年段階)では、そもそも「六甲断層系」という言葉すらなく[1]、六甲断層系と淡路島の野島断層が連動して起きた兵庫県南部地震に関して言えば全く「想定外」の地震だったのである。

(図1:『[新編]日本の活断層』76・77・80・81図の合成図)【図省略】

[1] 「兵庫県南部地震の概要」(国土地理院時報1995 No83 6頁)では、「六甲断層系」を諏訪山断層、須磨断層、甲陽断層等からなる、と定義した上、活断層研究会編『[新編]日本の活断層』(1991年 東京大学出版会)437頁を引用するが、同頁は同書の本文最終ページを示しているだけであり、管見の限り同書の該当箇所「76 京都及大阪」(272頁以下)に「六甲断層系」という言葉は見当たらない。Ciniiで「六甲断層系」というキーワードで検索しても兵庫県南部地震以前の論文は該当しない。なお、今日、淡路島と神戸側の断層帯をあわせて「六甲・淡路島断層帯」と把握されるようになった。

 (6)小括

以上からは以下のことが言える。

  • 兵庫県南部地震では事前に想定されていない断層の連動が起きたこと
  • 同地震では約50kmの断層が動いたところ人類が震源断層のうち地表地震断層を確認できたのは淡路島の野島断層10kmの区間だけであること
  • 同地震の神戸側の地震断層は将来にわたって発見できないこと
  • 同地震の断層を発見できなかった区間(神戸側)でも大きな地震動が発生し、甚大な被害が発生したこと

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