◆原告第34準備書面[4]
3 原発近傍で起きた「想定外」の地震の典型例としての2007年中越沖地震

原告第34準備書面
―「断層」とは何か― 目次

3 原発近傍で起きた「想定外」の地震の典型例としての2007年中越沖地震

 (1)地震の概要

2007(平成19)年7月16日、新潟県中越沖(震央は北緯37度33.4分、東経138度36.5分とされる)、深さ約17km で、マグニチュード6.8の地震が発生した。この地震により新潟県長岡市、柏崎市、刈羽村、長野県飯綱町で最大震度6強を観測し、震源地に近い長岡市、出雲崎町、刈羽村をはじめとして、多くの市町村が被害を受けた。新潟県によると死者は15人、重軽傷者は2345人にのぼる。
震央から東京電力柏崎刈羽原子力発電所はおおよそ14~16km(構内が広いため)の距離にある。

 (2)事前に東京電力が震源海域を調査していたのに地震を予測できなかったこと

東京電力は、地震が発生したとされる海域を事前に調査したとされており、地震の4年前の2003(平成15)年には、当時の原子力安全・保安院の指示に基づき、通称「15年報告」と呼ばれる報告文書を提出していた、と東京電力は主張している。

ここでは柏崎の沖合に最大20kmの断層が存在する「可能性がある」とされ、評価を行ったところ、「全ての周期帯で、重要設備の設計に用いる基準地震動S2 を余裕を持って下まわるものであったことから、安全上の影響ないと判断した」とされた、と東京電力は地震後の2007(平成19)年に作成した別文書で述べている(甲356)。
なお、『[新編]日本の活断層』(1991年 東京大学出版会)では、震源域を含む「45長岡」の図において、中越沖は全くの空白となっている。

(図2:『[新編]日本の活断層』45 長岡)【図省略】

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 (3)東京電力が地震前に保安院に提出した報告書が紛失していること

原告第33準備書面で指摘した通り、今日、被告国は行政文書である「15年報告」を紛失したとして開き直っており、東京電力の報告が本当にあったのかすら疑わしい。

いずれにせよ、断層は認識されず、仮にされていたとしても、「安全上の影響ないと判断」されていたのである。

 (4)実際の地震でも地震断層は発見されなかったこと

新潟県中越沖地震の後、2008(平成20)年1月11日に政府の「地震調査研究本部」がまとめた「平成19年(2007年)新潟県中越沖地震の評価(主に断層面に関する評価)」(甲352)では、

「平成19年(2007年)新潟県中越沖地震(以下、新潟県中越沖地震)は、大局的には南東傾斜(海から陸に向かって深くなる傾斜)の逆断層運動により発生した。また、震源域北東部では北西傾斜(陸から海に向かって深くなる傾斜)の断層も活動したと考えられる。今回の地震に伴う、海底でのずれは確認できなかった。しかし、余震分布から推定される南東傾斜の断層面の浅部延長は、既知の活断層に連続している可能性がある。」

(下線および傍点【Webでは太字で掲示】は原告代理人が付した)などとした。

結局、この地震については、地震海域で海底の地震断層は発見されず、震源断層のモデル化すら「大局的」にしかできなかった。また、既知の断層と震源断層の関係も特定できなかった。

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 (5)柏崎刈羽原発の甚大な被害

この地震が発生したとき、東京電力柏崎刈羽原子力発電所は2号機、3号機、4号機、7号機が稼働中であったが、柏崎刈羽原発は、想定を大きく上回る地震動に見舞われた。

※東京電力「柏崎刈羽原子力発電所の耐震安全性向上の取り組み状況」より 【表省略】

※新潟県ホームページ「想定外の揺れに襲われた柏崎刈羽原子力発電所」(甲354)【表省略】

「解放基盤表面」での地震動は、1号機では基準地震動S2の450ガルを大幅に上回る最大1699ガルと推定され、2号機は1011ガル、3号機は1113ガル、4号機は1478ガルと、基準地震動S2を大幅に上回った。本訴訟の訴状36頁で「既往最大」との関係で述べた「1699ガル」とはこの数値が根拠となっている

1~4号機で観測された加速度も、設計値との関係で、水平方向で2.5倍から3.6倍、鉛直方向で1.2倍から1.7倍、上回った。

この地震により、柏崎刈羽原発は甚大な被害を受けた。判明しているだけで、3号機脇の変圧器で火災発生、6号機原子炉建屋天井クレーン継ぎ手破損、6号機・7号機での放射能漏れ、地震直後に緊急挿入された7号機の制御棒1本が事故後に引き抜けなかったこと、使用済み燃料プールの溢水などの事故が起きた。

以下に、旧原子力安全・保安院が撮影したものを中心にいくつかの写真を示す(甲353)。

<写真9 3号機タービン建て屋脇の変圧器の火災の後 原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真10 3号機の建屋脇の地盤の沈下 原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真11 3号機の排気塔に続く排気ダクトのずれ 原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真12 2号機の主変圧器の基礎ボルトが完全に破断している状況 原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真13 2号機の主変圧器の基礎地盤が沈下している状況 原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真14 2号機の排気塔に続く排気ダクトずれ 原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真15 2号機排気塔基礎地盤の沈下原子力・安全保安院撮影>【省略】

<写真16 2号機原子炉建屋の基礎脇地盤の沈下 武本和幸氏撮影>【省略】

<写真17 2号機海水ポンプの基礎地盤沈下 武本和幸氏撮影>【省略】

 (6)2~4号機について設備健全性の報告書が提出されていないこと

この地震の後、1号機及び5~7号機については、「新潟県中越沖地震後の設備健全性に係るプラント全体の機能試験・評価報告書」が旧原子力安全・保安院に提出された。

しかし、2号機、3号機、4号機については、地震から10年経った現在でも、東京電力から国に対して、設備健全性に関する報告書すら提出を確認できないのである(甲354)。

<東京電力のホームページ 2~4号機について報告書の掲載がない>【図省略】

この地震による柏崎刈羽原発の被害状況が全て明らかになっているとは言い難いのが現状であり、幸いにして過酷事故は免れたが、この地震により、柏崎刈羽原発が過酷事故に陥る危険があったことは否定できないだろう。

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 (7)地震が発生し甚大な被害が出てから原因探しが始まったこと

東京電力は、2007年新潟県中越沖地震のあと、すでに述べた「15年報告」を公表しなかったことについて不合理きわまりない弁解を開始し、同時に、基準地震動や各号機の設計値を大きく超える地震動が発生し、特に1~4号機でその傾向が顕著だったことについて、後付けの調査を始めた。

その結果、

  1. この地震の震源が同程度の規模の地震の1.5倍の地震動を発生させる特性を持っていること
  2. 4~6kmの深部地盤の傾きにより地震波が2倍程度増幅したこと
  3. 発電所の敷地地盤の地下2kmくらいのところに古い褶曲構造があり1~4号機側の地震動がさらに2倍程度強まった

などというもっともらしい理由を後から探し出した。

そして、それにも関わらず、2011年3月11日の東日本大震災に際して東京電力はなすすべがなく、福島第一原子力発電所が過酷事故を引き起こしたのである。ここでも、東京電力は、過酷事故に至る原因を、事前に予測しなかったのである。

 (8)小括

この2007年の新潟県中越沖地震については以下のことが言える。

  • 活断層が認識されていなかった海底で地震が発生したこと
  • 地震後も海底の地震断層が発見されなかったこと
  • 営業中の原子力発電所の構内で想定を遙かに上回る地震動が発生したことについて事前に原因を予測できなかったこと
  • その原因を後付けで探し出したこと
  • マグニチュード6クラスの地震でも原発の重要設備に深刻な損害が生じた可能性があり、10年が経過した現在も設備健全性に関する報告書が提出されていない原子炉が3つあること

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