◆原告第59準備書面
-避難困難性の敷衍(左京区における問題点について)-

原告第59準備書面
-避難困難性の敷衍(左京区における問題点について)-

2019年(平成31年)1月24日

原告提出の第59準備書面[91 KB]

原告第6準備書面において、避難困難性について述べたが、本準備書面で左京区に在住する原告の西郷南海子の日々の暮らしをもとに、左京区区民の避難困難性に関する個別事情について述べる。

1 原告西郷南海子について

原告西郷南海子(以下「原告西郷」という。)は、住んでいる地域は、大飯原発から56.8kmに位置している。原告西郷は、仕事をしながら、京都市左京区で三人の子どもを育てている。

2 2011年東日本大震災までの原告西郷の認識

2011年の東日本大震災まで、原告西郷は原発とは日本のエネルギーの3割を供給している発電方法だとしか思っていなかった。しかし、原告西郷は、東京電力福島第一原発の事故を目の当たりにして、自分の考えが取り返しのつかない過ちであることを思い知った。放射能には色も匂いもなく、いったん空気中に放出されてしまえば拾い集めることはできない。核種にはいろいろあるとは言え、半減期まで何十年とかかるものも多い。原告西郷は、こうした目に見えない放射能をどう避けたらよいのか、2011年当時まだ乳幼児だった子どもたちを抱えて途方に暮れた。

3 原告西郷の避難困難性

原告西郷は、子どもたちを被ばくから守るためには、原発を止めるしかないという結論に至った。昨年2018年は、地震や台風などたくさんの自然災害が発生したが、災害が起こるたびに、原告西郷は、家族はいつも一緒にいられるわけではないということを実感した。
原告西郷には、三人の子どもがいるが、それぞれ保育園と小学校に通っており、活動範囲が異なっている。仮に、万が一大飯原発において事故が発生した場合、原告西郷が、活動範囲が異なる三人と子どもと再会することは困難である。これは、原告西郷に限らず、家族がいる者については、同じ事が言える。例えば、大地震が起これば、停電するかもしれないし、停電してしまうと情報のやりとりが困難となる。大地震が起こったという情報を得ること自体困難になる。被ばくを避けるための情報を受けるとることも難しくなる。福島第一原発の事故では、原発からおよそ47kmの地点までが避難の対象となった。実際には、原発の東の海の側に全体の6割とも8割ともいわれる放射性物質が放出されているので、陸側の47kmの範囲と同水準の放射性物質の降下がより遠方の広範囲に広がっていた可能性がある。原告西郷の自宅は、大飯原発から56.8kmに位置するが、原告西郷の住む地域には避難計画すら無い。56.8㎞は、時速20km/h(風速5.5m/s)の風(自転車をこいだときに感じる程度の風)の場合、3時間未満で到達する距離である。災害の混乱の中、3時間という短い時間で、家族全員と再会し、さらに遠くの場所へと避難することは、不可能である。被ばくを避けるためには安定ヨウ素剤が効果的だと言われている。京都市では、大飯原発50km圏内の住民にはヨウ素剤を配布するとしているが、災害の大混乱の中で配布が、適切に行われないことも十分に想定される。原告西郷の自宅は、56.8km地点にあるため配布の対象となっていない。そこで、原告西郷は、アメリカから個人的にヨウ素を取り寄せた。このようなことをしなくとも、原発を止めれば、問題は解決するのである。

4 最後に

これまで原告等が主張してきたとおり、大災害の時は、道路や線路が寸断され、交通機関が麻痺してしまう。災害の時に遠くに避難するということが、もはや非現実的である。そもそも、百万都市からすべての人が避難することなど、現実的ではない。

以上