◆ 原告第63準備書面
-避難困難性の敷衍(京都府南丹市園部町における問題点について)-

原告第63準備書面
-避難困難性の敷衍(京都府南丹市園部町における問題点について)-

2019年(平成31年)4月26日

原告提出の第63準備書面[123 KB]

目 次

1 原告石井琢悟について
2 原発事故は、かけがえのない自然を破壊する
3 避難の困難さ


原告第6準備書面において、避難困難性について述べたが、本準備書面で京都府南丹市園部町に在住する原告の石井琢悟の日々の暮らしをもとに、避難困難性に関する個別事情について述べる。

1 原告石井琢悟について

原告石井琢悟は、大飯原発から52.5km南に位置する、京都府南丹市園部町に住んでいる。原告石井琢悟の自宅は、町の中心部から数キロ、園部川沿いの里山にある。原告石井琢悟は、週の何日かは電車を使って京都市方面へ行くが、多くの日は自宅を仕事場にしており、仕事でも生活でも、大部分を自宅で過ごす。

2 原発事故は、かけがえのない自然を破壊する。

原告石井琢悟が、住んでいる地域には農業に従事する者が多く、専業で野菜を京都市や直売所で販売している農家が複数いる。朝霧に包まれることの多い園部川沿いの自然環境で、美味しいお米が採れ、都会の子供たちが米作り体験を通じて自然環境を学習する場でもある。宝酒造株式会社が主催する『田んぼの学校』の開催地にも選ばれ、数年以上、多くの子供たちを迎え入れてきている。近年は、農業をするために移住してきて子どもを育てる若い家族が見られる地域でもある。

原告石井琢悟も、10年前にここへ移り住んだ当初から、近くの畑を借り、作物作りを続けている。春から秋にかけては大豆や小豆といった豆類、冬の間はにんにくを中心として、採れた種の一部を次の世代のために回す自家採種をしながら、育てた作物について自給自足している。できるだけ自然に任せる形でのこの作物作りが、週末、原告石井琢悟にとって、妻と共有する大事な時間になっている。

大飯原発から原告石井琢悟の自宅までの直線距離は、福島第一原発から飯舘村と福島市の中間点までの距離程度である。福島第一原発事故のときには、飯舘村方向に放射性プルームが流れた。2年前に、原告石井琢悟が飯舘村を訪れたときに確認したモニタリングポストの空間線量では1μS/hを大きく超える箇所があった。農地など至る所が事実上、除染土置き場になっていた。環境省が公表している風向きデータによると、大飯原発から南に位置するこの地域で最も頻度の高い風は、北風である。もしも大飯原発が福島第一原発と同程度の事故を起こした場合、原告石井琢悟が住んでいる地域は、飯舘村と同程度の深刻な放射能汚染を受ける可能性が高い。

仮に、原発事故が起きた場合、かけがえのない自然環境が、奪われてしまい、金銭に置き換えることができない、回復不可能な損害が発生し、重大な人権侵害が起こることになる。

3 避難の困難さ

原発事故が起きて電気が止まった場合、電車を使用する事は出来ないため、自動車だけが、逃げる手段となる。

原告石井琢悟、が住んでいる園部町は、北側には原発があり、東側には山がある。このため、逃げる方向は、西か南に限られる。仮に、原告石井琢悟が、避難する場合、日常的に使い慣れており、京都市など行き先がイメージできる、国道9号線を南方へ逃げることが想定される。原告石井琢悟の母は、滋賀県大津市に、一人で居住している。そこは、山の中で交通の便があまりよくなく、なにより原告石井琢悟の母は車を運転できないため、原告石井琢悟は、いったん母の元を訪れ、連れて避難することになる。しかし、国道9号線は、園部町の少し先、亀岡市に入ると日常的に渋滞している。常時渋滞傾向にあるこの道が大規模災害時に動けなくなるだろうということは、原告石井琢悟を含め、園部町に住む者なら簡単に想像できる。実際、原告石井琢悟が自宅から亀岡市中心部を抜けるまでに一時間程度掛かることもある。環境省が公表している風速データを基にすると、大飯原発で放射性物質が放出されるような事故が起きた場合、平均2.5時間のうちに渋滞の列は放射性プルームに覆われると概算できる。そのように被曝する可能性が高いことを考えると、車で避難するのは危ない方法だということになり、結局、原発事故が起きた際に、避難することは、不可能である。

原発の本質の一つは、事故を起こしたときに、その被害が何十kmもの広範囲にわたる点にある。このような、原発は、今すぐ、廃炉にするべきである。

以上