◆関電と原発 memo No.9–1973年にはじまった伊方原発訴訟とは

1973年にはじまった伊方原発訴訟とは

『関西電力と原発』より
(うずみ火編集部、西日本出版社2014年、巻末資料を一部編集)

提訴から最高裁での敗訴確定まで

◆伊方原発訴訟は、四国電力が建設を計画していた伊方原発(愛媛県)の安全性をめぐって争われた行政訴訟で、原発の科学技術的問題が議論された日本初の「科学訴訟」と言われ、原発について初めて触れた訴訟、そして実は、「原発の安全性」が全面的に問題とされた訴訟としては世界で初めてのものだった。日本の電力会社が商業用原子炉の建設に本格的に着手して間もない73年8月、伊方原発1号機の原子炉設置許可処分の取り消しを求めた周辺住民35人が松山地方裁判所に提訴した。住民側は、設置許可の際に原子炉等規制法に基づいて行われた国の安全審査が不十分だと訴え、行政処分の取消しを求めたのである。

◆78年4月、一審の松山地方裁判所は請求棄却判決を出し、同時に原発建設の決定権は国に属するとの判断が下された。原告は高松高等裁判所に控訴したが、84年12月に控訴は棄却された。さらに、原告は最高裁判所に上告をしたが、92年10月、上告は棄却され原告敗訴が確定した。

伊方原発訴訟の判決

◆伊方原発訴訟について、海老澤徹(「熊取六人組」の一人)は「福島第一原発をはじめとした軽水炉が抱える科学技術的問題点は、裁判を通じて当時既にほとんどすべてが明らかにされていた。しかも、原告側の指摘に対して被告側はまともな反論ができず、法廷ではほぼ論破されていたと思う」と振り返る。
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裁判の判決自体も非常にいい加減な形で下されていた。証人尋問終了後、判決前の不可解な裁判長交代があり、交代した裁判官は1度も法廷に姿を見せず体調不良ということで更に別の裁判官に交代し、3人目の裁判官が判決を下している。
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専門的な科学論争が行われた訴訟の判決を、事実審理を担当しなかった裁判官が国側の主張を引き写して判決文を書いたのだった。
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◆また、裁判における住民側の主張には
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「潜在的危険性があまりにも大きく、重大事故は人々の健康と環境に取り返しのつかない被害をもたらす」
「被曝労働という命を削るような労働:労働そのものの中に差別的な構造を内包」
「平常時でも一定の放射能を環境中に放出し、環境汚染と健康被害の可能性」
「放射性廃棄物の処分の見通しが立っていない」
「核燃料サイクルの要、プルトニウムは毒性があまりにも強く、核兵器拡散をもたらす」
「原子力推進のため、情報の統制が進み、社会そのものの表現の自由が失われる」
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など、今日まで未解決となっている原発をめぐる本質的な問題も網羅されていた。

安全審査の資料は秘密で裁判所にも提出せず

◆伊方原発の安全審査がなされた当時、原子炉設置の許可手続きにおける様々な検討は、主に原子力委員会に設置された原子炉安全専門審査会(以下、審査会)が行っていた。審査会は申請者(電力会社)によって提出されている施設の位置や構造、設備の基本設計や技術仕様などの資料をもとにして、原子炉の安全に関する調査審議をすることとなっている。そして、それらの資料は原則的に公開されない。伊方原発訴訟に限らず、原発訴訟において原告は、許可の違法性や原子炉の危険性を立証しなければならないが、審査に関する資料のほとんどを被告(国や電力会社)が持っているわけだ。
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伊方原発訴訟では、原告側が情報開示を求めた資料のうち、裁判所が文書提出命命を出した一部の資料ですら、被告は最後まで「企業秘密」を理田に提出をしなかった。
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原告は国の主張をことごとく論破したが

◆にもかかわらず、「熊取六人組」をはじめとした原告側の科学者たちは、国の主張をことごとく論破した。川野眞治(「熊取六人組」の一人)はその一例として
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「炉心溶融をしないという国の主張に対し、審査委員の一人である東大教授は裁判で、自身の教科書で炉心溶融について生々しい記述をしていることを指摘されると、しどろもどろになって『自分の教科書は間違っている』と述べた」
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という事実を挙げる。裁判でそのようなやり取りが続いたにもかかわらず、
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判決を下した裁判長は、炉心溶融について国が想定していなかったにもかかわらず、「安全審査において炉心溶融に至るまでの想定はしている」という前提を示すなどして、原告敗訴の判決を下したのであった。
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炉心溶融による事故も指摘していた

◆裁判ではのちに福島第一原発で現実に起こった一次冷却材喪失事故についても議論されたが、国側は「炉心は溶融しないが、全炉心が溶融したのに相当する放射能が格納容器中に放出される。しかし、格納容器は健全に保たれ外部にはほとんど放射能は出ない」などとしていた。溶融しない理由は「緊急炉心冷却装置(ECCS)が設計通りに働くから問題はない」と主張したが、当時、ECCSは実証が一度もされていなかった。

◆不十分な研究、未解明な部分が多かった当時の楽観論で、住民側の訴えは退けられてしまった。
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原告は、冷却に失敗すれば炉心溶融が起こり、絡納容器の気密が破壊され莫大な量の放射能が環境に放出するのを避けられないと主張していた。つまり、福島第一原発事故で起こったシナリオはすでに伊方原発訴訟で原告がはっきりと指摘していたのであった。
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