◆関電と原発 memo No.17–福島事故直後の人々

◆小佐古敏荘(こさこ・としそう)氏

被曝限度年間20m/Svに抗議し
涙の辞任会見(2011年4月29日)

・2011年4月29日午後6時、衆院第一議員会館の会議室で会見に臨んだ、小佐古敏荘東京大学大学院教授は、悔しさのあまり涙ぐみ、言葉に詰まりながら科学者としてのプライドを示した。

・「この数値(校庭利用基準の年間20ミリシーベルト)を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず・・・私は受け入れることができません。参与というかたちで政府の一員として容認しながら走っていった(基準値引き上げを強行した)と取られたら私は学者として終わりです。それ以前に自分の子どもにそういう目に遭わせるかといったら絶対嫌です」と辞任に際しての記者会見で述べた。

・「通常の放射線防護基準に近い年間1ミリシーベルトで運用すべきだ」とも述べた。また、緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)による放射性物質の拡散予測が4月下旬までに2回しか公表されなかったことも批判。「今のやり方は、東京で数字をぼっと決めてやっている」と指摘し、政権の対応について「私がやってきたことからは外れているので、これ以上とどまっている理由はあまりない」と語った。

・小佐古氏の専門は、放射線安全学。政府が安全基準の参考にしているICRP(国際放射線防護委員会)の委員を2005年まで12年もの間務め、放射線被曝の安全基準値のグローバルスタンダードを決定してきた。この会見後、小佐古氏はメディアに出てくることもほとんどなく、2015年に東大を定年退官した。

広瀬隆 氏 の感想

・(小佐古氏の4/29の会見に)一番驚いたのは、私だよ。福島県内の小学校や幼稚園などの利用基準で、被曝限度を年間20ミリシーベルトと設定していることを「とても許すことはできない」と非難したのだが、その立派な発言をした小佐古は、私が放射性廃棄物処分場問題の公開討論会でやりあった相手で、これまで最も悪質でしたよ。私が資料を出すと「引っ込めろ」と怒鳴って発言もさせなかった。
【『原発の闇を暴く』(広瀬隆、明石昇二郎)、集英社新書、2011年7月発行】

◆山下俊一(やました・しゅんいち)氏

「福島県放射線健康リスク管理アドバイザー」として、
2011年3月21日 福島市で講演

・「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています。酒飲みの方が幸か不幸か、放射線の影響少ないんですね。決して飲めということではありませんよ。笑いが皆様方の放射線恐怖症を取り除きます」

・「100マイクロシーベルト/hを超さなければ、全く健康に影響及ぼしません。ですから、もう5とか10とか20とかいうレベルで外に出ていいかどうかということは明確です。昨日もいわき市で答えられました(ママ)。『今、いわき市で外で遊んでいいですか』『どんどん遊んでいい』と答えました。福島も同じです。心配することはありません。是非、そのようにお伝えください」

広瀬隆 氏 の感想

・長瀧重信、山下俊一、高村昇、神谷研二の4人は、「放射能安全論」のA級戦犯。

明石昇二郎 氏 の感想

・ヒロシマ、ナガサキという被爆地の看板を使って“被曝安全論”を振りまくことは、被爆者への冒瀆以外の何者でもありません(長瀧、山下、高村は長崎大、神谷は広島大)。「被爆地から来た専門家の言うことだから」という意識を逆手にとろうという魂胆。
【『原発の闇を暴く』(広瀬隆、明石昇二郎)、集英社新書、2011年7月発行】

【参考…山下俊一氏については、こちらのNo.14 にも。】