◆関西電力 闇歴史◆052◆

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◆関電から高浜町に多額の原発建設協力金、
 両者の覚書、総額、使途、すべて不明
 森山栄治助役が暗躍か(1976年~)
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 1978年、高浜原発3、4号機の増設を計画していた関電は、高浜町や漁業協同組合に建設協力金を出した。その巨額の協力金を巡って町は大きく揺れた。報道では、同年4月、当時の浜田輪三町長は、関電から総額9億円を受け取ったと明かす(1976~77年にかけて関西電力から合計9億円の協力金が浜田名義の口座に振り込まれた)。そして、町を通じて、町内の5つの漁協に計3億3000万円を支払い、残りを地域振興対策費などに計上したという。町は、漁業振興協力や河川改良、観光開発、生活環境整備などに支出したと説明するが、事業内訳などは明らかにされなかった。しかも、町側は関電と交わした覚書などの書類も公開していない。

 「当時、助役をしていた森山栄治氏が落とした手帳には、関電から受け取った金額は9億円ではなく24億円と書いてあった」と原発マネーをめぐる闇の存在を指摘する地元の関係者もいる。「本当は25億円だった」という話も根強く残り、いくら入ったのか、何に使われたのか、いまだにはっきり分からないというのが実態。

 1979年には、共産党の渡辺孝さんが初めて町議に当選し、その後、関電・原発と対峙して住民と共に40年の間、闘い続けている。渡辺さんは当時をこう振り返る。「不正を挙げたら枚挙にいとまがなかった。関電と町長、森山氏が一体となって町政を私物化し、議会では、町長“親衛隊”の『清新会』の議員が不正をうやむやにしていた」。渡辺さんの妻、加代子さんは、町長や森山氏と対峙する夫の身が心配で、できる限り共に行動したという。

 当時の森山栄治高浜町助役は、次のように語っている(1978年4月23、24日付中日新聞)。協力金は25億円でも少ないくらいだ、町が機会をみては関電に要求して出させた結果だと。
「3、4号機の総工費は3500億円。仮に1%をもらったとしても、いくらになるか。全国的に原発立地が困難な中で、高浜町は進んで建設を認めているのだ」
「関電といってもむやみに金を出すはずはない。機会をみては要求してきたのだ。」

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■ <シリーズ 原発の深層>第1部 原発マネー②/覚書公開せず「しんぶん赤旗」2011.09.02
■ 関電金品提供問題 原発推進に深く関与 元助役 特別な存在感。福井・高浜町 共産党町議 振り返る
「しんぶん赤旗」2019.9.29(→こちら
■ 2019とくほう・特報 「しんぶん赤旗」2019.10.22(→こちら
■ 謎だらけの「地元協力金」東京新聞2019.11.20日、高浜増設ずぶずぶの関係に 依存の構造(上)/ こちら原発取材班 東京新聞(→こちら
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