◆関西電力 闇歴史◆004◆

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◆美浜原発3号機で 死亡5名、重軽傷6名の重大事故(2004年8月9日)
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 2004年8月9日、美浜原発3号機で二次冷却系の復水系配管が通常運転中に破裂する事故が発生した。

 2004年8月9日午後3時半頃、通常運転中の3号機二次冷却系の復水系配管が第4低圧給水加熱器と脱気器との途中で突然破裂し、高温高圧の二次系冷却水が大量に漏れ出して高温の蒸気となって周囲に広がった。

 事故当時、現場のタービン建屋内では、定期点検の準備のため、211人が作業をしており、問題の配管室内には11名の作業員がいた(定期点検を急ぐため、まだタービンが回っているのに建屋内に入っていた)。事故直後に死亡した4名の死因は全身やけど(熱傷)および、ショックによる心肺停止で、ほぼ即死に近い状態だったとされる。また、事故から17日目の8月25日には、全身やけどを負っていた作業員1名が死亡したため、最終的には死亡5名、重軽傷6名となった。

 破裂の個所は稼動以来の27年間一度も点検さえ行われていなかった。運転中の原子力発電所における死亡事故としては国内初、原子力関連施設での死者としては東海村JCO臨界事故以来7人目であり、関西電力の危機管理能力が問われている。

 この事故は原子力施設における労働災害として極めて重大であり、国内の原発事故史上初の「重大災害対策本部」が設置された。放射線被曝による死亡事故ではないため、国際原子力事象評価尺度での事故評価は、当初「0+」となっていたが、後に安全管理不適切として「1」に変更された。

(Wikipedia。守田敏也さん「明日に向けて 1883」などによる)
(国際原子力事象評価尺度[INES]→こちら
 
【参考】
原子力の科学館あっとほうむ|福井原子力センター|情報誌「あっとほうむ」の
「原子力情報・データ No.151」に事故個所の説明図が掲載。→こちら

【参考】
・守田敏也さん「明日に向けて(1883)」(美浜原発3号機配管破断による5人死亡6名重軽傷事故を振り返る)
・社長が「労災防止」を誓った3日後にも重傷労災。2020年8月9日の慰霊行事(写真)の直後、12日と28日に労災事故が発生した。(◆008◆
・さらに2021年8月9日の慰霊行事の直後にも、18日に労災事故が発生。(◆009◆→(6) )
・上記2件の公表は、9月になってからです–安全の誓いの直後に労災事故を起こしていて当月中(8月中)に発表するのは恥ずかしかったのか。
(もっとも、老朽原発の “安全工事” では、慰霊行事の直後に限らず、絶え間なく労災事故が発生しているのですが)

▼美浜発電所3号機のしくみと復水配管破損個所(→こちら

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