裁判資料」カテゴリーアーカイブ

◆ 原告第13準備書面
はじめに

原告第13準備書面
-自然代替エネルギーの可能性等- 目次

はじめに

 1、原発事故の被害の甚大性

原発は他の発電方式と全く異なり、人体に極めて危険な放射性物質を燃料とする発電方式であり、平常運転のときでも、原子炉のみならず、使用済み核燃料も含めて常に冷却・閉じ込めるという機能を維持することが絶対に必要である。他の災害と全く異なり、いったん大事故が発生した場合には、甚大な被害が広範な地域に及び、事故収束・被害回復は極めて困難である。

 2、核廃棄物処理の未解決

原告第 準備書面で詳述しているように、平常運転でも大量に発生し続ける使用済み核燃料の最終処理については、日本は勿論、世界的にも未だに全く見通しがついていない。日本学術会議は、原発から生ずる放射性廃棄物(核のゴミ)処理問題について、世界的に未だに解決の目途が立っていない状況を踏まえて、“総量管理”を打ち出した。“総量管理”というのは、これ以上原発から生ずる放射性廃棄物を増やしてはならないということである。これは実質的に原発を再稼働させてはならないという意味であり、同決議の時点で日本の原発の稼働がゼロの状態であったことからすれば、原発ゼロの決断を意味する。原発推進論者も存在している日本学術会議において、全会一致でこうした決議が採択された意味は重く受け止める必要がある。

 3、まとめ

原発に未来はなく、人類と共存できないことは明らかである。そうである以上、原発ゼロの社会を支えるために再生可能エネルギーの可能性を最大限追及することが必要である。

◆ 原告第13準備書面
-自然代替エネルギーの可能性等-
目次

原告第13準備書面
-自然代替エネルギーの可能性等-

2015年(平成27年)5月27日

第13準備書面[396 KB]

目次

はじめに

第1 真の「国富」とは何か?

第2 ドイツの脱原発の決断・「ドイツ脱原発倫理委員会報告から日本が学ぶべきこと

第3 地球温暖化問題との関係

第4 原発の「コスト論」について

第5 原発の本当のコスト

第6 日本における再生可能エネルギーの潜在的可能性

第7 再生可能エネルギーによる発電方法と、技術的課題の克服

第8 まとめ:再生可能エネルギー発電拡大により、原発ゼロを実現することは可能であり、要は政府のヤル気である

◆ 原告第12準備書面
第8 核のゴミの問題

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第8 核のゴミの問題

 1 原子力発電の燃料が放射性廃棄物(核のゴミ)になるまでの過程について

  (1) 原子力発電の燃料の使用から使用後までの状況(現在の建前)

 ア 原子力発電は濃縮ウランを燃料にしている。濃縮ウランは,ウラン鉱山から採掘された天然ウランを精錬して作られる。天然ウランは,ウラン235とウラン238の混合物であるが,核分裂を起こしにくいウラン238が大半で,核分裂を起こしやすいウラン235が0.7パーセント程度しか含まれていないため,精錬によりウラン235の比率を3%~5%程度に高めた濃縮ウランに加工する。
原子力発電には濃縮ウランを用い,主にウラン235の核分裂から生じる熱エネルギーを利用して発電を行う。なお,ウラン238から変化したプルトニウム239の核分裂から生じる熱エネルギーも発電に利用されている。

 イ 原子力発電により,燃料である濃縮ウランは核分裂(主にウラン235とプルトニウム239)を起こし,この核分裂によって,ヨウ素131,セシウム137,ストロンチウム90などといった有害な放射性物質を多数生成する。
発電を続けることで,核分裂するウラン235の割合が減少する。ウラン235の割合が一定程度低くなれば,燃料の交換を行う。すなわち,古い燃料を取りだし,新しい濃縮ウランの燃料を入れる。ここで,取り出された古い燃料は使用済み核燃料と呼ばれる。

 ウ 使用済み核燃料は,大飯発電所を含めて,日本国内の各原子力発電所の原子炉建屋内の貯蔵プールにおいて数年間保管され,冷却を行う。
その後,使用済み核燃料は,再処理工場に回され,再処理施設で処理され,更に燃料として使用できるものとそれ以外(放射性廃棄物)に分けられる。

 エ 再利用できる核燃料については,高速増殖炉などで発電の燃料とされたり,その他の原子力発電所で発電の燃料として利用されることとなっている。これらで使用された燃料についても,再処理をされ,さらに再利用できる核燃料と再利用できない放射性廃棄物(核のゴミ)とに分けられる。これらの過程を繰り返し,使用済み核燃料は,最終的には,放射性廃棄物(核のゴミ)となる。

  (2) 実際の状況ついて

原子力発電所を行い,その後使用済み核燃料として,各原子力発電所の原子炉建屋内の貯蔵プールに保管されるという過程までは,建前通りとなっている。
しかし,現状では,青森県六ヶ所村にある使用済み核燃料の再処理工場が稼働しておらず,また稼働する見込みも立っていないため,各原子力発電所の使用済み核燃料プールの使用済み核燃料は,再処理がなされないまま保管が続けられている。すなわち,発電をすればするほど,使用済み核燃料が積み上がっていくという状況になっている。また,使用済み核燃料を再処理した核燃料を使用するはずの高速増殖炉についても現状稼働の目途は立っておらず,将来的に稼働する見込みも立っていない。

  (3) 高レベル放射性廃棄物と低レベル放射性廃棄物

放射性廃棄物(核のゴミ)は,使用済みの燃料で今後再利用できないものに限られるわけではなく,作業員が来ている防護服,手袋等放射性物質に接触したものはすべて放射性廃棄物(核のゴミ)となる。
これらの放射性廃棄物は,放射能の量に応じて,高レベル放射性廃棄物と低レベル放射性廃棄物に分けられる。
使用済みの燃料で今後再利用できないものには大量の放射性物質が含まれており,高レベル放射性廃棄物に含まれる。また,再利用が可能であるとされて保管されている使用済み核燃料にも当然に大量の放射性物質が含まれており,再利用ができないのであれば,燃料ではなく,当然にその使用済み核燃料自体が高レベル放射性廃棄物ということになる。実際,世界的に見ても再処理を行って燃料として再利用している国は少なく,核燃料を再処理して再利用しない国々では資料済み燃料がそのまま高レベル放射性廃棄物として扱われることとなる。

  (4) 放射性廃棄物(核のゴミ)の最終的な処分方法について

   ア 高レベル放射性廃棄物の処分方法について

高レベル放射性廃棄物については,きわめて長期間にわたって,人体等に有害な放射線を放出するために,これについては,放射性物質を大気中等に放出しないよう,きわめて長期間にわたって,厳重に管理し続けなければならない。
日本においては,2000年(平成12年)に特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律が制定され,高レベル放射性廃棄物については,地下300メートル以上の地下深くに地層処分することとなっている。そして,地層処分を行う場所(最終処分場)の選定については,原子力発電環境整備機構(NUMO)が行うこととなっている。
現在においては,日本も含め,厳重な管理方法として,高レベル放射性廃棄物については,再処理工場でガラス固化して30年から50年保管し,放射能及び発熱量が比較的少なくなってから,これを地中深く(深さ300メートル以上)に埋めて保管することとなっている(地層処分)。実際,フィンランドにおいては,すでに高レベル放射性廃棄物を地中深くに埋めるために,その施設の建設が始められている。

   イ 低レベル放射性廃棄物の処理方法について

低レベル放射性廃棄物の処理については,地下300メートル以上の地下に地層処分される高レベル放射性廃棄物に比べ,比較的浅い地中に埋設することとなっている。なお,低レベル放射性廃棄物のうち,放射性物質濃度の高いものについては,高レベル放射性廃棄物同様,地層処分がなされることとなっている。

 2 日本における使用済み核燃料の処理の現況について

  (1) 最終処分の前提すら整っていない

放射性物質を大量に含む使用済み核燃料については,再処理され,高レベル放射性廃棄物と再利用できる核燃料に分離することとなっており,これまでの使用済み核燃料の一部は,フランスやイギリスの再処理工場で再処理されて,再利用できる核燃料と高レベル放射性廃棄物への分離がなされている。
しかし,多くの使用済み核燃料は,再処理されないまま,大飯発電所を含めた各原子力発電所内の原子炉建屋内の貯蔵プールで保管されている。すなわち,高レベル放射性廃棄物の最終処分の前提として,これらを再処理して,ガラス固化体にする必要があるが,ガラス固化体にされている高レベル放射性廃棄物は,イギリス,フランスに再処理を委託した分程度であり,多くの使用済み核燃料は,再処理されないまま,大飯発電所を含めた各原子力発電所の原子炉建屋内で保管されたままである。また,再処理を前提に青森県六ケ所村の再処理工場に持ち込まれた使用済み燃料により,六ヶ所村再処理工場の使用済み核燃料の一時保管スペースはこれ以上持ち込めないほどの量となっている。
全国各地の原子力発電所においても,一時保管スペース(使用済み核燃料プール)にかなりの割合の使用済み核燃料が保管されている状況である。
2012年9月末時点で,全国の原子力発電所及び六ヶ所村の再処理工場に保管されている使用済み核燃料は,少なくとも1万7000トン以上あるとされている。大飯発電所においては2020トンの使用済み核燃料を保管するスペースがあるとされているが,同時点において,1430トンの使用済み核燃料が保管されており,使用済み核燃料の貯蔵可能量のうち71パーセントが使用されている状況である。

  (2) 最終処分場建設の見込みはない

日本においては,最終処分場の選定については,2000年(平成12年)に特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律が制定されて以降,原子力発電環境整備機構(NUMO)が最終処分場の候補地を探している状況であるが,現時点で最終処分場を建設する場所は全く決まっていない。
2007年(平成19年)に,高知県の東洋町の町長が,議会に諮らずに原子力発電環境整備機構(NUMO)に最終処分場の候補地選定に向けた文献調査の申請を行ったことがあったが,最終的には町長辞職後の町長選で,最終処分場建設反対の候補が勝利し,申請は撤回されている。そして,その後,最終処分場候補地として立候補した自治体は皆無である(その前提となる候補地選定に向けた文献調査の申請を行った自治体もない)。東日本大震災による福島第一原発事故の惨状を経た現在において,これまでの状況から考えても,日本国内の自治体において,最終処分場建設を推進する自治体が今後現れる可能性は皆無であり,最終処分場建設の見込みは全くない。

 3 最終処分場が建設できたとしても長期間安全に保管できる見込みはない

  (1) 現状の考え

高レベル放射性廃棄物が人体等に有害な放射線等を放出しない比較的安全な状態になるためには,一般的に少なくとも10万年の期間が必要という風に理解されている。
まず,10万年というのは極めて長期間であるということを理解する必要がある。人間の寿命はわずか70~80年程度であり,建物等の建造物,製造物についてもせいぜい数十年程度の寿命であり,10万年というのはこのような現実から考えると,極めて極めて長い期間というほかない。
そのように考えると,そもそも10万年間もの長期間,老朽化等せずに高レベル放射性廃棄物を保管し続ける設備を設けることができるとは到底考えられないし,ガラス固化体にして,厳重に保管しているとされている高レベル放射性廃棄物が10万年間全く腐食等せず保管し続けることが可能であるとも到底考えられない。
また,現在において,数千年前程度の古代の文字ですら解読できない状況の中で,その地中深くに埋めた人体等に有害な高レベル放射性廃棄物が,きわめて有害な危険な物質であることを,数万年から10万年先の将来の人類に対して生活に伝えることすら不可能であると言える。

  (2) 日本の現状について

 ア 地震がほとんどないフィンランドと違い,日本は世界有数の地震大国であるという問題もある。フィンランドでは,地下300メートルほどの深さに最終処分場が建設されているが,日本においては,同じように地下300メートルほどの深さに最終処分場を建設したとして,これらの施設が地震による影響を受けずに存続し,かつ高レベル放射性廃棄物を安全に厳重に保管し続けられるかどうかは極めて疑わしい。

 イ 特に地震大国日本の場合,地震等が発生した場合に,地中深くだからといって,そこにある設備(最終処分場)が全く無傷であるという保証はなく,また,その中に保管されている高レベル放射性廃棄物についても,何ら放射線を大気中等に放出させないで安定して存在し続けることができる保証は全くない。
神戸大学名誉教授であり、国会事故調調査委員会委員であった地震学者石橋克彦氏は下記の通り、活断層の有無とは無関係に大地震が起こりうることを述べている。したがって、最終処分施設が地中深くに建設されたとしても、10万年もの長期間に渡り施設自体が存続し続けるという仮定が誤っている。

 「活断層は発見されているもの以外に、大地震の震源断層面深くて岩石のずれが地表にあらわれなかったり、大地震がまれにしかおこらなくて地表のずれが浸食されて累積しなかったりすれば、地下に大地震発生源があっても活断層はできない。つまり、活断層がなくとも直下の大地震はおこる。」
「日本海側の原発はどこでも直下でM7級の大地震がおこっても不思議ではない。たとえば13基の原子炉がひしめく若狭湾地域は、福井地震(M7.1)と北丹後地震(M7.3)の震源域の間だが、似たような直下地震の発生を警戒した方がよいくらいである」

(甲201:原発震災破滅を避けるために)。

  (3) 福島の状況について

福島第一原発事故が発生してから,既に4年が経過しているが,現時点で,放射性廃棄物の処理についての道筋がついているとは言い難い。
最近になって,福島県内において,中間貯蔵施設が建設される方向で進められてきているが,あくまで中間貯蔵施設であり,また,福島第一原発事故により生じた放射性廃棄物の処理のための施設であるに過ぎない。福島第一原発事故により生じた放射性廃棄物の処理のための最終処分場建設の目処は全く立っていない。
さらに,全国各地にある原子力発電所の高レベル放射性廃棄物の処分については,最終処分場はおろか,中間貯蔵施設の建設についても,全く目処が立っていない状況である。
 4 日本学術会議の報告

  (1) 日本学術会議への検討依頼

平成22年(2010年)9月、原子力委員会は日本学術会議に「高レベル放射性廃棄物の処分について」の検討依頼を行った。日本学術会議[1]は、人文・社会科学と自然科学の分野を含む他分野の専門家から成る「高レベル放射性廃棄物の処分に関する検討委員会」を設置し、1年程で回答をまとめる予定で審議を開始した。しかし、この報告書の作成までの間に福島第一原発事故が起こったため、日本学術会議は、事故を踏まえ再度の審議を行った結果、平成24年9月11日に回答を行った。

[1] 日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立された。主な職務は、主にⅠ政府に対する政策提言、Ⅱ国際的な活動、Ⅲ科学者間ネットワークの構築、Ⅳ科学の役割についての世論啓発とされる。(日本学術会議HP:http://www.scj.go.jp/ja/scj/index.html)

  (2) 日本学術会議の提言

 ア 日本学術会議は、高レベル放射性廃棄物の処分に関し「抜本的見直しが必要」として提言を行った(甲202:日本学術会議 回答「高レベル放射性廃棄物の処分について」)。
この提言の根底には、高レベル放射性物質の処分問題は「負の帰結」(ここでは、原子力発電に伴う不可避のコスト、リスクを指すと考えられる)が増大するため、合意形成が困難であるとの認識がある。

 「合意形成の困難さの根底には、原子力発電は、それによる受益を増加させようとすればするほど、それに付随して、負の帰結(被曝労働、定常的汚染、放射性廃棄物、事故の危険性)が増大するという特徴がある。負の帰結の中でも高レベル放射性廃棄物は、現在世代の一時的な受益が、超長期にわたる将来世代に危険性を負担させるという特徴を持つ。負の帰結を減少させるための最善の技術的工夫をしたとしても、これらの負の帰結を完全にゼロにすることはできない。原子力諸施設の中でも、高レベル放射性廃棄物の最終処分場は、超長期にわたり地下を安全かつ安定的に使用することが必要とされる施設であり、数十年の使用期間を想定している原子力発電所と比べて、千年・万年という桁外れの超長期間にわたり、汚染の発生可能性問題に対処しなければならないという困難を抱えている。」

(甲202-8)

 イ また、同報告書は高レベル放射性廃棄物の処分問題の不確実性についても言及している。ここでは、地質環境の安定性の評価に関して、「放射能が生物圏に影響を与えることのないよう確実に隔離することが可能だ」という見解に異を唱える専門家が日本内外に存在することを示し、高レベル放射性廃棄物の管理可能性について専門家内でも共通認識が形成されていないことを吐露している。(甲202-13)

 「科学者は、各時点の科学的知識によっては不明なことや不確実なことがあるという、科学・技術の限界を自覚するとともに、社会的にそれを明示した上で、賢明な対処法を探るべきである。今後の本件への取組みに際して、諸施設の準備や操業の過程において、既存の知識では想定していなかった現象が起こって、計画そのものの見直しを迫られることは十分に考えられる。例えば、巨大な噴火および噴出物の広域的な影響、「活断層」と認定されていない断層の活動、巨大な地すべりによる広範囲の荒廃など、想定外の事象が起これば、計画そのものの変更が必要になることもありうる。想定外の事象、不明なことや不確実なことについても、専門家間での認識の共有が必要である。
もちろん、専門家の間には、「超長期にわたる不確実性を考慮しても、放射能が生物圏に影響を与えることのないよう確実に隔離することが可能だ」という認識が存在し、これはわが国における現行の地層処分計画が依拠する処分概念の基本的な前提でもある。しかし、不確実性の評価をめぐって、とりわけ超長期の期間における地質環境の安定性の評価については、こうした見解とは異なる認識を示す専門家が国内外に存在することもまた事実であり、上記のような問題についての専門家間での丁寧な議論を通じた認識の共有を経ずに高レベル放射性廃棄物の地層処分を進めるという姿勢では、広範な支持のある社会的合意の形成はおぼつかない。科学者の認識共同体において必要な施設建設に適した安定性を有する地域を検討し、また、それを様々な角度から開かれた形で進めていく以外に、施設立地点の選定について社会的合意を得ることは難しい。」

 ウ 日本学術会議は、上記を含む議論をもとに、日本政府に対して6つの提言を行った。この中で総論部分である提言(1)は、政府に対し「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策の抜本的見直し」を求めるものであり、現行の高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策の不可能性を端的に指摘している。

 「(1) 高レべル放射性廃棄物の処分に関する政策の抜本的見直し
わが国のこれまでの高レベル放射性廃棄物処分に関する政策は、2000年に制定された「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」に基づき、「原子力環境整備機構」(NUMO)をその担当者として進められてきたが、今日に至る経過を反省し、また政府や原子力委員会自身が現在着手している原子力政策の抜本的な見直しに鑑みれば、基本的な考え方と施策方針の見直しが不可欠である。これまでの政策枠組みが、各地で反対に遭い、行き詰まっているのは、説明の仕方の不十分さというレベルの要因に由来するのではなく、より根源的な次元の問題に由来していることをしっかりと認識する必要がある。これらの問題に的確に対処するためには、従来の政策枠組みをいったん白紙に戻す覚悟で見直さなければならない。」

 エ 小括
日本政府が検討を依頼した日本学術会議も、現在の科学水準では、高レベル放射性廃棄物処理の方法について疑義が呈され「政策の抜本的見直し」を行うべきである旨回答している。これは、高レベル放射性廃棄物処理の不可能性を明らかにするものであり、これ以上の高レベル放射性廃棄物の発生を早急に遮断する必要がある。

 5 まとめ

現在においては,原子力発電を行えば行うほど高レベル放射性廃棄物がどんどん増えていく状況であるが,高レベル放射性廃棄物を安全・適切に処理する方法は全く見つかっていない。
一応の方法として,地層処分という方法が採られることとなっているが,その安全性は全く検証されていない。そして,地層処分をするための施設の建設は行われておらず,それ以前に,その地層処分を行う場所の選定すら行われておらず,今後も地層処分を行う場所が選定される見込みはない。
原子力発電は,人体等に極めて有害で,かつ極めて長期間にわたって人体等に有害な影響を与え続ける高レベル放射性廃棄物を生成する。原子力発電が始まって数十年が経過するが,これらの有害物質を無害にする方法は見つかっておらず,かつこれらの有害物質たる高レベル放射性廃棄物を人体等に影響を及ぼさないように完全にコントロールする方策すら全く見つかっていない状況である。
このように高レベル放射性廃棄物の完全な処理方法が見つかっていない状況の中で,原子力発電を続けるということは許されるものではなく,速やかに原子力発電を続けるという選択をやめるべきである。

以上

◆ 原告第12準備書面
第7 福島原発事故の収束状況と今後の見通し

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第7 福島原発事故の収束状況と今後の見通し

 1 福島原発事故は未だ収束していない

福島原発事故からまもなく4年が経過するが、原発事故は収束したとは到底いえる状況にない。
原子炉は未だに立ち入ることができず、福島原発事故の原因すら、いまだに解明されていない。
汚染水は流出し続けている。福島県東部を南北に走る阿武隈山地で降った雨は、水を通しやすい地層(透水層)を通り、海や川まで流れる。福島第一原発はその豊富な地下水脈の末端にある。事故直後は1日400トンの地下水が建屋に流れ込んでいたが、現在はうち300トンが建屋に流入する。溶融した核燃料を冷やした水とまざって高濃度汚染水に変わってしまう。すでに敷地内には汚染水などを貯めるタンクが立ち並んでおり、平成25年12月24日時点での汚染水から一部の放射性物質を除去した後の処理水の総貯蔵量は約40万立方メートルであった(甲198 福島第一原子力発電所における汚染水処理とトリチウム水の保管状況)。しかし、他核種除去設備(ALPS)では62種類の放射性物質を除去できるものの、トリチウムは原理上除去できないという意味で、処理水を海洋に流出させることには強い非難の声があり、敷地内にため続けているという状況にある。建屋への地下水流出を防ぎ汚染水の発生量を減らす方法として注目されていた「凍土遮水壁」も目処が立っていない。
平成27年2月24日には、港湾外へつながる福島第1原発の排水路の一つが放射性セシウム等により高濃度に汚染された建屋のトラックなどの出入り口部分の屋上とつながっており、放射能を含んだ雨水が外洋に流出していたことが判明した。屋上部にたまっていた水からは1リットルあたり放射性セシウムが2万9400ベクレル検出された。ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質も5万2000ベクレル含まれていた。放射能を含んだ雨水が外洋に流出していた。東京電力は汚染水の外洋流出を平成26年4月までに把握し調査を続けていたが、公表していなかった(甲199 時事ドットコムウェブサイト)、なお、福島原発からの汚染水漏れは、それ自体が国際原子力事象評価尺度(INES)の「レベル3(重大な異常事象)」に相当するとされており、非常に重大な被害が生じていることは明らかである。
汚染水だけでなく、放射性物質に汚染されたがれき、汚染水を処理した後に残る残渣などの固体廃棄物が敷地内に蓄積され続けている。その大半が国内で処理や処分の経験がないごみであり、これらのごみからは放射線が発せられている。廃炉の進行に伴い、より放射線濃度の高いごみが増加することとなる。
福島原発1~3号機では、いまだに内部に人が入ることはできず、高濃度に汚染された建屋の解体や溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)取り出しが進んでいない。被ばく線量が法定上限の「5年間で100mmシーベルト」を超え、現場で就労できなくなった作業員が増えることで人員の確保が困難になり、廃炉に遅れが生じるとの問題もある。
安倍晋三首相も、平成27年1月30日の衆議院予算委員会で、福島原発事故について、「汚染水対策を含め、廃炉、賠償、汚染など課題が山積している」とした上で、「今なお厳しい避難生活を強いられている被災者の方々を思うと、収束という言葉を使う状況にはない」との認識を示している(甲200 ロイターウェブサイト)。

 2 結論

福島原発事故は、INESの尺度で七段階中最悪の「レベル7」と評価されている。しかし、原子力規制委員会は、敷地内で汚染水漏れなどの事故が起きた場合、混乱を生むのを防ぐため、国際的な原子力事故評価尺度(INES)による評価をしない方針を決めた。国・原子力規制委員会は、福島原発事故による被害を過小評価しようとしているのである。
しかし、前述したとおり、福島原発事故が甚大な被害を生み出し続けていることは明らかである。福島原発事故の被害の甚大性から目を背けることなく、再び福島原発事故のような惨事が起こることのないよう、大飯原発の稼働は決して許してはならないのである。

◆ 原告第12準備書面
第6 廃炉の困難性

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第6 廃炉の困難性

 1 福島第一原発の概要と本件事故による損傷

(1)福島第1原発のⅠ号機から6号機までの設備に関わる概要について国会事報告書(甲3)は次のようにまとめている。
これを見ると,1号機は運転開始後満40年に15日足りなかっただけであるし,2号機は運転開始後37年,3号機は35年,4号機も33年が経っている。運転開始後ほぼ40年か,あるいはあと数年して40年になる原子炉ばかりである。原子炉の寿命について本件事故前までは規制する法律はなかったが,一般的には30年ないし40年と言われてきた(本件事故後、政府は原子力規制法を改正して,40年経った原子炉は運転してはならない,但し政府の許可があればあと20年運転できると定めた)。本件1~4号機はいずれもここ数年の間に廃炉が検討・実行されなければならない高経年化原子炉だったのである。

(2)本件事故によって,1号機から4号機までが大きな破損を受け,甚大は放射性物質を環境に撒き散らした。
訴状の請求原因でつとに主張したところであるが,3・11の地震・津波の発生を機に原子力発電所の全交流電源が予備電源も含めて全て喪失し(SBO)、核燃料の放射性物質を『冷やす』ことが不可能となった。水位は下降し,炉心が水の上に露出した。水面から出て高温となった核燃料収納被覆管の溶融によって核燃料ペレットが原子炉圧力容器(圧力容器)の底に落ちる炉心溶融が起き(メルトダウン)、さらに溶融した燃料集合体の高熱で、圧力容器の底に穴が開き、または圧力容器下部にある制御棒挿入部の穴およびシールが溶解損傷して隙間ができたことで、溶融燃料の一部が原子炉格納容器に漏れ出した(メルトスルー)。現在、この溶け出した核燃料(これをデブリという)がどれだけの量で、どのような状況になっているかは分からない。放射線量が強くて人間が近づけないからである。固い塊となって格納容器の壁にこびりついているかもしれないし,格納容器の底やその下にあるコンクリート基礎を溶かし、地中に潜り込んでいるかも知れない。
原子炉内の燃料棒の損傷に伴い「水-ジルコニウム反応」等により水素が大量発生した。原子炉建屋、タービン建屋各内部に水素が充満した結果、1号機(3月12日午後3時36分頃)、3号機(翌13日午前11時01分頃),4号機(翌々日3月15日午前6時頃)が次々と水素爆発を起こして原子炉建屋、タービン各建屋及び周辺施設を破損させた。2号機はプラント下部のドーナツ型部分が爆発を起こした可能性が疑われている。これらの水素爆発によって1号機~3号機の格納容器が破損した可能性がきわめて高い。格納容器及び原子力建屋の機能が失われたことによって、炉心から放出された放射性物質が大量に大気中及び海中といった外部環境に放出され、福島第一原発は破局的大事故に至ったのである。

 2 廃炉への道

(1) 以上のような破損を受けた1号機~4号機の建屋内には,場所によっては4000ミリシーベルト/時間というような驚べき高濃度の放射能が充満している。従って,住民の安全・安心を本当に確保して帰郷を促し,農業,漁業,山林業等を復活させ,福島の復興を確実に実現して行くには,まず真っ先にこの巨大な放射線汚染源を廃炉にしなければならない。1号機~4号機の廃炉は東電も国も一致して方針に掲げている(後れて5,6号機も廃炉にすることが2014年9月に決められた)。
被告東電が行う廃炉作業は,住民の帰還を目的にして(と言うことは,地域内のどこをも年間線量1ミリシーベルト以下にするということ),炉心溶融を起こした原子炉を3機も同時に廃炉にしていかなければならないのであるから,自他共に認めるとおり世界で初めての挑戦であり,後述するように幾多の困難が横たわっている。

(2) 東京電力と国(資源エネルギー庁,原子力安全・保安院)は,2011年12月21日に「福島第1原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」を策定・公表した(甲193)。
それによれば,冷温停止状態が現出してから廃炉完了まで3期に分けている。
第1期は,言わば準備期間であり、使用済み燃料プール内の燃料取り出しが開始されるまでの期間(2年以内)である。
第2期は、燃料デブリの取り出しが開始されるまでの期間(10年以内)である。この期間内に、全号機の使用済み燃料プール内の燃料取り出しを終了させる。そして建屋内の除染、格納容器の修復及び水張り等、燃料デブリの準備を完了し、燃料デブリの取り出しを開始する(目標10年以内)。
第3期は、廃止措置終了までの期間(30~40年後)であり、この期間内に、燃料デブリの取り出し完了(20~25年後)、廃止措置の完了(30~40年後)、放射線廃棄物の処理、処分の実施が行われる。
すべてが完了するのは30年~40年先と想定されている。
しかしながら,実際の作業はこのロードマップの通りに進んでいないことは周知の通りである。廃炉作業を進める上で大きく妨害となっているのは、毎日400tも発生している汚染水であることは前述したとおりである。
その後、廃炉のロードマップは作業の遅延を反映して逐次改訂が加えられ,さらに廃炉作業を推進する政府の部署・体制も次々と変わってきたが,それを逐一記述するのは煩瑣なばかりで益がないので省略する。

(3) 国は,2013年9月3日,「汚染水問題に関する基本方針」を原子力災害本部において決定した。これは,このロードマップの実行について国が前面に出ることを内外に宣言し,それまでの東電が主に「逐次的な事後対応」に追われていて遅々として進まない状況を改善し,「想定されるリスクを広く洗い出し,予防的かつ重層的な対策を講じ」て行くことを決めた。それに対応して政府の体制も強化するとして,政府一体の体制の構築を目指した「廃炉・汚染水対策関係閣僚会議」の設置、現地の「廃炉・汚染水対策現地事務所」に各省庁から職員を常駐させること,さらに、現地における政府、東京電力等の関係者の連携と調整を強化するため、「汚染水対策現地調整会議」の設置、地元のニーズに迅速に対応するため、「廃炉対策推進会議福島評議会」を活用する等々の方針を発表した(甲197)。これらの方針は,直接的には汚染水対策でしかないように見えるが,汚染水の処理は廃炉にとって必須不可欠な前提事項であるから,国が前面に出ることや体制の強化などの方針はもちろん廃炉にも適用されている。
現在は,廃炉を推進していく国の機関として,原発損害賠償支援機構を改組して「原発損害賠償・廃炉等支援機構」とし、ここが主体となって廃炉を推進していくこととなった。

 3 廃炉の困難性

  (1)廃炉の先駆例

世界で見ると、すでにアメリカで10基、ドイツで1基廃炉が終了したと報告されているが、ここでは福島第1原発と同じく爆発事故を起こしたチェルノブイリ原発とスリーマイル島原発の廃炉を取り上げて、その苦難の経緯を概観し、さらにわが国で初めての廃炉に挑戦している東海原発の経緯に触れることとする。

 ア スリーマイル島原発の例
1979年3月28日に発生したアメリカ・ペンシルバニア州・スリーマイル島2号機の原発爆発事故の時は,福島事故と同じく炉心溶融が起こった。4月4日に冷温停止状態になり、廃炉が選択された。放射線量が高い建屋内には入るために、原子炉格納容器兼建屋に充満した放射性ガスを環境に放出しなければならなかった。事故後6年経った1985年になって、原子炉上部から差し込まれたビデオカメラが、原子炉底部に燃料棒が崩れ落ちているのを発見した。
ここから廃炉するために、バラバラになって沈んだ燃料棒を拾い上げ、メルトダウンして硬く固まった燃料デブリ(約100トン)を水の中で少しずつ削り取る作業を進めた。鉄の棒でも歯が立たないデブリを水中で特殊ドリルを操作して削り取る作業は困難を極めたと言われる。燃料棒の回収作業が終わったのは、事故後10年経った1989年12月である。回収されたデブリは、スリーマイル島から3500キロメートル離れたアイダホ州の国立研究所に厳重保管されている。
最後に、1060万リットルにもなる膨大な汚染水を処理する必要があったが、川に流す方法は住民の反対が強くて取れず、自然蒸発の方法が選択され、1993年8月までに約80パーセントが蒸発された。
2号機の廃炉作業は、まだ稼働中の1号機の閉鎖と廃炉に合わせてゆっくり進めていく方針が取られ、そのまま監視状態におかれている。

 イ チェルノブイリ原発の例
1986年4月に発生したウクライナ・チェルノブイリ事故は史上最悪の原発事故と言われる。爆発した4号機では全電源喪失を想定した非常発電系統の実験を行っていたところ、制御不能に陥り,炉心が熔解し、爆発を起こしたと言われている。それにより大量の放射性物質が環境中に放出された。ソ連政府(当時)は,大量の放射線物質の飛散を緊急に封じ込めるため、爆発を起こした原子炉そのものを巨大なコンクリート製の棺ですっぽりと覆う石棺方法を取った。周囲30キロメートルの住民を強制移住させて、廃村にした。今なお住民が故郷へ帰還できる可能性は全く断たれている。
コンクリート製の覆いはもともと耐用年数が30年と言われていたが、放射線による影響で脆弱化しボロボになって来ており、内部の放射線物質が漏出したりしている。石棺の上をステンレススチール製のシェルターで覆う工事が今進められている。ステンレススチール製のシェルターの耐用年数は100年と言われており、100年経ったときにまた新たな対応を余儀なくされる。
取りあえず、それまでの期間をかけて、石棺内にある放射性物質の放出や汚染瓦礫の排除などの廃炉作業が少しずつ続けられる予定である。

 ウ 東海発電所は、日本で初めての商業用原子力発電所として、1966年7月に営業運転を開始した。しかし、原子炉や熱交換器などが大きな割に出力が小さく、軽水炉に比べて発電単価が割高であり、かつ保守費や燃料サイクルコストも割高になっていたことから、1998年3月31日をもって運転を停止し、日本で初めての廃止措置作業を行っている。
1998年から廃止・解体作業(23年間)を開始。原子炉領域の解体撤去は16年後の2014年から6年間で完了する予定になっている。事故を起こしていない、出力の小さい原子炉でも、廃止措置までは23年という長い年月を要するのである。

  (2) 廃炉作業を困難にしているもの

 ア 本件1号機~4号機の建屋内外ではまだまだ放射線量が高く、いまなお何百、あるいは何千ミリシーベルトという線量が検出される状況である。1日に400トンもつくられる汚染水の対策・処理もできていない。そのために人が建屋内に近づくことができないから、今もなお、建屋、格納容器及び原子炉の内部がどのようになっているかを掌握できていない。廃炉作業の中心的課題は、言うまでもなく高い線量を発し続ける燃料デブリの取り出しであるが、燃料デブリがどこに、どれだけ、どういう状態で存在し続けるのかが不明では、デブリの取り出し作業は不可能である。
現在はミュオンの透視技術を利用して格納容器内の状況を探ろうとしている。またさまざまな機能を持つロボットを開発し、中の映像を入手しようしている。だが、それらは失敗のくり返しで、事故後4年も経っているのに遅々として進まない。
先に述べた廃炉の工程表は、原子炉等の中の状況を知らないで30~40年と言っているだけで,燃料デブリの状況次第ではもっともっと長くなることが十分予想されうる。つまり、廃炉は30年~40年かかるというのは何の根拠もないのである。

 イ 燃料デブリの取り出しは、燃料棒等が発出する放射線量を抑えるために格納容器内に水を張り、冠水状態で行うことが想定されている。しかし、格納容器の現状は損傷を受けて水が漏れているのに、その原因を把握できていない。このままの状態では冠水での作業が不可能である。
それでまず破損個所の修復が必要であるが、しかし,どこの個所が破損しているのかが分かっていないのだから、修復工事のしようがない。仮に,分かったとしても,高い放射線量が検出される状況の下で修復工事をどうしてするのか。人間の手では不可能だから、やはり次々にロボットを考案・開発して、そのロボットによる作業に期待をかけざるを得ないであろう。

 ウ もし仮に、除染に成功し、冠水下で燃料デブリの取り出し作業を開始できるようになったとしても、その取り出し作業は、スリーマイル島原発の経験が示すように鉄の塊以上に硬く固まっているであろうデブリを水中でクレーンを動かし、取り上げることになる。スリーマイル島原発のときは、燃料デブリは炉内にとどまり、格納容器底部までメルトスルーを起こしていなかった。だが、本件1号機~4号機ではメルトスルーして原子炉の上部から格納容器の底部まで行っている可能性が大なので、クレーン設置の位置からの距離は大体30メートルくらいになると推定される。
つまり、1号機~3号機では、クレーンを動かし、水中30メートル下のデブリを削り取り、掬い上げる作業はしなければならないのだが、その作業が超困難な作業であることは容易に想像がつく。しかも、その作業を1機だけするのではなくて、1号機から3号機までしなければならないのである。どれくらいの日月を要するのか全く予断を許さない。

 エ 熟練作業員の確保が困難になっている。
燃料デブリの取り出しの前に、やらなければならない作業として1号機~3号機に保管されている使用済み核燃料を取り出さなければならない。4号機の燃料プールの貯蔵されていた1353体の取り出しは平成25年11月から始められたが、平成26年12月26日完了した。これはこれで良かったのだが、後述するようにこの取り出し燃料の最終処分の目途が全然立っていない。
それ以外に1号機の燃料プールに392体の使用済み核燃料、2号機に615体、3号機に566体が貯蔵されている。これらを全部取り出し、搬出することが必要である。建屋の屋根が吹っ飛んだだけで、原子炉のメルトダウンや爆発事故を起こさなかった4号機では、プール内の燃料取り出しは比較的スムースに完了したが、それでも1年以上の年月を要した。
高線量の放射線物質が充満し、爆発による瓦礫等が散乱している1号機~3号機の取り出し作業はもっと大きな困難が予想され、経験豊かな熟練作業員の確保が不可欠と言われている。しかし、そうした熟練作業員の多くは、線量制限(1年で50ミリシーベルト、5年間で100ミリシーベルト)に触れつつあり、今後5年間は作業に就けないので、辞めていく者が多いと言われている。まさに危機的状況になりつつある。そのために、政府は、線量制限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトにする変更する案を検討しているが、本末転倒と言うべきである。

 オ 使用済み核燃料や燃料デブリをうまく取り出したとして、それらの最終処分どこで、どうするかが全く決まっていない。わが国の原発は、使用済み核燃料の最終処分をどこで、どうするのかを全く決めないで開発されたものであり、いわばトイレ無きマンションをつくったものだと批判されて来た。今の状態をたとえれば、トイレ無きマンションで溜まった糞尿をどこに持って行ったら良いのか、案さえ全然ないという、信じがたい無為無策の状態にある。しかしながら、改めて言うまでもなく、使用済み核燃料や燃料デブリの最終処分をしなければ、廃炉は永遠に完了しないのである。
前述したように、政府や東電の廃炉ロードマップは30~40年で廃炉は完了するとしているが、燃料デブリの取り出しや格納容器や建屋などの除染、解体など重要な作業はすべて第3期に押し込んで、第3期終了までの期間を30~40年としているわけである。果たしてその期間設定に何かの根拠があるかと言えば、客観的に何の根拠も示されていないことに注目せざるを得ないのである。

 4 小括

以上述べてきたように、廃炉などと一口に言っているが、率直に言って事故を起こして放射能まみれになってしまってからでは、廃炉は事実上不可能だと言わざるを得ない。長年わが国の原発政策を批判してきた小出裕明氏は、福島もコンクリート製石棺で覆うべきで、それ以外の方法はないと発言するに至っている(甲 平成27年4月26日付京都新聞)。
形あるものは必ず壊れる。壊れるときに暴発して、膨大な放射線エネルギーを放出するのが原発の大きな特徴である。原発は、寿命や事故で壊れる前に、引導を渡し(稼働停止)、静かに葬送してやるしかないのである。

◆ 原告第12準備書面
第5 除染状況

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第5 除染状況

 1 除染とは

除染とは、生活する空間において受ける放射線の量を減らすために、放射性物質を除去・遮へい・隔離することである。除去とは、放射性物質が付着した表土の削り取り、枝葉や落葉の除去、建物表面の洗浄などにより放射性物質を生活圏から取り除くことである。遮へいとは、放射性物質を土やコンクリートなどで覆うことで放射線を遮り、結果として空間線量や被ばく線量を下げることである。隔離とは、放射線の強さは放射性物質から離れるほど弱くなるため、放射性物質を人から遠ざけたり、放射性物質のそばにいる時間を短くすることである(甲184 除染情報サイト)

 2 除染には限界がある

環境省の除染情報サイトによると、現在宅地で行われている具体的な除染方法は、屋根はブラシ洗浄、壁はふき取り、雨樋は高圧水洗浄・吸引とされている。しかし、屋根の瓦や壁には数十マイクロメートルの細かい穴があり、汚染のほとんどを占める放射線セシウムがその中にこびりついており、ブラシ洗浄・ふき取り・高圧洗浄により取り除くことはできない。
実際に、平成26年4月27日時点で、国が実施した除染の結果では、「避難指示解除準備区域」の住宅地は、平均で空間放射線量が毎時〇・七五マイクロシーベルトだったのが、除染後は毎時〇・四四マイクロシーベルトとなり、41%減の効果があった。しかし、この数値は年間一ミリシーベルトに相当する毎時〇・二三マイクロシーベルトを上回るものであり、国の行う除染の効果は十分ではなく除染には限界があることが明らかとなった(甲185 TOKYO Web)。

 3 除染は進んでいない

国が財政支援する汚染状況重点調査地域の除染実施状況(下記表)【表省略】によると、住宅除染の除染の全体計画では29万9641戸で発注し、17万7717戸で実施され、平成27年1月末時点で、全体計画に対する住宅除染の進捗状況は47.5%にとどまる。また、全体計画に対する道路除染の進捗状況も22.9%にとどまっている。なお、国が財政支援する汚染状況重点調査地域には39市町村が指定されており、このうち36市町村が除染計画を策定している。(甲186 福島民報ウェブサイト)

東京電力福島第1原発3号機での使用済み核燃料プールのある原子炉建屋最上階の除染も難航している。除染開始から1年以上が経過しても大部分の場所で放射線量毎時1ミリシーベルトという目標値を達成できておらず、プールからの燃料取り出しの見通しは立たない。廃炉作業が進んでいないことは明らかである。
東京電力は、燃料取り出しには作業員が最上階に立ち入ることが必要であるため、平成25年10月から同3号について最上階の除染作業を開始し、当初の線量が高いところで毎時100ミリシーベルトを超えていたため、除染後の線量の目標値を毎時1ミリシーベルトと決めた。しかし、遠隔操作ロボットを使って壁や床に高圧の水を吹き付け、表面を削って吸引したものの、平成26年11月末に公表された線量は最大で毎時約60ミリシーベルトもあり、ほとんどの場所で目標値を達成できていなかった(甲187 毎日新聞ウェブサイト)。
上記からすれば、除染が進んでいるとは到底いえない。

 4 除染の基準は恣意的なものである

平成26年8月1日、環境省は、どの程度以下であれば除染されたといえるかの目標について、従前空間放射線量「毎時0.23マイクロシーベルト」以下であったものを、個人被ばく線量に基づく空間放射線量「毎時0.3~0.6マイクロシーベルト」以下に転換すべきだとする報告書をまとめた。「毎時0.23マイクロシーベルト」とは、政府が規定した除染の長期目標である個人の年間追加被ばく線量1mmシーベルトを、一定の生活パターン設定の上1時間あたりの空間線量に換算した値であり、多くの自治体が除染目標としてきたものである。すなわち、国は、除染には限界があり、除染がなかなか進まないことから、除染されたとする値を恣意的に下げたのである。国がいう「除染」とは、そもそも上記のような恣意的かつ限定的なものにすぎない(甲188 河北新報ウェブサイト)。

 5 除染に伴う問題

  (1)汚染土

平成26年3月31日時点での除染後に生じた汚染土の仮置き場の設置状況は下記のとおりである。注目すべきは、汚染土を現場保管しているのが5万3057カ所にのぼることである。特に、子供が集まる学校・幼稚園・保育所・児童養護施設・公園でも汚染土が保管されており、子ども・住民に対する被ばくは継続しているといわざるをえない(甲189 福島民報ウェブサイト)。

 現場保管  箇所数
 住宅、事業所等除染を実施した場所で除染土壌等を保管  50,076
 学校、幼稚園、保育所、児童養護施設、障がい児施設等の敷地内で除去土壌等を保管  1,247
 その他(公園等)で除去土壌等を保管  1,734
 合計  53,057

平成27年1月30日時点でも、福島県内で国が直轄で除染する第1原発周辺の11市町村にわたる「除染特別地域」では、244万立方メートルの汚染土が約200カ所の仮置き場に保管されている。福島県内の市町村が除染する地域では汚染土が計306万立方メートル存し、保管量の内訳は仮置き場58%、住宅21%、学校10%である。福島県を除く7県の汚染度の量については、千葉県が約10万立方メートル、栃木県が約7立方メートル、茨城県が約5万立方メートルであり、福島原発事故による東北・関東8県での汚染土の合計量は、東京ドーム約5杯分にあたる580万立方メートルにのぼる(甲190 日本経済新聞ウェブサイト)。
仮置き場から施設へ搬出する順番やルートなどを定める搬出計画は未確定であり、最終的な処分場も未だ決まっていない。
汚染土からは放射線が放出されることからすれば、いったん汚染土の場所を移したところで、放射線による被害は消滅しないこととなる。しかも、住宅・学校という住民(特に子供)が多く集まる場所に汚染土が保管されていることからすれば、汚染土が存する限り、現時点においても被ばくが進んでいることとなる。そして、これらの被害は原発立地県である福島県にとどまらず、周辺各県にも広がっているのである。
結局、除染後の土を、環境や人に放射線の影響を与えることなく、処理することはできないのである。

  (2)移住者の急増

このような除染が進んでいない状況に不安を抱き、原発避難者のうち福島県内や首都圏などで土地・住宅を購入し移住を決める人が急増しているのが実情である。平成26年秋時点で、福島事故により避難した者が移住する数は、移住用の不動産を取得した場合の特例件数だけでも3789人にのぼっている(甲191 TOKYO Web)。

 6 小括

被告国は、除染が進んでいると主張し、福島県が安全であることをアピールしようとしているが、上記のとおり、除染が進んでおらず、そもそも除染には限界があることは明らかなのである。

◆ 原告第12準備書面
第4 原発関連死

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第4 原発関連死

平成26年9月11日時点で、原発関連死者(福島原発事故に伴う被害や避難やストレスにより体調が悪化し死亡した者)は少なくとも1118人にのぼった。
市町村別では、浪江町が333人、富岡町が250人、双葉町が113人、大熊町が106人であり、当該4町を含む福島原発周辺の8町村では1ヶ月に計20件以上の震災関連死の申請がある。
震災関連死者が458人の南相馬市と128人のいわき市は、原発事故を理由とした死者数を把握してはいないが、大半が原発避難者であり、この分を加えると原発関連死者は1700人を超えることとなる。
福島県内の震災関連死者数は1758人で、宮城県や岩手県を大幅に上回っており、このうち原発関連死者は少なくとも6割にのぼる。原発事故は被害は多数の死者を生むこととなるのである(甲183 TOKYO Web)

◆ 原告第12準備書面
第3 放射性物質による環境汚染の状況

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第3 放射性物質による環境汚染の状況

 1 陸上の汚染状況

  (1)放射性物質の放出量

2011(平成23)年10月20日に公表された,原子力安全・保安院による試算(甲159「放射性物質放出データの一部誤りについて」)によれば,本件事故による放射性物質の放出量は,キセノン133が1100京ベクレル,ヨウ素131が16京ベクレル,セシウム134が1.8京ベクレル,セシウム137が1.5京ベクレルである。キセノン133の放出量は,チェルノブイリ原発事故の1.69倍である。【表省略】

   イ 事故前の空間放射線量率

福島第一原発事故前の福島県内は、原発周辺の地域であっても、平均空間放射線量率は,0.036~0.051mGray/h程度であった(甲160p22~23)。なお、ナノは10のマイナス9乗である。ミリは10のマイナス6乗である。グレイから外部被ばく線量シーベルトへの換算は、通常は0.8を掛ける。0.029~0.041mSv/h程度の空間線量だったことになる。

  (2)本件事故後の空間放射線量率

   ア 福島第一原発周辺

本件事故後,平成23年3月11日から同月松までの間に、福島県が原子力発電所周辺の23地点のモニタリングポストで空間線量率を測定した結果は,下記のとおりである(甲160p22~23)【表省略】。長期的な地域汚染という観点から見るために,2011(平成23)年3月11日0時から同年3月31日24時まで測定できた地点での平均値となっている。
例えば、福島県大熊町大熊では20mSv/h、福島県双葉町山田で14.85mSv/hなどの空間線量を記録している。大熊町大熊は、わずか5時間滞在しただけで被ばく量が100mSvに達する強烈な放射線量である。

   ウ 事故後の警戒区域及び計画的避難区域

2011(平成23)年9月1日に内閣府原子力被災者生活支援チーム及び文部科学省の調査として公表された警戒区域及び計画的避難区域における広域モニタリング結果(甲161)【図省略】によれば、双葉町,大熊町などの警戒区域においては,発電所の南から北西4~5km程度まで19μSv/h以上の地域があり,北側にも筋状に9.5μSv/h以上の地域が延びている。飯舘村などの計画的避難区域においては、19μSv/h以上の地域が発電所から32km程度まで広がっている。

   エ 第6次航空機モニタリング結果(平成24年12月28日時点)

平成24年12月28日時点の文部科学省の調査(甲162)【図省略】によると、福島第一原発を中心とする地域では、事故から1年9ヶ月以上経った平成24年12月28日の時点でも高い空間線量を記録しており、千葉県や群馬県でも、比較的空間線量の高い地域が現れている。
セシウム134、137の沈着量についても、広い地域で見られる。

   オ 食料品の汚染

平成27年5月25日現在でも、下記表の通り、県ごとに、多種多様な食品について出荷制限がされている(甲163「原子力災害対策特別措置法に基づく食品に関する出荷制限等:平成27年5月25日現在」)【表省略】。
これらの食品については、市場に流通しないことになっているが、産地偽装等は我が国でも日常的に行われており、実効性があるか疑問である。また、私的に狩猟・採集された動植物等については、事実上規制は不可能であり、どのような影響が出ているのかも把握しようがない。この点、福島の野生の猿の白血球が田の地域に比べ減少している、という報告がある(甲164東洋経済13.4.3)。

  2 海洋汚染の状況について

   (1)海洋への放射性物質放出の状況

福島第一原発事故の後、大気中から海洋に降下し、または、海洋に直接放出された放射性物質の量は事故が起きた2011年3月中に全核種で12京7000兆ベクレルとも推計されている(甲165『海の放射能汚染』p36)。
また、福島第一原発から海洋へのセシウム137の液体による直接流出量は2012年12月までで3000兆~9000兆ベクレル(セシウム134を含めるとほぼ倍量になる)とも言われている(甲166『原発事故環境汚染』p47)。
その後、ここ数年の放出状況だけ見ても、新聞報道によれば2013年7月から2014年5月までの10ヶ月間で福島第一原発の湾内に出たストロンチウム90とセシウム137が合計2兆ベクレルにのぼる可能性がある旨報道された(甲168 2014.9.8時事)。さらに、2014年4月から約1年の間に、7420億ベクレルの放射性セシウムが海洋に放出され、そのうち、地下水経由が5100億ベクレル、後述のK排水溝経由が2000億ベクレルとされた。これは管理目標値である2200億ベクレルの3倍超にも昇る(甲176 15.3.26東京)。
現在でも海洋への新たな放出は止まっていない。すなわち原子炉建屋にたまった汚染水が地下にもれ、地下水脈を通じて海洋に放出され続けている(甲167 13.7.10東京)。これに対して、政府および東京電力は、建て屋への地下水流入を防ぎ、併せて海洋への放出を防ぐため「凍土遮水壁」を、1~4号機の建屋を取り囲むように設置する計画を立て、320億円を投じて実行しているが、技術的に成功するかすら未知数である上、原子力規制委員会の委員から不要論まで出ている状況である(甲173 15.3.3毎日)。
最近ニュース報道されただけでも次々に放射性物質の外海への放出が確認されている。
2014年10月13日には、2号機東側の井戸で採取された地下水からセシウム(セシウム134および137)が1リットルあたり25万1000ベクレル(4日前の3.7倍)、ストロンチウム90などベータ線を出す核種が780万ベクレル(4日前の3.7倍)、ガンマ線を出すコバルト60やマンガン54なども護岸の観測用井戸の地下水で過去最高となった(甲169-1 14.10.14時事)。これは台風による地下水位の上昇で、原子炉建屋の放射性物質に触れた地下水が増えたためと予想された。同年10月24日には、建屋周辺の井戸である「サブドレイン」1本の地下水において放射性セシウムが1リットルあたり46万ベクレルに上昇して、やはり過去最高を記録した(甲169-2 14.10.25日経)。

また、同年10月23日には、1号機タービン建屋海側の地下を通る水路にたまっている雨水の放射性物質濃度が急上昇し、22日には放射性セシウムの濃度が1リットルあたり16万1000ベクレルに上昇した。これも台風の影響とされる(甲170 14.10.24共同)。
一方、2015年2月24日には、福島第一原発敷地に降った放射能汚染された雨水が「K排水溝」を通じて直接外海へ放出されていたこと、しかもそれが2014年4月16日から毎週把握されながら放置されていたことが判明した(甲171 15.2.24産経、甲172 15.2.24日経、甲174 15.3.5東京)。K排水溝は常時1リットルあたり10ベクレル程度の汚染があり、降雨時などに一気に100倍以上に放射能汚染値が上がる状態だった。さらに同年3月10日には、処理水を貯蔵するタンクを囲う堰(せき)にたまっていた汚染雨水が流出した(甲175 15.3.10東京)。同年4月21日には、福島第一原発構内にたまる雨水を排出するポンプがすべて停止し、放射能汚染された雨水が外海へ漏れ出した(甲177 15.4.22福島民報)。

  (2)汚染の広がり

福島沖の海上では、2011年3月23日以降、数万ベクレル/m3のヨウ素131、セシウム134、セシウム137等が表層水から検出された。これは大気を経由して沈着したものとされ、福島第一原発から比較的離れた広範囲の海域から同じような濃度レベルで検出された。
同年3月末以降は、福島第一原発直近の海水から直接流出によると見られる極めて高濃度の放射性物質が検出された。セシウム137については、福島第一原発湾外で4700万ベクレル/m3(3月30日南放水口)、6800万ベクレル/m3(4月7日北放水口)、湾内では1200億ベクレル/m3 4月2日 2号機スクリーン)などが記録された。福島第一原発の南側10-16kmに位置する海岸では、これから数日ないし1週間程度遅れてセシウム137が100万ベクレル/m3を超える汚染のピークがあり、福島第一原発の東側15km沖合では、同時期に20万~30万ベクレル/m3のピークがあった。セシウム134も考えればほぼ倍量となる。外洋の海水における放射性物質濃度はその後減少しているが、福島第一原発の港湾内部ではその後も数千~数十万ベクレル/m3のセシウム137が検出され続けている(以上について甲166『原発事故海洋汚染』p114-115)。
実際の現象としては、福島第一原発に由来する放射性物質がすでに太平洋を横断してカナダでも検出されるに至っている(甲178 産経15.4.7)。2016年中に800テラベクレルの放射性セシウムが北米大陸西岸に到達する、という試算もされている(甲179 共同15.4.24)。
放射性物質の海洋への放出は外交問題にもなり得るし、日本が現にしている以上、日本海に面する中国や韓国の原子力発電所が同様の事故を起こす危険性がある場合に、日本国がこれを国際的に批判し、規制を求める正当性を持っていない。

  (3)沿岸海底の汚染状況

汚染が顕著なのは福島沖を中心とした沿岸地域の海底である。例えば、2011年4月から2012年7月にかけて、いわき市の沖合の堆積物中のセシウム137の量(ベクレル/乾燥させた土kg)は下記の図の通りであるが、水深70mまでの沿岸では概ね100~数千ベクレル/kg-dryの範囲にあり、やや減少傾向であるのに対して、70mより深い海底では数十~数百ベクレル/kg-dryの範囲にあり、やや上昇している(甲166 『原発事故海洋汚染』p117)【図省略】。
福島県内の河川土壌におけるセシウム濃度は2011年5月の段階で以下の通りである(甲165 『海の放射能汚染』p44)【表省略】。

河川の河口については、例えば東京湾の荒川河口ではセシウム137の濃度が増加傾向であり(甲166 『原発事故海洋汚染』p117)、陸地に沈着した放射性物質が河川経由で運ばれて蓄積されるものと思われ、田の地域も同様の現象が起こる可能性が高い。

  (4)食品への影響

魚介類が放射性物質を体に取り込み、人間がその魚を食べることによって放射性物質が人体に流入することは疑いのない事実である。青森県の下北半島沖から千葉県の銚子沖までの太平洋は暖流である黒潮と還流である親潮がぶつかる場所で、世界三大漁場の一つとされる。この水域の多量の魚が放射性物質に汚染された。
現在、魚介類に対する放射性物質の検査は、魚介類が水揚げされる港ごとに、全体の流通量からすればごく少数の検体に、週に一度行われているだけである(甲180 「検査計画、出荷制限等の品目・区域の設定・解除の考え方」)。それでも、事故後、平成26年中に以下のように基準値(1000Bq/kg)を超える放射性物質が検出され続けている(甲181 「汚染水漏洩と水産物の安全性について」)【図省略】。

今までも、基準値超えの魚介類が市場で堂々と流通していた可能性が極めて高いし、全数に対する検査が到底不可能である以上、今後もその状況自体は変わらない。
また、制限値を超える放射性物質を検出した種類の水産物は平成27年4月2日現在で下記の通り出荷制限がされているが、私的に漁獲されたものは当然ながら規制の範囲外であり、人によっては大量に摂取している可能性もある。

【出荷制限操業自粛等水域図】【図省略】
水産庁HP
(http://www.jfa.maff.go.jp/j/kakou/hyouzi/kisei_kekka.htmlより)(甲182)

◆ 原告第12準備書面
第2 避難状況・コミュニティの崩壊・格差等

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第2 避難状況・コミュニティの崩壊・格差等

 1 福島原発における被害の実態

  (1)福島の人々の事故前の平穏な暮らし

   ア 福島の人々は、豊かな自然の恵みを享受する生活を有していた。

福島県は,東部の阿武隈高地,中央部を南北に縦断する奥羽山脈,北部から西部に連なる飯豊連峰・越後山脈といった山岳地帯を擁し,それらにより,太平洋と阿武隈高地に挟まれた浜通り,阿武隈高地と奥羽山脈に挟まれた中通り,奥羽山脈と越後山脈に挟まれた会津の3地域に分けられていた。それぞれの特性のある豊かな自然の恵みを享受する生活環境にあった。
浜通り地方の人々は,阿武隈高地と太平洋に面した地域で,阿武隈高地を源として太平洋にそそぐ河川,集落はこれら流域全体に沿って発達し,阿武隈高地では山の恵み太平洋に面した温暖な平地では,豊かな海の恵みを受け,自然と共生したくらしを営んでいた。
中通り地方の人々は,奥羽山脈と阿武隈高地に挟まれた盆地に,福島市,郡山市,白河市のような都市がある。福島盆地は桃,梨,リンゴ,ブドウ,サクランボの果物の産地であり、郡山盆地では稲作が盛んであった。会津地方は奥羽山脈と越後山脈の間の地域で,磐梯山,猪苗代湖や尾瀬に代表される美しい自然に恵まれており,人々は主に会津盆地や,阿賀野川水系の河川流域に沿った低平地に農村集落を形成してきた。会津地方は積雪が多いことから建築形態や屋敷林にも工夫が見られる等,美しくも厳しい自然の中で独特な豊かな生活が育まれていた。
また、福島県の森林の面積は県全体の約7割を占めており(全国で4番目の広さ)となるこの広い森林を活用して,木材のほか,キノコや山菜などが生産されていた。
各地方の自然条件を生かして農作物が生産され,米をはじめ,サヤインゲン,キュウリ,トマトなどの野菜や,モモ,ナシ,リンゴなどの果物は,全国的に見ても上位の生産量を誇り,それらの農作物は他県に出荷されるだけでなく,地元で生産したものを地元で消費する「地産地消」も積極的に取り組まれていた。
福島県の海は,南からの黒潮と北からの親潮がぶつかりあう潮目になっているため,良い漁場に恵まれており,カツオやタコ,ヒラメなど100種類を超える魚介類が水揚げされていた。いわき市周辺では,サンマやカツオ,マグロなどをとる沖合漁業が,相双地方では,ヒラメやカレイなどをとる沿岸漁業がさかんに行われていた。そのような豊かな自然環境のもと,原告らを含めその地域で暮らす人々はみな,日頃から,自宅の庭等を利用した自家菜園で野菜などを栽培し,趣味として近くの川や海へ出かけては魚を釣り,山に入っては季節ごとにキノコや山菜などの山の幸を採り,またそれらの収穫物を近所の人とお互いにお裾分けするなどして,自然の恵みを享受する楽しみを分かち合い,生活していたのである。またそれぞれが,山登りや海水浴,川遊びなど自然との触れあいを趣味の一つとして生活していた。このように豊かな自然の存在は,その生活を支える根幹をなすものであり,かけがえのない基盤であった。

   イ 家族,地域に住む住民との密接な結びつき

福島の人々は,自然豊かな環境を基盤として,家族関係や,地域に住む住民との密接な人間関係を築いていた。
各家庭によってその生活は異なるものの,祖父母や親が,子や孫へ自家製の米や野菜を食べさせたり,県外に住む子が孫を連れて実家に帰省して自然溢れる環境で伸び伸びと遊ばせ,孫の成長を見られる祖父母がその訪問を何よりの楽しみとするなど,自然豊かな地域での生活は家族関係の基盤ともなっていた。また,その地域で採れた農作物や山の幸,海の幸を地域住民の間で分け合うなどして交流を深め,親戚同然の付き合いを続けるなど,より密接な関係を築いていた。
豊かな自然のもとで,その地域特有の歴史や伝統文化も悠々と受け継がれており,毎年,繰り返されてきた行事を守っていくため,地域で暮らす老若男女が集い,団結し,親交を深めていた。
家族関係や親しい地域の人間関係は,これまでの人生の中で構築してきたものであり,その人らしい生活を営むためのかけがえのない基盤であった。
そして、福島原発事故によって福島の人々は多くの人が避難を余儀なくされ、これらの生活をことごとく奪われてしまったのである。

  (2) 福島原発事故による避難の状況

   ア 避難指示区域等からの避難者数は、平成25年3月時点で約10.9万人であった。

同事故の発生以降、市町村は、国の指示に基づき、同原発から20㎞以内の地域を警戒区域に事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれがある地域を計画的避難区域に設定してきた。避難指示区域等からの避難者数は、平成25年3月時点で約10.9万人となっている。福島県全体で見ると避難者数は、全体で約15.4万人に登り、福島県内への避難者数は約9.7万人、県外への避難者数は約5.7万人となっている。
このような中で、富岡町、双葉町など警戒区域に位置していた自治体は、県内外に自治体機能自体を移すという事態にまで至った(環境白書平成25年度版より)

   イ 現在(平成26年11月時点)もなお福島県全体で約12万人もの避難生活を続けている。

そのうち、福島県内への避難者数は、約7.4万人(7万4377人・平成26年11月17日現在)福島県外の避難者数は、4万6070人(約4.6万人・平成26年11月13日時点)となっている(福島県 避難者支援課ホームページより)。平成23年3月11日事故後、3年以上、4年近くが推移しようとしている時期に福島県のみの避難者だけでも約12万人もの人々が今なお事故前の住居に戻ることができず、避難生活を余儀なくされている。

   ウ 避難生活者の状況・意識の概要(平成26年4月28日福島県生活環境部による「避難者意向調査結果」より)

福島県が県内・県外への避難者中62,812世帯(有効発信数:5万8627人)に対し、アンケートを行った(調査期間:平成26年1月22日~2月6日)。回答数20,680世帯( 有効発信数に対する回 収 率:35.3%)。
この結果から、事故後3年近く経過した状況における避難生活者の状況・意識の特徴の一端が伺われる。
この調査によれば避難状況としては、半数近くの世帯(48.9%)が2カ所以上に分散して生活している。
4分の3以上の世帯(77.4%)が、避難先へ住民票を移していない。
「2.住まいの状況」によれば、 避難者の約7割(69.0%)が仮設・借上住宅等に居住しているのみであり、その他の避難者も知人宅や親戚宅(9.8%)あり、何らかの持ち家は約9.8%であるが、持ち家でない避難者は、9割にのぼる。
「3.健康や生活などの状況」によれば、避難してから心身の不調を訴えている同居家族がいる世帯は67.5%、現在の生活での不安や困っていることとして「住まいのこと」(63.4%)、「自分や家族の身体の健康のこと」(63.2%)、「自分や家族の心の健康のこと」(47.8%)、「生活資金のこと」(45.4%)、「放射線の影響のこと」(43.9%)を4割以上の人々が掲げている。このように放射線の影響のこと半数近くの人が今なお心配している。「4.情報提供」で「行政からの希望する情報」については、「東京電力の賠償に関する情報」(67.7%)、「福島県・避難元市町村の復興状況」(56.7%)、「除染に関する情報(50.7%)」、「放射線に関する情報」(49.5%)の順となっている。「今後の意向」の回答と関連して「被災当時と同じ市町村に戻る条件」が「放射線の影響や不安が少なくなる」(40.9%)、「原子力発電所事故の今後について不安がなくなる」(31.7%)、「地域の除染が終了する」(27.3%)となっており、放射線の影響に対する不安が大きいことがわかる。

  (3)福島原発事故による損害が極めて甚大であること

原発事故による被害の特徴は既に訴状において指摘したように多種・多様であり長期かつ回復困難な点にある。

   ア 福島原発事故により避難を余儀なくされた(未だに余儀なくされている)

人々は、様々な経済的損害(直接損害・間接損害を含む)や避難それ自体による精神的損害を受けており、その損害額自体多額にのぼる。およそ推計できない状況である。
当初政府が試算した額だけでも原発周辺の住民などに対する賠償金や原子炉の冷却費用などを基に5兆8000億円(平成23年12月)と公表されたが、それは平成26年3月時点では、東電による最新の見通しでも11兆1600億円にのぼることが明らかにされた(平成26年3月11日NHKWEBサイトニュース・甲156号証)。
しかし、当初より、政府の試算は甘すぎるとし、以下のような批判がされていた。「1.福島原発事故の損害費用見積もり約5兆5000億円は、10月3日現在明らかになっている東京電力による損害賠償額を参照しているにすぎず、除染費用(※1:環境省は、追加放射線量年間1mSv以上の地域で除染を行うとしており、その除染費用は莫大な額に上ることが予想される。委員提出資料でも、広域除染費用は28兆円と推計されている。)、放射性廃棄物処理等の行政費用、自主避難および汚染地域に残っている人への賠償費用(政府の当初算定には、自主避難者および汚染地域に残っている人への賠償が予定されていなかったが、その後、批判され自主避難者に賠償されることが明らかになった)、晩発性障害への賠償費用等が含まれていないものである。2. 廃炉費用についても、福島第一原子力発電所1~4号機の廃炉費用の追加分として約9,600億円としているが、事故収束・廃炉の見通しも未だ立っていない中で、最低限の見積に過ぎない。」 とし、委員会参考資料に提示されている48兆円をも大きく上回る損害費用が容易に想定されると指摘されていた。また、福島第一原発事故被害の全容はいまだに明らかになっておらず、試算できない社会的・環境的損害をも考慮すれば、48兆円という額でさえ、全体の損害の一部を表しているにすぎない」と批判されてきた( 脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会、2011年10月26日声明・甲157号証)。
そして、一つの試算としては、被曝防止措置や晩発性障害なども考慮する朴勝俊(「原子力発電所の過酷事故に伴う被害額の試算」『國民経済雑誌』191巻3号、2005年・甲158号証)によれば、過酷事故の損害費用は平均で62兆円、最悪の場合には279兆円に上るとの試算も示されている。
現に、福島原発事故による被害額は、政府の試算や東電の試算を遙かに超えると思われる被害者らからの訴えが各地・各種の福島原発事故関連裁判の中で明らかになってきている。
本項においては、多種多様な被害の中で、福島地方裁判所において係属している裁判(いわゆる生業訴訟)の中で、訴えられている事実をもとに、個々人の経済的損害(直接損害・間接損害)、個々人の精神的損害以上の被害(強いて言えば、前述の社会的・環境的損害ともいうべき損害)の実相を明らかにしていくものである。

   イ 全国各地において次々に提訴されている福島原発関連訴訟から見る被害の甚大さ

住民における被害の深刻さは、単なる政府の原賠審やADRなど、既存のシステムの中では、賠償され、回復されないものであることは、既に各地裁判所において提訴されている裁判の状況からも明かである。
雑誌「法と民主主義 No.486」(45~48頁以下)において紹介されている全国弁護団連絡会が把握している全国のいわゆる被災者訴訟の状況は、以下のとおりである。
2014年1月26日時点でいわゆる被災者訴訟だけでも15件(福島地裁・福島地裁いわき支部2件、東京地裁、千葉地裁、横浜地裁、札幌地裁、山形地裁、新潟地裁、前橋地裁、名古屋地裁、京都地裁、大阪地裁、神戸地裁)の裁判が係属しており、原告数は、上記調査時点で、福島地裁(1985名)、いわき支部(1754名)、東京地裁(48名)、千葉地裁(47名)、横浜地裁(61名)、札幌地裁(113名)、山形地裁(227名)、新潟地裁(354名)、前橋地裁(94名)、名古屋地裁(73名)、京都地裁(91名)、大阪地裁(120名)、神戸地裁(54名)にものぼっている。これらの原告数は、5021名に達している。そして、原告数は、その後も増加している(法と民主主義№486、45~48頁の一覧表の数字を原告代理人においてまとめたものである)。
そして、その後も前述地裁に追加提訴されただけのみならず、神奈川地裁、岡山地裁、福岡地裁にも新たに提訴されている。
そして、京都地方裁判所においても被災者訴訟係属している(京都地方裁判所第3民事部)。
このように福島第一原発事故による被害は、想像を絶する被害をもたらし、完全賠償・完全なる被害の回復に終わりはない状態である。公害訴訟と同様、もしくは、それ以上の被害の継続性・広汎性・回復不可能な被害を招く原発は、本来稼働されてはならない、存在してはならないものであることを被告国らは、福島第一原発事故の教訓から学ぶべきである。

ページトップ

  (4)福島原発事故による避難それ自体の被害 

   ア 避難それ自体・避難の態様による被害の実態(国会事故調査報告書より)

福島原発事故における、情報伝達上の問題点や避難手段などにおいて生じた問題等や福島原発事故の「避難の実態の一部」は、既にこれまで指摘してきたところである(第6準備書面47頁~)。
これらに加えて、避難生活自体の困難性や問題点が多々発生した。
以下、国会事故調査報告(「第4部被害状況と被害拡大の要因(その1)甲3号証 ・・・11/23頁」において指摘されている問題点をいくつか記載するが、国会事故調査報告書に現れた被害は、いうまでもなく、多種・多様な被害実態の一部や概要にすぎない。

  (5)「着の身着のまま」での避難

原発事故のことを知らされず正確な情報を知らされないままの避難であったため、避難が長期間及ぶことを知らされずに避難指示が出たため着の身着のままで避難せざるを得なかった(双葉町住民)。そのため、医療関係の書類等がないため両親の症状が悪化した事例(富岡町住民)、貴重品があるにも関わらず、戸締まりもせずに避難したが、一時帰宅の度に家が盗難にあった事例(大熊町住民)が散見された。

  (6)避難区域の拡大と多段階避難

委員会の行ったアンケートによれば、福島原発に近い双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、洋野町、浪江町では、政府が3㎞、10㎞、20㎞と段階的に避難区域を拡大したため、6回以上避難した住民が20%を超えた。6回とまでいかなくても、2012年3月という1年間に多数回、避難場所を転々とし何度も避難を繰り返したという声が多数寄せられた。

  (7)長期屋内退避指示により生活基盤の崩壊

3月15日11時に福島第一原発から20㎞~30㎞圏内に対する屋内退避指示が出されて以降、3月25日に自主避難要請が出されるまで、自主的に避難した人以外の住民は10日間にわたって屋内に退避し続けることになった。なお、3月25日以降も自主避難をしなかった住民は4月22日の屋内退避指示解除まで一か月以上にわたり屋内にとどまった(屋内退避指示の対象:南相馬市、飯舘村、浪江町、葛尾村、田村市、川内村、楢葉町、広野町、いわき市のそれぞれの一部)。
このうち、特に、南相馬市、いわき市、田村市、飯舘村の対象地域では、屋内退避の長期化によって、物流や商業が停滞し、住民の生活基盤が崩壊するという問題が生じた。
屋内退避区域への被災者支援は、結局3月21日頃から開始されたが、物資支援は十分に行き届かなかった。
屋内退避せざるをえず、生活に規制をかけられること自体、被害であるが、それが長期化して被害の拡大をまねいた。
この被害の実態は住民らの生の声となって現れている(20kmから30km圏内の住民、特に南相馬市からアンケート調査の自由回答から)。
たとえば、ある者は「避難をしたくても、認知症の親がいるため避難は出来なかった。避難者は今も精神的苦痛として補償されているが、自宅にいた私達は1回の補償で終り、部落の除染をしたりしているが、精神的苦痛は自宅避難者も同じではないのか。避難した人達はホテル・旅館等に移り、支援物資をもらって1週間に1回自宅に戻り、物資も持って来たようだ。自宅にいた私達は店が閉って購入出来ない。ガソリンも不足して乗れなかった。東電より20km以内はともかく、旧緊急時避難地域の避難出来なかった人達も考慮すべきではないか」と述べている。
また別のある者は「南相馬市原町区馬場在住でしたが、屋内退避とかにはなったが、当時はとても家にいれる状況ではなかった。(町に人はいなくなり、食料もなくなったりして(ガソリンも)、自分たちの判断で避難し、今に至る(避難継続中)。1年たって、今ごろになり、本当の原発の状況をマスコミ等で聞かされても、悔しい限りです!!警戒区域になった人たちの方が、いろいろされていて、原町の人は本当につらかったと思う!!」と述べている。

  (8)危険か否かの判断を住民に委ねた「自主避難」(国会事故調査報告書表記による)

正確な情報、放射能被害・汚染状況に関する正しい情報が得られないところで、多くの被災者が「自主避難」と称される苦渋の選択をせまられた。
住民アンケートである者(南相馬市(20kmから30km圏内)の住民)は「自主避難というかたちにするべきなのか、どこへと難しい選択でした。また原発の事故の後は“外には出るな”“窓は開けるな”とのことでしたので、市の広報車が半日に1回程度巡回していましたが、ぜんぜん聞き取ることはできませんでした。私どもは市街地でしたので、どこからの話もなく、市外の親戚者から、区長より自主避難との話があったとのことを聞きました。(中略)NHK放送にての原発の事故に東電幹部の方々の責任を感じない姿勢に非常に悲しく思いました。利用年数を越えて使用していたことが大きな原因ではなかったのではないでしょうか。想定外などありえません。一番の思いは子供達のことです」と述べ、
ある者(川内村(20kmから30km圏内)の住民)は、「3月11日に事故の第一報を聞いてから、直後、村に多くの方が避難してきました。若い人たちはケータイで、チェーンメールのように『逃げろ』と連絡しあっていました。でも、正式に避難についての情報は、どこからも入りませんでした。防災無線で屋内退避といわれただけです。警察に家族が勤務している近所の人が、『なんだか危ないから逃げる』というのを聞いて、自主避難しました。14日には、警察はもう川内村を出ていたと聞きます。ボランティアで村内の炊き出しをしていた人は、村内の移動でガソリンを使い果たしていました。少しでも早く逃げるのを助けてほしかったと思います。見殺しにされたという思いが消えません」と述べている。

  (9)汚染区域への避難

また、正確な情報や放射能被害・汚染状況に関する正しい情報が得られないため、汚染区域に避難をさせられた者も多くいた。
アンケートに現れた線量の高い地域に避難した住民の声は次のとおりである。
ある者(浪江町の住民)は、「SPEEDIが公表されず、一番放射線の高い所に避難したことは、一生健康面で脅かされます。なぜ公表しなかったのか、人の命を何と思っているのでしょうか。自宅の方もとても住める状態でなく、インフラの整備、除染など難しく、また中間貯蔵施設が近く、大きな不安を感じます」と語り、
ある者(南相馬市の住民)は「妻は妊娠初期でした。SPEEDIを早く公表してくれていれば、不安がもっと少なくて済んだのにと思います。飯舘の実家→福島、と放射線の比較的高い所へ移動しました。すごく残念」と述べている。

  (10)まとめ

京都被災者訴訟の原告であり、本件原告は現在の避難場所に移るまでの避難の実態について第一回口頭弁論で以下のように意見陳述した。
「(略)福島第一原子力発電所の爆発当時は、川俣町そして、放射線量が最も高く示された福島市に避難しておりました。当時は、なぜ近距離の南相馬市より線量が高いのか解りませんでした。一度戻ろうと思った南相馬市は13日には市の境に川俣町の警察署員などによりバリケードが張られ、入ることができなくなりました。2011年3月13日の夜、福島市飯坂町の小さな市民ホールの避難所には、800人もの人が押し寄せました。地震のたびに携帯電話を手にする人々、消灯後の部屋がぼんやり青白く光ると、夜中なのに大きな荷物をもってせわしなく足早に出ていく人々、入ってくる人々が子供の寝ている頭を踏みそうになります。放射能が多く降り注いだとされる15日には、仮設トイレまで雪をかぶりながら入らなければなりませんでした。毎日毎日来る日も来る日も外で遊べない子供たち。ボランティアの人に風船をもらった子供たちは次々に飛び跳ねては上手にパスしあいます。足元には、体を横たえている大人が数人いました。わたしは、一番年長の娘に今すぐやめるよう強く言いました。辛抱強い娘はこどもたちにそれぞれ家族のもとへ戻るよう告げると、声を殺して泣きました。明け方のトイレには、壁まで糞便を塗りつけた手のあと。苦しそうな模様に見えました。食べるものなどほとんど売っていないスーパーに何時間も並び、列の横に貧血で倒れている老女がいました。インフルエンザが蔓延した近くの避難所では、風呂に入ることができないため、温泉街までペットボトルに温泉水を汲みに行き、湯たんぽの代わりにして暖をとる人がいました。ガソリンを入れるのに長時間並び、ガソリンを消費して帰ってきました。より遠くへは避難できない人がたくさんいました。隣のスペースに、孫にかかえられて避難してきた年老いた人は、硬い床に座っていることがつらくて、物資の届かない南相馬市へ帰っていきました。テレビで次々に爆発していく福島第一原子力発電所のを避難所の人たちが囲んで観ている。毎日が重く張り詰めた空気の中、死を覚悟した人も大勢いた避難所の生活は、忘れられません。2011年4月2日、私は娘2人を連れ、京都府災害支援対策本部やたくさんの友人の力を借り、ごみ袋3つに衣服と貴重品をつめて、京都府へと3度目となる避難をしてまいりました。その時に、貴重品以上に大切なものが私たちにはありました。『スクリーニング済証』というものです。これを携帯しなければ、病院に入ることも避難所を移ることもできませんでした。私たちは、被ばくした人間として、移動を制限されていたからです(略)」と3度目の避難先に至るまでの転々と非難したこと、避難それ自体による被害について語った。

ページトップ

 2 事故前の平穏な生活が破壊されたこと及び家族・地域に住む住民との密接な結びつき(コミュニティ)の崩壊・格差による差別

  (1) 従前の生活の全面的崩壊と変容(豊かな自然の全てが放射能に汚染されたまま放置され,人体への脅威となる放射能汚染物質へと変容した)

   ア 汚染された地域での生活を続ける滞在者の被害

諸般の事情から汚染された地域に滞在せざるをえない人々も多くいる。

  1.  汚染された地域で生活を続ける人々らは,地域を汚染した放射性物質が放つ放射線による外部被ばくと,放射性物質に汚染された食料や水などを体内に摂取することによる内部被ばくの危険にさらされ続けることとなった。
  2.  1日3食の食卓に並ぶ食材に放射性物質が含まれていないか,家族・知人からもらった食材は汚染されていないのか,今飲んでいる水は汚染されていないか,通学,通勤,買い物などを含む外出時に外部被ばくするのではないか,外出時に何気なく触れた土や草木に放射性物質が付着していたいのではないか,その放射性物質が身体に付着してしまったのではないか,風で巻き上がった塵とともに口から放射性物質を吸い込んでしまったのではないか,雨や雪を被ったことでさらなる被ばくをしたのではないか,自宅内で生活しているときや就寝している最中も自宅の壁や屋根に付着した及び自宅周辺に存在する放射性物質からの放射線によって被ばくしているのではないか等,日々の生活のすべての面において,「放射性物質による地域汚染と放射線被ばく」による「現在及び将来の健康影響への強い不安・懸念」を抱かざるを得ないこととなった。
  3.  放射能汚染の不安のため人々は,常に安心して生活することができなくなり,そのような不安を少しでも軽減するために,各人の判断で出来る限りの放射線防護対策をとらざるを得なくなった。
    自家菜園での栽培を止め,あるいはそこで採れた農作物を子供や孫へ与えることを止めるようになった。趣味としていた釣り,キノコや山菜などの採取も出来なくなった。またそれらの収穫物を近所の人と互いに分け合うこともためらわれ,控えるようになってしまった。山登りや海水浴,川遊びなど自然と触れあうことも避けるようになった。
    身近に親しんできた自然全てが失われてしまったのである。
  4.  特に放射線被ばくによる健康影響のおそれが大きい子どもに対しては,外遊びを極力避けるようにし,外出時にはマスクを付けさせ,周囲の草花,虫,降り積もった雪に触れることも注意して止めさせた親も多い。また,布団や洗濯物を外に干すことを避けたり,地元産の食材を食べさせることに不安を感じてその購入を避けたり,井戸水や水道水を飲ませずに市販の飲料水を購入するようになった。
  5.  県外に住んでいた子や孫は,今までのような里帰り時の安心した家族間の交流は出来なくなった。汚染された故郷となってしまったために、子や孫の里帰りが何よりも楽しみとしてきた,子や孫とゆっくりと会い,その成長を見るという機会そのものが奪われてしまっている。将来的には息子家族と同居したいという望みも完全に絶たれてしまった(生業訴訟原告H)。このように家族関係にも大きな変容が生じている。
  6.  家族間に限らず,職場における人間関係においても放射能汚染による苦痛が生じている例もある。すなわち,事故直後の線量が高く,その情報も極めて限られていたときには,多くの者が,そのまま滞在するか,避難するかという選択を迫られていた。そのような状況において,障害者らを守るためとはいえ,職員らにその選択を強いてしまったことや,その後の避難等によってそれまで共に施設を支えてきた職員との間に溝が生じてしまった事例もある。
  7.  不十分な除染の中で,その除染した汚染物質を結果的に自宅の庭の一角に仮置き場として置かなければならないこともあり、汚染された地域に過ごしている日々,不安の尽きない生活を強いられている状況にある者もある。
  8.  汚染された地域で生活を続けざるをえない者は,各人の判断に従い、上記のような放射線防護を続けることで健康影響を防げるだろうと信じ,日々の被ばくによる健康不安を心の奥底に押し込めて生活を続けている。しかしながら,いざ自分の子供や孫の甲状腺にのう胞が発見されたり,原因不明の体調不良が生じたりした場合には,それまで押し込めていたはずの放射線被ばくによる健康影響ではないかという不安・恐怖はより増大する。
    そして経済面の被害に加え,成長発達段階にある子どもの運動不足や肥満の進行という被害も新たに生じている。
  9.  最終的には,汚染された土地での生活による不安に耐えられなくなり,県外避難を選択することを余儀なくされ,家族が分断されるというような被害が生じてしまっている。

   イ 汚染された地域で農業を続ける者の被害.

豊かな自然と共存し,その自然そのものを生業としてきた農家(果樹園農家、野菜農家、米作農家、酪農家など形態は様々である。)は,先祖から受け継ぎ,長年自ら耕してきたからこそ,その農地が汚染されたこと自体によって,より大きな喪失感,絶望感,将来への不安という苦痛を被っている。出荷制限によって手塩にかけて育てた農作物の処分を余儀なくされる苦しみ,出荷できても価格の下落や昔からの顧客に敬遠される苦しみは,収入の減少という経済的な損害だけでなく,人に喜ばれる物を作るという農家としての根源である生産意欲そのものを傷つけられるという深刻な被害につながっており,営農そのものを諦めるものも続出している。そして,有効な除染方法もなく汚染されたままの農地での生産を続けなければならないため,日々の作業中の被ばくによる健康不安を感じ,また出荷時に農作物から放射性物質が検出されるかも知れないという不安を感じながら,先の見えない不安を抱えた生活が続いている。
農家にとって,先祖から受け継ぎ,自ら長年耕してきた農地,その農地で育てた農作物,そして農作物を作り続けるという生業,それらは単に財産価値のあるもの,生計の元を得るための仕事というものでなく,農家一人一人がその人生をかけて守り,築き上げてきた生きがいそのものである。そのような生きがいである生業が放射能汚染によって侵害され続けているのである。 生業訴訟の原告の一人の父親は、安全安心な作物をみんなに食べてほしいという思いから有機農法と土作りに取り組み,農薬の集団散布に一人反対するなど,誇りある活動を行ってきたが、その農地が放射能汚染され,丹精込めて作ったキャベツの出荷停止を告げられたことによって,喪失感,絶望感の末に自死をした(生業訴訟原告T)。福島県内で生業生活を営む農家の被り続けている被害(単なる営業損害ないし風評被害だけでなく,放射線被ばくによる健康不安や生業の今後に対する不安なども含めて)が,最も苛烈な形で現れたものといえるが、これは、氷山の一角である。

ページトップ

   ウ 避難を余儀なくされた者(避難者)の被害

  1.  本件事故による放射能汚染によって避難を余儀なくされたものは,住み慣れた地域での生活はもとより,そこで構築されていた家族関係や親族関係,親交を厚くしていた地域の住民との関係すべてが崩壊させられている。
    避難を余儀なくされた者の経済損害については言うまでもない。
    避難それ自体により仕事を喪失した多くの者がいる。
    京都訴訟の福島県郡山市に住んでいた原告の一人は会社勤務をしながらお好み焼き屋の修行をつみ、脱サラをしてようやくお好み焼き屋を起業して3年目軌道に乗っていた時に、原発事故に遭い、娘の健康を考えて避難を余儀なくされ、営業権まで手放さざるを得なくなった無念を述べている(京都被災者訴訟原告8-1)。地元との結びつきが強いからこそ就けていた派遣会社の労務管理(正社員)で働いてこれていたのに原発事故による避難先では正社員につけず、非正規の不安定な仕事に就かざる得ない事例(京都被災者訴訟原告17-1)など例にことかかない。
    また、避難を余儀なくされることにより、家族ぐるみ避難した者であっても、住宅ローン返済中の家を残したまま、住宅ローン返済と避難先での家賃の支払いなどの負担の増加を余儀なくされている。また、やむを得ず家族のうち一部のみが避難している場合は、二重生活による生活費用の増加を生んでいるだけでなく、面会費用の発生などの負担の増大は生活を大きく圧迫しているが、ここでとりわけて指摘したいのは、住み慣れた従前の生活それ自体とそこで形成されてきたコミュニティを崩壊させられたことである。
  2.  国の避難指示によって避難を強いられた者(区域内避難者)は,皆,着の身着のままの状態での避難を余儀なくされ,正確な情報も与えられなかったため,むしろ線量の高い地域に避難し,より多くの被ばくを強いられた者もいた。
    避難した先での避難所では,段ボールで仕切られたスペースでの生活を強いられ,プライバシーは守られず,物資は不足して下着すら交換することができず,トイレに並び,お風呂にも入れないという悪質な住環境など,およそ人としての生活とはいえない過酷な生活を強いられた。仮設住宅に入居した現在も,狭い部屋で,薄い壁による音漏れ,湿気や結露による床の凹凸やカビが発生し老朽化も進むなど,厳しい住環境での生活を強いられている。
    また,何よりも,強制的な避難によって慣れ親しんだ地域に戻れなくなり,そこで一緒に生活していた家族や,友人なども離ればなれになってしまった。ある者の自分が釣った豊かな自然の恵みである魚を,妻が料理し,家族みんなでその食卓を囲んだり,昔からの顔なじみと毎年開催されるお祭りに出店を開いて参加したりする生活,ある者の朝起きて学校に行き,授業に出て,友達と他愛ない話をして遊び,家に帰ると家族が待っているという生活,ある者の自然溢れる地域で,自ら経営していた飲食店で客が喜んで食べてくれる顔を見たり,常連客との日常会話を楽しんだりする生活,そしてある者の,一緒に暮らす家族,70年来の付き合いがあり親戚のように親しくしていた友人らに囲まれた生活であり,いずれも,その人生を通じて築き手に入れた,何気ない日常に感じる幸せでありそれらはそれぞれが生きていく上で欠くことのできないものであった。
  3.  地域社会における分断・家族の分断・家族関係の変容または崩壊
    土地を離れることを決断した「区域外避難者」は,汚染された地域での生活から逃れることにより,放射線被ばくによる日々の不安からは解放されるものの,「区域内避難者」同様の住み慣れない土地での生活による様々な不安や不便さに加え,避難生活による経済的負担の増加,避難せずに地元での生活を続ける者との間で意見の違いや対立が生じている。
    「区域外避難者」の郡山市の原告の一人は「夫は、勤務先から会社も避難区域外にあるということで避難をとがめられ、度々会社から戻ってくるように言われ、業務命令で郡山市に夫のみ帰らざるを得なかった。戻ってからも肩身の狭い思いをしている夫と離れ、幼い子どもの安全や健康を考えて避難生活をしている苦痛を訴えている(京都訴訟被災者原告26-2)。また、いわき市から避難している原告の一人も地域おこしのため同市に移住して事業を営んでいた者は「福島を捨てた」と扱われ、未だに帰還して事業を再開できない苦痛を訴えている(京都被災者訴訟原告32-2)。

このような放射能被害・汚染状況・健康被害・避難すべきかどうかなどに対する意見の違いや対立が原因となって,家族が離れて暮らすことを余儀なくされ,家族関係そのものに亀裂が生じたりしており、また従前と異なる生活環境の中で家族関係に亀裂や無用なストレスを抱き、離婚にまで至る場合もあるなど家族関係の変容または崩壊という被害が生じている。
たとえば、生業訴訟の原告の一人は、放射線被ばくによって娘や自分の健康に悪い影響が出たり,娘が結婚できなくなるのではないかと不安に感じ,夫の実家のある川俣町から米沢市への避難を選択した。友人や部活のことで避難したくないという娘との意見の対立,避難に反対する夫やその両親との意見の対立による精神的負担を感じながらも,それでも娘の健康を優先したいと考え避難を続けた。そのことで夫やその両親との関係に事故前にはなかった溝が生じることとなってしまったこと。そして,避難をしたからといってすべての健康不安が無くなる訳ではない。日々の放射線被ばくによる不安から解放されるだけであり,避難するまでに被ばくしたことによる将来の健康不安は払拭されない。避難をしたある者は,ホールボディカウンターによる検査で娘が被ばくしていることを知り,強い健康不安を感じている。またその娘が友人と「もう子供は産めないね」と話していることを知り,自分の娘にそのような思いをさせてしまったことに心を痛めているとその被害を訴えている(生業訴訟原告新関まゆみ:法と民主主義№486,35頁)。
京都訴訟の原告でありかつ本件訴訟の原告の一人は、本件訴訟の第1回口頭弁論で次のように訴えた。
「私と私の家族は福島第一原子力発電所の事故により、人生が大きく変わってしまいました。
福島県のホームページによると、3月15日に福島市では毎時最大24.24マイクロシーベルトの放射線がでていました。しかしその時私はそれを知りませんでした。最も放射線値が高い時に福島市にいた子供たちがどれだけ初期被曝をしたのかわからず今でも大変心配です。
4月に入り学校の新学期が始まりましたが、福島市の放射線値はまだ平常値の40倍以上もありました。子供たちは、事故前までは学校まで40分かけて自転車通学していましたが、外部被曝、内部被曝を少しでも避けるために車で送り迎えをすることにしました。子供たちは福島の自然豊かな春の息吹を感じながら爽快に自転車をこいで登下校することがかなわなくなりました。学校でも校庭での活動が制限されました。そんな毎日を送るうちに私は福島にとどまり放射性物質の影響を心配したり制限された生活を送るよりも、子供たちが自由に外で活動し、伸び伸びと普通の生活を送ることのできる環境に移るほうが幸せではないかと考えるようになりました。そして家族内で何度も相談した結果避難を決意したのです。子供自身も不安もあっただろうに、新しい環境でもなんとかやっていけるだろうと言って意欲を見せてくれたので、2011年8月に子供二人とともに福島県福島市から京都府に避難してきました。しかし残念ながら子供はここでの生活に適応できていません。こちらの学校の生徒さんたちは皆、3月11日以前となんら変わることのない幸せな生活を送っています。その中で自分一人だけ何もかも環境が変わってしまい、生まれ育った家を離れ、父親と離れ、気心の知れた幼いころからの友人たち、切磋琢磨していた学友たち、熱心に指導してくださっていた先生方…福島でのかけがえのない幸せな生活に別れを告げることとなってしまったのです。原発事故のせいで。親の避難するという判断のせいで。この疎外感と喪失感は子供にとって想像以上に大きかったと思われます。
避難してからの1年11か月の間に子供は無気力になってしまいました。そのいら立ちを私に向けて、息子は言います。「何も楽しいことがなくなった」「目標がなくなった」「自分の人生はおしまいだ」と。そして頻繁に怒りを爆発させ、私との関係は非常に悪いものとなっています。仕事のために福島に残っている夫は、家事や雑事、年老いた親の介護のすべてを一人でこなさなくてはならなくなり、多忙を極めています。そのため子供と電話で話すこともめったにありません。ましてや遠い京都に頻繁に来るわけにもいかず、同居していれば当たり前の父と息子のコミュニケーションが二重生活では成り立たなくなっています。夫の健康もとても心配です。
では福島に帰れば問題は解決するのでしょうか。この2年間に何度も子供と話し合いました。帰ったからと言って3月11日以前と全く同じ環境に戻れるわけではありません。元の学校に入れたとしてもクラスメイトや学習カリキュラムや学習進度は変わります。友人関係も学習もまた一から築き上げなくてはならないのです。精神的に疲れ切った子供が帰る決断をするのは難しいことでした。子供は福島でやり直す気力も失ってしまったのです。一度福島から出てきてしまうと、帰ることも簡単ではないのです。
毎日親子でピリピリと緊張した日々を送りいさかいを繰り返しています。子供の大事な時間はいたずらに過ぎ、親子関係は悪くなり家庭は平和ではなくなってしまいました。(略)放射能汚染によって失われるのは形あるものだけではありません。人の心は病み、人間関係が壊れます。長期間悩み苦しんで不安を持ち続けるのです。(略)」と避難を余儀なくされた生活の中で人間関係の壊れていく悲惨さと苦痛による被害の深刻さを語った。
このようにとりわけ「区域外避難者」は,家族関係のみならず,地域の住民との間でも同様に関係の悪化や,避難に伴い疎遠になって交流が絶たれるなどの変容,崩壊が生じている。
また,住み慣れた土地での生活を失った苦痛を被っているという点では国の避難指示による避難者と共通しており,ある避難者は、自然溢れる飯舘村の自宅や川俣町にある夫の実家で,家族全員での暮らしを,ある者は,慣れ親しんだ吾妻山の風景を眺めながら,ボランティア活動や家庭菜園の手入れをする暮らしを失った苦痛を被っている。

   エ 従前の地域・コミュニティと事業者の被害

事業を従前の土地で営んできた者(商売)は、その地域において築いてきた人間関係の中で事業を育て、確立してきた。

  1.  ある者は、自ら起業し,成人した子どもに手伝ってもらい,家族で協力しながら順調に経営を続けていた自動車整備工場の仕事を失った。子どもたちとは、福島原発事故による避難のため、別々に暮らさざるを得なくなり,自動車整備工場の再開は不可能となった。
  2.  事業者にとってそれぞれの商売は,長年の努力と経験及び地域のコミュニティの中で築き上げてきたものであり,その人それぞれの生きがいである。その生きがいと感じてきた事業を侵害され,奪われたことによる苦痛を被っている。

  (2) 子どもたちが従前環境で生活できなくなったこと自体の被害

子どもたちにとって自然の豊かな環境を奪われたこと自体重大な被害であるが、成長期、学生時代、子どもが同一環境で成長することは、子どもたちの人間形成に重要な意味を持つ。それまでの友人関係や勉学環境を維持したいと考えている子どもたちが、理不尽な理由で従前環境で生活できなくなること自体、被害である。
本件事故による避難を余儀なくされ,いつも一緒に遊び,同級生や学校の先生の噂話,好きな人の話など,何でも話せる存在であった友人らとも離ればなれになってしまう。
前述の本件原告の意見陳述にも、子どもが従前環境で過ごせなくなったことによって子どもに被害が生じていることが述べられている。

 3 被災者間の格差による差別と分断

地域社会は、原発からの距離で、放射線量で、賠償で分断され、津波被災者と原発被災者への対応への違いにより住民に軋轢やゆがみをもたらしている。いわき市内には、県内最多の2万4000人が避難しているが、その市内で「被災者帰れ」の落書きが市役所入り口などに書かれた事件、仮設住宅内の車7台がフロントガラスに割られた事件、仮設住宅に向けたロケット花火売り上げなどの事件が発生している。最近は、公園に設置された放射能測定モニター機が壊されるなどの事件も起こった(生業訴訟原告I)。

ページトップ

◆ 原告第12準備書面
第1 はじめに

原告第12準備書面
-福島第一原発事故による汚染状況等 目次

第1 はじめに

福島原発事故は、甚大な被害を生んだ。また、いまだに収束したとはいえる状況にない。以下詳述する。
福島原発事故が事故から4年以上経過した現在においても被害を生み出し続けており未だ収束していない以上、日本国で原発を稼働させることは新たな甚大な被害を生むこととなり、決して許されるものではない。